短編小説「ロクさん」

仕事に悩んだら三番倉庫に行くと良い。
と、先輩から言われて僕は工場敷地内の最奥にある三番倉庫に向かった。
三番倉庫は敷地北限の土手を掘り下げた半地下の構造になっていて、主に売れ残りの在庫や回収された不良品が廃棄処分される日を待ちながら収納されている。

その三番倉庫にはロクさんという倉庫番がいて、仕事に行き詰まった社員は誰ともなくロクさんに会いに行く、のだと先輩は言った。

工場や事務棟のある中央部から大きく外れ、人気もない三番倉庫に僕が着いたのは既に終業間際の夕刻で、ロクさんは他に誰もいない三番倉庫の中で水槽のナマズに餌をくれている所だった。

水槽に対してナマズが大きすぎて、もうナマズは身を翻す事もできずに、その皮膚をガラスに押し付けていた。

「ナマズに名前を付けたんだ」とロクさんは言った。ナマズはもう飼い始めて2年にもなるが、漸くこの度名前を付けたのだという。

僕は「ふうん」と言った。
ナマズの名前になんか興味が無いから、如何にも興味が無さそうに「ふうん」と言った。間違っても悠長に「ナマズの名前」の話など聞きたくなかった。

「名前はねえ、レビたん」って言うんだ。
とロクさんは言った。
心底どうでも良かった。

僕は「はん」と鼻で笑った。初対面で年長の人に対して失礼かと思ったが、僕がナマズの名前に興味が無いことを何としてでも知って欲しかった。

「旧約聖書に出てくる怪物の名前から取ったんだよ」
と僕の態度に構わずロクさんさ言った。

レヴィアタンという怪物が旧約聖書に登場する。天地創造の5日目に神が生み出したとされる。
世界を一飲みにできるほど巨大な海の怪物だ。

もし水槽が一つの世界であったなら、水槽いっぱいに膨らんでしまったナマズはレヴィアタンそのものであるかもしれない。

「レビたん」とロクさんはナマズに声を掛けて、それから水槽の硝子をコツコツ叩いた。

ナマズは微塵も動かない。

ロクさんは三番倉庫の倉庫番を拝命して10年になる。
元来、三番倉庫の倉庫番は左遷と同義の言葉であった。
誰も来ない三番倉庫でひたすら動きもしないデッドストックを見張っている役。
倉庫番を拝命した全ての人間がその意味を察して自ら辞めた。
つまりロクさんは10年前に事実上の解雇通告されたのだ。ところがロクさんはその真意が分からず、若しくは開き直って現在でも真面目に倉庫番をしている。
日々増える返品の山を真面目に整理する。尤も廃在庫の山を綺麗に整頓する事に意味など見いだせないのだが。
三番倉庫のデッドストックは不良在庫で廃棄処分にするしかない。しかし処分するにも費用が発生するため、長らくそのままストックされている。
誰からも忘れられる、という意味ではロクさんもデッドストックの仲間であった。

「お話を聞いて欲しいのですが。」と僕は言った。
「いいとも」とロクさんは言った。

「上司から無理な仕事ばかり押し付けられて困ってるんです。いくら残業しても時間が足りません。最近は帰るのも夜中なんです。それなのに仕事がどんどん溜まっていきます。おかしくないですか、まるで苛めですよ。僕ばかり忙しくさせられて。」

「ふうん。」とロクさんは言った。
「僕はどうしたら良いでしょうか。」と僕は言った。

「僕がその仕事やっといてあげるよ。」
とロクさんが言った。

「本当ですか?」と尋ねると
「いいともいいとも」とロクさんは言った。
その言葉を聞いてナマズのレビたんが水槽の中でぎゅるんと反転した。

翌日のこと、僕は仕事の指示書を抱えてロクさんに渡した。

半期決算の前に貸借対照表の各項目の整合性を図らなければいけない。棚卸品、固定資産、リース品など無尽にある各品目のリストを洗い出し、整合させ、明細にまとめる。巨大な工場すべてを書類に起こすようなものだ。膨大な作業は考えるだけで気が遠くなる。

