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短編小説「ヘルン先生と骨、1901年」

玉木光栄たまきあきひでが手提げの提灯に火を入れると、小さな点火が煤を吹いて、それから仄火となってちりちりと揺れた。

地面に措かれた提灯が、細長の火影を作る。火影の周りに二、三人の子供らの華奢なアンヨが見える。かずおとぜんさくと、おさきの三人のアンヨだ。かずおは八歳になる。ぜんさくは同い年だ。おさきはそれより、少し大きい。もう地元の尋常小学校に通っている。玉木光栄は第一高等中学校の学生であるから、子供らに比べて身体もすっかり大きい。肉体に精悍がある。

玉木光栄の手によって扁平の大きな丸石が、火影のcircleの中に置かれた。
子らは、それを見ている。ぜんさくの鼻息がぶふ、と鳴った。歓気がうずうずと堪えきれない。かずおの鼻息もぶふ、と鳴った。

丸いアンフィテアトルムが出来上がると玉木は言った。
「蟹を捕まえておいで」
そう言われて子供たちはやいやいと歓声を上げて、夫々の方向に駆けた。
蟹は河岸の土辺に横穴を掘って暮らしている。夜になると穴から這い出て月下に並ぶ。あまり動かない。子どもらは小さな手をお椀の形にして、被せるように蟹を攫う。沢山捕れる。平素は東京に暮らすかずおよりも、地元に暮らしているぜんさくの方が、蟹取りは上手い。かずおが蟹を捕まえるうちに、もう三匹も捕まえている。

「戻っておいで!」
玉木が言った。

かずおは二匹の蟹を捕まえた。ぜんさくは小さな両手に五匹の蟹を捕まえている。さきは一匹捕まえた。
子らの、手掌てのひらの中で蟹が這う。鉗脚で手掌の皮膚を掻く。
それを円形舞台の上に広げた。
「早く早く」
かずおが言った。
「よし」
と言って玉木は夕べに筆箱の中に捕まえていた大きなアシダカグモを、蟹の群れの真ん中に置いた。
「合戦ゝゝ」
ぜんさくが囃した。
かずおとぜんさくは大きなアシダカグモが小さな蟹を蹂躙する事を期待していた。若しくは蟹の群れが蜘蛛に襲いかかり、バラバラに解体していく事を期待していた。肉食生物による生の渇望を所望した。が、ふたつの生き物は灯火の下で動かない。全く萎えている。それで彼らは、蟹のうち一匹を潰した。割れた殻を拾って棄てて、円形舞台の中央に身肉を晒した。だが周囲の蟹たちも蜘蛛も、生鮮の死肉に興味は無かった。三々五々、散り散りに舞台から退場して、灯火のcircleには潰れた蟹だけが残った。
子供たちの影が地面に長く伸びて揺れた。

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短編小説「ヘルン先生と骨、1901年」

作、御首了一


Opening theme
Nishino kobayashi
ゆらめき

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ヘルン先生は箸を使って和食を食すが、魚の小骨を取る事は苦手で、魚を厭うて牛肉ばかり食べたがる。
「骨、骨、骨!」
先生がアジの干物を前に嘆く。
「ナンボ、小サイ骨、バカリ!」
再た、口から骨を出した。
「ワタシ、ヒモノ、好キ、ナイ!」
「先生、好き嫌いはいけません」
と、玉木は言った。子供が見ている。好き嫌いは教育に悪い。
「ヒモノ、美味しいじゃありませんか」
「ナイ!オ刺身、食ベタイ!マグロ!」
ヘルン先生は言った。
玉木は困った。こんな時に先生の愛妻であれば、何と彼を宥めたものだろう。

—-

玉木光栄が師たるヘルン先生と共にS県焼津を訪れるのは、本年、明治三十四年が初めての事である。ヘルン宅の書生である玉木はヘルン先生とその子息であるかずおの夏季休暇に同行している。一行が焼津に滞在する間は魚乙という魚屋に下宿している。気障で軽薄なヘルン先生の友人、田村豊久氏はS県によしみがあって、都合の良い下宿を紹介して貰った。ヘルン先生が魚屋の店主、山口乙吉の実直の人柄に親愛を感じて、彼の下に下宿するは既に三度目の夏となる。
魚屋であるから、下宿はいつも臓物の匂いがしている。窓を閉じれば陰気に淀んだ臓物の匂いが部屋を満たし、窓を開ければ新鮮の臓物の匂いに満たされる。微細の吸血怪獣たるノミが多い。ヘルン先生に吸血してノミはよくふとった。
団扇を扇いでも払えぬ湿気。拭えぬ暑さ。直下に照りつける太陽と、海からの反射光。二つの太陽を持つ焼津村は熱帯である。
そうした東京には無い幾つかの事ごとに目を瞑れば焼津でのvacanceは楽しいものだった。
玉木光栄は窓外を見た。
夜に、虚空蔵尊こくうぞうそんの山は黒い巨人のようだ。

