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ほぼ日の対談って僕もその隣に座って「へぇ」って聞いてるような気持ちになる。

勝手に僕は糸井重里さんって、サザエさんでいうころの伊佐坂先生的な存在でみている。たまに隣に来てくれて、ニコニコしているおっちゃん(どっちに失礼かわからんけど)って感じ。

もちろん、糸井さんは隣にはいないのだけど、僕にとって糸井さんは「こんな風にモノゴトを見ると、ちょっとはっぴーかもね」ってひょいと存在してくれる人だ。

はっぴーというか「そうそう、そうありたい!」って視点に気づかせてくれる。

スタイリストの伊藤まさこさんと糸井重里さんの対談「この言葉が伝わるときに。」の中から、人との付き合い方について触れた時。

糸井
「嫌い」の話をすると一瞬だけ、
人となかよくなれるんですよ。
伊藤
ああ、そっか。
糸井
ほんとに一瞬だけね。
「あの人のああいうところが嫌い」「そうよね」
と言えたら、ものすごく共感したかのように
思えてしまうんです。
だけどね、悪口って、必ず
よそで自分のことを同じように言われます。
それは当然です。
伊藤
そうそう(笑)、そうなんですよね。
だから、言いたくもないし、
聞かされたくもないです。
糸井
逆に「○○さんのここが好き」という話は、
人に「ええ? そうかな」なんて
言われるだけでしょう。
なかよくもなれませんし、損するだけです。
だけどその「損」が人を作ります。
一瞬の悪口の共感なんて、なくていい。
負け戦の分量がその人の大きさです。
ポーカーの世界一位の人って、
いちばん負けてるらしいよ。

伊藤
へえぇ。
糸井
負けるためには、勝ってなくてはいけません。
「いいよいいよ」と負けてるぶんが、
人の実力だよね。
伊藤
そうかぁ。
「負けてるぶんが実力」
糸井
勝ってなきゃ、負けらんない。
実力のある人が負けるんです。
伊藤
ほんとですね。
糸井
「そんなのいいよ、負けときなよ」
と言えるのは強い人です。
ちょっと多く勝ちがあれば貯金になる。
そうやって、人は大きくなります。

あぁ、そうだなぁ、僕もそうありたいなぁと思う。

一瞬の悪口の共感なんて、なくていい。
負け戦の分量がその人の大きさ、か

とはいえ、半分聞いて、半分聞き流すくらいのたおやかさがないと本当に「先生!」みたいになってしまうから適度に、とは思っています。

ほぼ日の対談って毎回思うんだけど、僕もその隣に座って「へぇ」って聞いてるような気持ちになる。

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