「いいともいいとも」
深く考えることをしないのか、ロクさんは快く引き受けてくれた。

その晩、僕は久々にゆっくりと眠った。

そして明け方、夢を見た。
鶏肉の培養工場で働いていた。
鶏肉細胞片が培養液の中で急速に分裂し成長する。いずれ鶏一匹分の肉量に成長したそれらは全国の鶏肉屋に出荷される。
培養液の水面に鶏肉細胞が浮かぶ。均等に培養液に浸からないと不均衡の鶏肉となるため、浮いてきた肉塊を棒でつついて水底に沈めなければいけない。
浮いてくる肉片を黙々と沈める。途方も無い作業だった。

僕が幾度も肉塊をつついていると、泡がたち、飛沫がたち、そうこうするうちに水面が大きく持ち上がって巨大な怪物が現れた。
レビたんだった。
レビたんが口を開くとその中にロクさんがいた。
「仕事終わったよ。なんてことのない作業だった。」
と、ロクさんは笑って言った。

数日経った約束の日、僕は再び三番倉庫に向かった。ロクさんが終わらせてくれた仕事を受け取る手筈になっている。

工場敷地内の最奥、三番倉庫に向かって歩く。この道程を、僕はなるべく人目を避けて歩いた。何故かは説明できないが、ロクさんに会っている所を誰かに見られるのが恥ずかしかった。

僕が三番倉庫に着いた時、倉庫の中ではロクさんはレビたんに餌をあげていた。

硝子に押し付けられたレビたんの鰓が不気味に蠢いていた。レビたんもまた呼吸をしているのだ。

「仕事は終わったでしょうか。」僕は尋ねた。
「うん。」とロクさんは言った。
「それが未だ終わってないんだ、明日また来てくれる?」

僕はむっとした。約束と違う、のではないか。
「締切は今日なんです。」と僕は言った。
その僕にロクさんは手を合わせて「ごめん」と言った。

出来て無いものは仕方ない。僕はその場を後にした。
仕事を提出することになっていたが、其の日、上司からは何も言われなかった。

翌日、僕は再び第三倉庫に行った。
ロクさんは再び手を合わせて、「ごめん」と言った。「未だ出来てないんだ。」
再び僕は憤懣とした。だが仕方ない。僕は仕事をロクさんに任せたのだ。任せた以上、ロクさんのペースで仕事をして貰うより他ない。其の日もまた、僕は手ぶらで第三倉庫を後にした。
事務棟のデスクに戻った僕に上司が言った。
「此の前の書類はどうした。締切は昨日だった筈だが。」

答えようがなかった。人に預けたとは言えない。こんな事なら自分でやれば良かった。結局ロクさんに任せたばかりにその尻拭いをさせられるのだ。
「明日まで待って下さい。なんとかやっている最中なんです。」
僕はそう言った。
上司は「いったい何をやってるんだ」と責めた。
「すみません」僕は頭を下げ続けた。
自分の所為でもないのに謝るのは気分が悪かった。
もう、これは待てないぞ、僕は思った。明日は何としてでも仕事は持ち帰る。

その翌日。苛々しながら現れた僕に
「仕事、終わらなかった。」とロクサンは言った。
「えへへ」と笑っている。
僕は憤懣と義憤で満ちている。こんなにゾンザイでいい加減な人間もいるのだ。会社にとって害悪そのものだ。僕の労働が生み出す対価はこのような役立たずの金食い虫に浪費されるのだ。
「もう良いですよ、出来た所まで受け取ります。」
僕は渡していた書類を預かった。その書類を見ると何も、何一つ、手を付けられていない。取り組もうとした痕跡すら見当たらない。