夕食後に、皆々が魚乙の二階の座敷、ヘルン先生一向の寝泊まりする寝所に集まっていた。代わる代わるに、他愛ない雑話を披露する。ヘルン先生も子供らに混じって乙吉の昔話に聞き入っている。
先生の帽子の中には、先日拾った黒猫が寝ている。
黒猫は撫でると静電気が起きてパチパチと鳴るので「ヒノコ」と名付けられた。親猫の居ない孤独の猫だ。
気障で軽薄の田村氏もいつの間にやら一向に合流し、夕食後の座興に混じっている。彼は先頃まで中等学校で教鞭を執っていたが、いまは隠遁して牛込の、ヘルン先生の宅の近くに暮らしている。土地を持っているので働く必要がない。不労所得者である。其れが益々彼の軽佻浮薄を増長せしめる。彼はS県の縁故が強い為、夏にヘルン先生らが焼津に来ると、誰知るとなく知らぬ間に現れて、気付けばかずお達を相手に遊んでいる。

「客人が屋敷の主人を待っていると何処からか、小僧さんが来ましてナ、床の間の掛け軸をクルクルして遊んでいる。客人がホイ、アナタ、オヨシナサイと小僧さんを窘めますとナ……」


月白の明かるい静かな夜だ。
遠く、渚に寄せて返す波の音までが聞こえるよう。
遠く、虚空蔵のお山の夜蝉の声までが聞こえるよう。
遠く、村の集会場で子供らがしゃぎりの練習をしている音まで聞こえるよう。この村ではひと月後に大きな祭りを控えている。お盆の日の大行列を組んで行われる神輿渡御、小石川では精霊流し。三日をかけて村が総出となって祭りを行う。最終日の精霊流しで、小石川に浮かんだ燈籠は灯りを湛えたまま、海に出ていく。沖へ、遙か海の彼方にある常世の国へと向かったそれを人々は無言で見送る。死者の魂が灯篭に乗っているのだ。誰も喋らない。古来より受け継がれる無音の美だ。今年、町制再編で焼津村は焼津町になった。慶事に村中が沸き立っている。今年の祭りは賑やかなものになるだろう。

「その小僧さんは客人に、ダマレと申しまして、くるりと振り返ると、ハレ、目がひとつしかない!」

突然、雨が降り出した、熱帯のsquallのような。急に暗くなった視界に、わあっ、と子供らが叫んだ。

窓外の世界はsquallで消えてしまった。黒い虚空蔵のお山も、海へと続く黒い川も、漁村の町並みも。

雨が家々の屋根を叩く。
その粗暴の音に、彼らの声は掻き消える。

—-

「小サイ可愛イママサマ。一雄ハ今日モタクサン泳ギマシタ。夜ノ海、トテモキレイ。遠クマデ泳ギマス。」
ヘルン先生が東京で留守居をしている奥様に手紙を書いている。
乙吉らは階下に戻った。朝の早い仕事なので、もう寝てしまった。田村氏は酒色を求めて何処かに消えた。
二階の部屋にはヘルン先生とかずおと玉木だけになった。かずおは布団に入って眠った。目を開いた儘、寝息を立てている。
玉木は今晩も寝付けずにいる。枕が変わった所為か、焼津に来てから不眠が続く。人生の先達である田村氏に相談したら、数冊の本を貸してくれた。その中の一冊がツルゲエネフの訳本で、女が身分の異なる男と恋慕に成り、成ったが故に蔑まれる、そんな話だった。踏みにじられる毎に、女の一途は清廉を増した。届かぬ恋慕が女を美しくする。被虐される関係の寄るべない複雑の機微を垣間見た。何故か、玉木は幾度もこの本を読んだ。

「小サイ、ママサマト、巌ニ、セップン。」
ヘルン先生ハ手紙を書き終えた。書き終えて、其れを玉木に見せた。間違いがあれば正せ、と云う。

玉木は手紙を読んだ。細かな話をすると先生は怒るので、誤字脱字は指摘しない。漢字が少なく殆どをカナ文字で書くので読みにくい。が、それも指摘しない。

「ドウデスカ?」
「間違い、無いです」
玉木は言った。
「この黒い猫は?」
手紙の端に二匹の黒猫が描いてある。一匹は先日拾った鴉猫のヒノコであろう。先生の帽子が気に入って、今も寝床にしている。もう一匹は?
「ヒノコノ、コイビト、描キマシタ」と、ヘルン先生は言った。

なんというロマンチカ!
玉木は驚いた。
全く先生は異国人ながら、先程のツルゲエネフに出てくる悪漢とは大違いだ。この手紙全体から溢れる惜しみない恋慕!先生の描く小説は魑魅魍魎犇めく怪奇小説だに、当の先生は斯くの如き恋愛・小説家だ。

