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最果タヒさんが語った「ことば、の答え。」について

 職業柄、自分は人の話を聞いて、それをわかりやすく文字に起こしたり、また漫画を描いたり、あえてイベントをやったりする。

だから言葉というものに対して、スイッチが入ると敏感になる。

ただ、書く時、いつも絶望する。

なんていうか、その時の臨場感が言葉にすると失ってしまうような感覚がある。

つまり、まだまだ修行中です。

でも、あの時のインタビューの空気を文字がなり、物質的にさせただけでも、まぁいいのかとか思ったり。誰かのもとへ届けたかったわけだし。

本来は言葉って気体のようなものだからね。

言った、言わなかった問題があるように。

これから先、

どれだけAIが自分の身の回りを整備しようが、自分が感じる言葉は絶対に機械化されないはずだし、研ぎ澄ませていくことは、ある意味茶道とか、柔道とかそういう「〇道」系にも通じる。

言語能力を研ぎ澄ますことは、人間の最大の娯楽の一つになっていくのでは。

BRUTUSの2019年8/15日に発売された特集「ことば、の答え。」を思い出した。

表紙の中にある詩人の最果タヒさんの文章が好き。

最果:人と人はわかりあえない、決して。同じ人生を生きることも、同じ生活をすることもないから。それでも、そこを飛び越えていけるのが、言葉であると思います。言葉は、人の内から溢れてくるものというより、常に人と人の狭間を漂うもの。語りかけたり書いて届けたりすることは、狭間にある言葉を揺らし、その振動によって、相手の何かを動かしていくこと。だからこそきっと、相手に伝わるころには、自分の思っていた形とは違うものになっているのだと思います。でも、その違いこそが、言葉が人と人の間にあり続ける理由なのだと思います。

これを言語化した最果さん、スゲェと唸った。

けど、要は自分の中で完璧に言語化できたと思っても、相手に届いた頃には別の形になっているのかもしれないってことが書かれてあって、そうだなぁと思う。

だからこそ言葉があるのだと最果さんは言っている気がする。

ならば、何かを伝えたいと思った時、なるべく自分の中で納得感のある言葉をつくりたいし、それをちゃんと言えるようになりたいと思う。

「ここにボールを投げたい!」って思ったときに、そこにズドンと投げられるコントロールのいいピッチャーというか。

そんな話でした。

人と人の間を行き来する言葉について。

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