絶望。
昨日の上司の様子からしてもう待てる雰囲気ではない。
今から徹夜でやったとしても作業の十分の一も終わらない。

続いて殺意。
許せない。

「締切は過ぎてるんですよ。」声を震わせて僕は言った。
「一体どうするんですか?」

「出来ないなら、どうして引き受けたんです。出来ないなら、どうして待たせるような真似をしたんです。」

ロクさんは言った。
「ロクさん、難しいことは分からないよ。」

目撃者など現れようもない此処で、目の前の役立たずを鏖殺する事も考えたが、この男をxxxxxしても問題は全く解決しないのだ。血の気が引いたままデスクに戻った僕に、やはり苛々した上司が言った。
「早く書類を出せ。締切は過ぎてるんだぞ。」

僕は観念して洗いざらい白状した。
上司は口を開かなかった。
人間は極限に怒ると口をきけなくなるものだ。
顔面が蒼白となって無表情のまま僕を見下した。

翌日、僕は異動になった。配属先は三番倉庫だった。

異動になった事を伝えるとロクさんは「ふうん。」と言った。
此うなった以上、僕はもう仕事を辞める、そう伝えた。

ロクさんは「ふうん」と言った。
そしてナマズのレビたんに餌をあげた。
レビたんは硝子の水槽の中でぎゅるんと反転した。水槽が揺れて飛沫が上がった。
レビたんと目が合った、気がした。

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それから一年が過ぎた。
僕は相変わらず三番倉庫にいる。
日々、堆積するストックを整理しながら、この一年を無為に過ごしている。新たに覚えた仕事も新たに得た知識もない。活用方法もない死んだ在庫を眺め続けた一年だった。
そんな僕のためにロクさんは水槽を増やしてくれた。レビたんの隣の水槽で僕は金魚を飼い始めていた。
小さな和金たちであった。時折卵を産んで殖える。殖える時には卵を産み付けられた水草を隔離するのだ。
レビたんも可愛いが金魚たちも可愛かった。名前を付けたい衝動に駆られたが止めた。
金魚たちはレビたんの餌として飼われているのだ。当初、僕はロクさんに抗議をした。金魚が可哀相だ、と。ロクさんは「そうだよね」と同調するような相槌をしたものの、その端から金魚を摘んではレビたんにくれていた。ロクさんはレビたんを飼育し、僕はレビたんの餌になる金魚を飼育した。
餌だとしても金魚は可愛いし、レビたんの事もまた僕は愛していたのだ。

正直に告白すれば、僕にとって第三倉庫の生活は何一つ不自由はなかった。
それまで味わったことのないような安穏、そして平和そのものであった。毎日出社して第三倉庫に向かい、昼食は第三倉庫の中で食べた。社食に行くことも、人でごった返した休憩室に行くことも無くなった。昼食の後に午後を過ごし、定時を過ぎたら好きな時間に帰る。一日の間、僕は殆ど誰にも会わなかった。

一度、社内で以前の上司と擦れ違った。
蔑んだ目で「ボンクラ」と呼ばれた。
そう呼ばれて素直に「はい」と返事をした。一瞬、驚いた顔をしてから上司は無言で立ち去った。きっと僕が怒るとか悲しむとか、そういう所を見たかったのだろう。詰まらない、上司の心の声が聞こえた。

誰も用がない第三倉庫であったが実の所、来訪者は絶えなかった。「何か困ったら第三倉庫に行け」この言葉は依然流布していた。訪れるのは先輩社員から其のように言われて半信半疑のまま現れる新入社員、それから何故か第三倉庫のリピーターになった中堅社員であった。
どの社員も人目を偲んでこっそりと来訪するのが常であった。

ロクさんに会う事は恥ずかしい事とされた。

だがロクさんは誰が来たときも変わらない。
ロクさんはロクさんであった。
浅慮でいい加減であった。
どの社員も心の中でロクさんを馬鹿にしていた。
何故「困った時に第三倉庫に行く」のが良いのか僕には知れない。僕の時と同じくどの社員にもロクさんの対応はいい加減なものだった。
仕事の厄を第三倉庫に落とすのだ、そんな声も聞こえた。そんな輩に取って第三倉庫は穢を落とす忌み場所なのだ。
働き者が多いこの会社の中で、下らない愚痴を聞く暇を持て余してるのはロクさんしかいない。そのような揶揄もあった。
人目を偲んで第三倉庫に通う者の中にはロクさんに話を聞いて貰うと何故かその後に上手く事が運ぶのだ、と語る者もいる。
一部の社員から第三倉庫は「ちょっと変わったパワースポット」として扱われてもいた。
第三倉庫に行くときに誰かに見つかると心願が成就されない、ある女子社員はそう語った。ちなみにこの女子社員の相談は不倫相手を呪い殺したい、そんな類の話であった。
その女子社員の長々とした呪詛を聞き終えた時、ロクさんは「大変だねえ」と言って話を打ち切った。

