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映画「狭霧の國(さぎりのくに)」レビュー「怪獣を必要としない怪獣映画」

明治42年,存在すら知らなかった双子の兄栄一が死んだ事を養父母から知らされた栄二は 求められるままに覚えも思い入れも無い故郷大分の山間の村に向かう。 そこで栄二は実母から異人と結婚した挙句,神の住まう湖に入水した「恥知らずな伯母」の話を聞く。
伯母には共に入水して死に損ねた盲目の娘・多紀里がいて鬼子として蔵に幽閉されている。 偶然多紀里と出会った栄二は彼女が母との無理心中の際に「青い眼で可哀想だから」ってんで目を潰され盲目となっていた事を知る。 何処にも行き場の無い彼女の儚げな佇まいに惹かれて行く栄二。
だが彼女には恐るべき秘密があるのであった…。

人形による特撮怪獣映画である。35分と尺は短いが人形にしか出せぬ独特な雰囲気にすっかりやられてしまった。 湖の主・神獣ネブラは,ある時は多紀里の命を救い,む勝手な憐憫の情から彼女の青い眼を潰し,無理心中を強要した母親,彼女を鬼子だってんで土蔵に幽閉した叔母,石を投げた村人に, 彼女に変わって「バカヤロー」って吼える存在であって, 彼女に寄り添い・共に泣いてくれる存在として描かれる。

でもね。本作が素晴らしいのは実はネブラの素晴らしさじゃないの。

ネブラが村を破壊して霧の中に消えて行くけど彼女は霧の中に逃げないし,自死にも逃げない。 朝日が差して霧が晴れても彼女は何処にも消えず 「私達は何処へでも行ける」 って言って栄二に手を差し伸べる姿が神獣の百万倍神々しいの。 彼女のちっとも「かわいそう」じゃない姿が素晴らしいのである。

特典映像の声優インタビューでね,多紀里役の金森朱音さんが 「ネブラが壊したのは建造物じゃなくて,しがらみである」 と喝破されてたけど,僕はネブラは彼女に変わって「バカヤロー」って言ってくれて, それで彼女がスッキリして自由自在になれたんだと思う。

でもこっから先はもう誰も助けてくれない。 彼女自身で理不尽に向かって「バカヤロー」って言わなきゃいけない。 自由の重さが双肩にのしかかって来るだろう。でも彼女の表情は晴れやかだ。 明治の終わり・新しい時代の到来って節目にあって僕が彼女に奇妙な共感を覚えるのは本作が平成が終わって・新しい時代の節目に作られた事と無縁ではないだろう。
怪獣映画でありながら本作は「もう怪獣の助けは必要ない」と宣言する「奇妙な怪獣映画」と言える。
僕自身が心に障害を持っている障害者だから過剰に彼女に肩入れしてしまった。
でも彼女も悪いのである。
着崩した着物に着物柄の目隠しして月琴を弾くとかもうね…小生堪らんのである。
月琴なんて横溝正史の「女王蜂」でしか知らねえよ。

エンドロールを観ると 脚本・撮影・照明・美術・編集・録音・特殊効果・合成・人形制作・製作・佐藤大介 ってテロップに啞然とする。
要するに「全部」じゃないか。
本作は佐藤監督個人の驚異的な思い入れと拘りの産物なのである。

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