ジャッキー・チェンの映画「クレージー・モンキー/笑拳」レビュー「『配慮が必要と思われる表現』を一切遮ることなく表現して下さった関係各位の覚悟と誠意に深く感謝したい。」
清朝の時代に政府の犬となって政府に弓引く武術家を殺し,
その武術家が属する拳法の流派までをも根絶を図る
「鉄の爪」と呼ばれる公儀刺客人と
「鉄の爪」に影の様に付き従う3人の弟子の姿があった。
「鉄の爪」にはハッキリとモデルが存在し
小池一夫先生原作の
「子連れ狼」の柳生烈堂その人であって
烈堂は拝一刀が最後に戦う相手…。
つまり「子連れ狼」のラスボスとなります。
そして…「鉄の爪」の容姿が烈堂に酷似してるのです。
「笑拳」のエンディングで
♪ててごと ははごと ごとごとと
いっこくばしで まてばよい…♪
とテレビ版の「子連れ狼」の
エンディングテーマ曲「ててご橋」が流れる描写があり
ジャッキー・チェンは「子連れ狼」への敬意を隠す気がサラサラない。
確かに「鉄の爪」のモデルに
「子連れ狼」の列堂を拝借してはいるものの
「鉄の爪」(烈堂)の冷酷非情さに
「鉄の爪」(烈堂)が失った喜怒哀楽の感情で対抗しようと言うのが
ジャッキーの独創なのだ。
「鉄の爪」が執拗に探すチェンという男は行意拳(しんいけん)の使い手で
行意拳の一門は清朝政府に仇名す存在と見做され
「鉄の爪」は行意拳の使い手を
悉く(ことごとく)皆殺しにするよう命を受けているのだ。
チェンにはシンロン(ジャッキー・チェン)という孫がいて
ゆくゆくは行意拳を継がせ一門再興を願っているが
肝心のシンロンは不行跡が治まらず酒・賭博に明け暮れ
素性の知れぬ道場の用心棒をして日銭を稼ぐ日々。
そんなある日「鉄の爪」にチェンの居場所を知られ
チェンは「鉄の爪」に命を奪われる。
直ぐさま仇討ちに及ぼうとしたシンロンを
「八本足」と呼ばれる足の不自由なチェンの弟弟子が制止する。
「今のオマエの力では『鉄の爪』に返り討ちにされるだけだ」と。
シンロンは不行跡を改め,「八本足」の指導の下,行意拳を学び…。
行意拳の奥義…人間なら誰にでもある喜怒哀楽の感情を駆使して
敵を攪乱する拳法の秘奥を学んで行く…。
「喜怒哀楽の感情」は「鉄の爪」がとっくの昔に失ったもので
シンロンが「鉄の爪」に対抗し得る唯一の方法なのだ…。
この映画が始まると直ぐ…
「この作品には配慮が必要と思われる表現がありますが…」
「作品の意図を尊重しオリジナルのまま放送致します」
との但し書きが表示され…。
一体如何なる「配慮が必要と思われる表現」が登場するのかと
大いに期待に胸膨らませたことは言うまでもない。
シンロンが素性の知れない道場の用心棒をしていると
リュウと言う名の道場破りがやって来る。
シンロン「名前は?」
リュウ「リュウ・バッチョンというもんだ」
シンロン「ん?バッカッチョン?」
なるほどなあ。
コレは…「配慮に必要が大アリ」と言える…。
昔朝鮮人を侮蔑する表現のひとつに
「バカチョン」
という言葉があった。
言葉の通り「朝鮮人は馬鹿だ」と言っていて
最早「バカ」と「朝鮮人」が一体化して
「バカチョン」という固有名詞化していたのだ。
取り扱いが非常に簡単なカメラのことを
「バカチョンカメラ」
といい…馬鹿な朝鮮人でも扱える程
取り扱いが簡単なカメラだと言っているのだ。
この「笑拳」には「バカチョン」という表現が何度も登場し
よくもまあこうした侮蔑表現が21世紀にBS放送出来たものだ。
「笑拳」には「バカ」「バカチョン」「ロクデナシ」
「脳ミソの腐った奴等」等々の侮蔑表現が頻出する。
こうした差別は勿論無くなるべきだが…
消音処理で言葉を消すのには反対。
差別を無くすのと
「言葉を消す」ことが等しいとは僕にはどうしても思えないのだ。
最近は消音処理で「無かったことにする」姿勢への反省から
但し書き付きで消音処理しないで放送される様になって嬉しい。
本作の最後で行意拳の喜怒哀楽の感情を発露させる奥義で
シンロンは「鉄の爪」を倒す。
そして乳母車に「八本足」を乗せて
シンロンが乳母車を押しながら退場して話が閉じる。
そのときに流れるのが先程紹介した「ててご橋」と言う訳だ。
つまりこの場面…「子連れ狼」で大五郎が乗った乳母車を
父・拝一刀が押す場面のパロディなのである。
柳生烈堂を喜怒哀楽の感情で倒すジャッキーの創意と
「子連れ狼」に敬意を払い…。
面白いものは何でも取り込む彼の姿勢に敬意を表したい。
ジャッキー・チェンの声の出演は石丸博也さん。
この吹替音源には宮内幸平さん,雨森雅史さん等々の声の名演があり…。
こうした声の名演が
何ら遮られる事なく放映された事に感慨もひとしおなのである。
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