其のようにロクさんは如何なる時もいい加減なので怒って帰る社員もいる。二度と寄り付かない。それでも後から第三倉庫に現れる社員は絶たない。

ロクさんの傍にいて、僕もまた変化したように思われる。

以前の僕は如何に仕事を上手にこなし、如何に上等の仕事を仕上げるか、其処に最もの価値を置いていたように思う。だがロクさんの傍らで多くの社員の悩み事を聞いていると、どうも仕事というものは「其ういうもの」ではないような気がしてきた。
仕事が出来ても恨まれたり、嫌われたりする人間は多く、仕事が出来ずともチームの要になっている人間も多いようであった。
時に僕はかつての自分を振り返った。それなりに立派な仕事をしていたように思う。だがそんな僕を必要としてくれる人間はどれ程居ただろうか。
僕が第三倉庫に左遷されて、代わりの労働力が投入されてチームは全く元通りに機能している。もしかしたら僕が居たときよりも円滑に。
僕がおらずとも困らないなら、一体僕はかつての場所で何をしていたんだろう。
と、そんな事を思うようになった。だからといって今の僕がかつての僕より有用の人間になったのかといえば、そんな事もない。
ただ単に自分が「ボンクラ」であることに気が付いた、それだけの話だ。

その「ボンクラ」である所の僕に第三倉庫の空気は、ロクさんは、レビたんや金魚たちは、そして大量の不良在庫は実に居心地が良かったのだ。

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ある日。ナマズに餌(金魚)をあげていたロクさんが言った。
「地震が来るよ。」
それで僕たちはせっせと第三倉庫に積み上げられた荷物の整理をした。
うず高く積まれた在庫品が地震で崩れて、僕たちや水槽にぶつからないよう箱を動かしたり入れ替えたりと働いた。
偶々第三倉庫を訪れ、其れを見た人達は大いに笑った。
彼らの反応は何時も得てしてそんなものだった。だが僕もロクさんも荷物整理を止めなかった。
それから本当に地震が来た。
但し、巷間の話題にも上らぬような小さな地震ではあったが。
直ぐに揺れは治まって社会的に何も影響は無かった。

勿論、会社にも第三倉庫にも何も被害は無かった。
だがその小さな地震の影響で、人間が感知できないような微細の振動が連続すると会社の製造物が誤作動を起こすという欠陥が見つかった。この欠陥により大量のリコールが発生した。
これは比較的有名なニュースになり、連日会社の役員が記者会見を行う羽目に陥った。
リコールへの対応をどのようにするのだろうか、と僕とロクさんは当該の記者会見をテレビで観ながら話し合った。
リコールの規模が大きく会社の存続を揺るがしかねない、世間の関心は其処にも集まった。
テレビの中の重役たちの顔は憔悴しきっていた。
僕たちはその日、ロクさんが買ってきた「山ぐり」の羊羹をお茶受けに、篤志の方から頂いた「今年の新茶」を飲んでいた。
「大変そうですね。」
と僕は言った。
「今から代替の部品を開発して、製造するなんて。」
部品の開発費、製造費、交換に係る作業費。この損失は計り知れない。もしかしたらこの会社は潰れてしまうんじゃないか、と世間の目する所に同じく僕も思っていた。
でもだからと言って、第三倉庫の倉庫番である僕にどうこうできる問題ではない。
「僕たち」は、そして「第三倉庫」はこの問題の蚊帳の外にいる。この認識について、僕はロクさんの見解も変わらないだろう、と思っていた。

だが違った。

「これは他人事じゃないんだよ。」とロクさんは言った。
「事故と不祥事は社内全体の責任なんだから。」

そしてロクさんは菓子楊枝に刺した羊羹を口にほうぼった。羊羹を新茶に溶かすようにゆっくりと咀嚼する。
濃い目に入れた新茶の香ばしさと苦味。微かな渋味。其れらと羊羹が持つ深い甘味は実に和合した。

おやつを食べ終えてロクさんは開発部に内線電話を掛けた。
ロクさんは社内に沢山の知り合いがいる。ロクさんが話を聞いた人間はあらゆる部署、あらゆる役職に跨るのだ。

「第三倉庫に眠っている廃棄品なんだけどね。」とロクさんは話し出した。
無尽蔵にある第三倉庫のデッドストックについてロクさんは呆れる程、熟知しているのだ。
「使われている部品がリコールの修理に流用できる筈だ。」とロクさんは開発部に伝えた。
「これを使えば大量のリコールにも対応できる。新たな部品の開発も製造も必要ない。」

すぐさま開発部の人間が飛んできた。
「全く盲点だ」
と開発部は言った。
なにせその廃物が第三倉庫に持ち込まれたのはもう五年も昔で、開発部の人間ですら、そんな製造物の存在は忘れていたのだ。
ロクさんの差し出した廃品を一つ取って開発部の人間は研究室に持ち帰った。
そして翌日にはもっと沢山の人間が第三倉庫に現れて、次々と件の廃部品を運び去った。

更に翌日には僕も知ってるような偉い人が直々にロクさんの所に来て一言二言言葉を交わした。
偉い人を前にしてもロクさんはロクさんだった。
相変わらずの浅慮でいい加減な対応だった。

次の日、記者会見に臨んでいた重役の一人が心労で倒れた、とニュースで報じられた。
連日の記者会見、鳴り止まない苦情の電話、世間からの猜疑の目に社内の誰もが逼迫し限界を感じていた。
其の次の日にはまた他の重役が心労で倒れた。今度は喀血のオマケ付きだった。
其の翌日、緊急で開かれた株主総会の場で心労に耐え兼ねた社長が急遽、辞任を表明した。株主総会は混乱と飛び交う怒号の中、無理矢理幕を閉じた。

至急、次期社長を立てなければならない。だが此の状況下で会社を牽引しようとする者など誰もいなかった。
そんな折に先日第三倉庫に現れた偉い人が再びロクさんの前に現れた。

その日僕たちはロクさんの買ってきたバウムクーヘンをお茶菓子に午後のお茶を嗜んでいた。

偉い人はお茶を飲むロクさんに何事か一言二言申し伝えていた。それに対してロクサンは相変わらずの浅慮を以て、難なく頷いた、ように見えた。

「何の話だったんですか」
偉い人が帰った後に僕はロクさんに尋ねた。
「ロクさん、難しい事はよく分からないなあ。」
いつも通りの返事であった。

次の日、もうロクさんは第三倉庫に現れなかった。
レビたんへの餌は僕が与えた。金魚を摘んでレビたんの口元に入れる。狭い水槽の中で体の凝りを解すように身を反転する大ナマズ。その度に水槽は軋んで飛沫を立てる。
レビたんと目が合った、気がした。
「レビたん」
僕は名前を呼んで硝子をコツコツ叩く。
当然ながらレビたんから返事はない。
硝子に押し付けられた鰓が生なましく開閉していた。
レビたんは呼吸をしている。
僕は隣の水槽から再び金魚を取り出して、またレビたんにくれた。
身を捻ってレビたんはその金魚も丸呑みにした。


次の日もロクさんは現れない。
その代わりテレビの中にロクさんは居た。
渦中の企業が擁立した新社長として。

ロクさんは報道陣を前に、色々喋りたそうにしていたが、周りの重役に阻まれて殆ど喋ることなく退席した。
どうせ喋れば顰蹙を買うのは目に見えている。

ロクさんらしいなあ、と僕は思わず笑ってしまった。

(短編小説「ロクさん」村崎懐炉)

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