「アナタ、イカ二、オモイマスカ?」
そう尋ねるヘルン先生の、白濁した片目がぐるんと回転した。
先生であれば、ツルゲエネフの田舎娘に何と言葉を掛けるだろう。先生であれば、泣き崩れる女に同情の包布を掛けて共に泣くだろう。先生であれば、農奴の娘の泣き顔にキングズレーの詩を捧げるだろう。
嗚呼、僕は、先生に接吻の漢字を教えて差し上げたい!と、玉木は思う。

「宜しいかと」
玉木は裡なる情動を隠し、努めて平坦に返事をした。後は何ンにも言わない。

再た、先生の左の盲眼がぐるんと回転した。玉木の反応に満足した様子だ。

—-

朝。
かずおとヘルン先生が、朝食前に浜辺に泳ぎに行くというので、玉木光栄も付き合った。
本当は田村氏も誘ったが、氏は昨晩、何処かで深酒をしていたらしく、二日酔いで起き上がれないらしい。まだ酒を嗜む歳ではない玉木は、田村の不浄が好きでは無い。いつも酒と煙草と女の匂いがする。
かずおは泳ぎが達者で先生と一緒に何処までも泳いでいってしまう。先生はもっと泳ぎが達者だ。何処までも泳げる。
玉木はdolphinのような二人を浜辺で見ている。

穏やかな海。
水平線までさんざめく光礫に輝いている。

「コノ海、殺シマシタ、多キ、ヒト」
海から戻り、体を乾かしながらヘルン先生が言った。
「前ノ年、ソノ前ノ年、タクサン、タクサン」

一昨年。台風によって海岸の防波堤が決壊し、洪水が数十戸の家屋を破壊した。突然の激浪に、逃げ遅れた人間は死んだ。水がはけた後に三、四十の死体が並んだ。赤児を背負ったまま溺れた母親もいた。ある一家は家屋に閉じ込められ、浸水の嵩が増す中で、嬰児だけは救けようと嬰児を天井の梁に括ったが、嬰児を梁に括った儘、家屋は無惨に倒壊し、全員死体となって見つかった。それがたった一昨年前の事。

昨年11月にも駿河湾では多くの人間が死んだ。東京商船高等学校の学生79人を乗せた練習船、月島丸が室蘭から清水港へ向かう途中の、駿河湾沖で台風に遭遇し、行方不明となった。数日間捜索が行われ、連日新聞で報道されたが確たる証拠は見つからず、とうとう沈没したのだと結論された。乗組員は学生含めて122人。明治開闢以来最大の海難事故となった。
失踪から暫く後に、沼津の静浦海岸に船長松本航平の死体と給仕係の死体が上がったきりで、若さと希望に満ち溢れた紅顔の青年達の亡骸は一人とて帰らなかった。死んだ学生の中には、ラフカジオ・ヘルンの既知も居た。直近までヘルン宅で書生をしていた新美資雄である。

新美資雄は、ヘルン先生が東京暮らしに於いて初めて宅内に入れた書生で、彼が高等学校を一昨年に卒業するまでの四年間を共に過ごした。S県の士族の家柄で所作が能く、物腰は柔和、頭脳も聡明で、ヘルン宅内の車夫や女中に至る迄の誰からも好かれた。
特に女中達から慕われた。
「ヘルン邸の草雲雀」それが新美の通り名である。
新美資雄が卒業した後、弟である新美資良がヘルン先生の書生になった。玉木が書生になったのも同じ頃である。新美資雄は卒業後もよくヘルン先生宅を訪れたので、玉木も何度も彼に会った。
「やあ、」と新美の兄は玉木に挨拶した。東京風の挨拶だった。
好漢だ。玉木は新美の兄が好きになった。
ヘルン先生は彼の聡明を好いた。彼らが絶え間なく往復書簡を続けていた事を玉木は知っている。だが、新美資雄は海に沈んだ。未だ若く、前途洋洋の美青年の死体は帰らない。新美の実家に空の骨壷が仕舞われている。

また昨年の焼津に、ヘルン先生宅のオオジジ様が同行したが、旅の途中に体調を崩し、東京に戻ってすぐに死んでしまった。

オオジジ様や新美資雄、共に暮らした人々の死が悲しい。希臘国ぎりしゃの小島に生まれ、大世界の各地に住処を転々としたヘルンの少年時代は父母なるものに恵まれず、家族と暮らした事がない。その反動なのか、ヘルンの牛込の宅はヘルンと妻子、妻の養父母にあたる稲垣のオオジジ様とオオババ様。書生たち、女中たち。お抱えの車夫。など大勢の人間が暮らしていた。ヘルン先生の集めた家族なるものが、剥片を削ぐように消えていく。

ヘルン先生の隻眼は海の彼方の常世の国を見つめているようだ。ヘルン先生に数多の幽世かくりょの魂が纏わるようだ。

抜けるような空色に未だ早朝の乾いた海風が吹く。その風が渚のヘルン先生と、かずお少年、玉木光栄の間を吹き抜く。
漁船が数隻操業している。

「穏やかだ」
玉木は言った。

新見資雄の肉体はちりぢりに散逸して海になった。海には一体どれ程の死が含まれているのだろう。海の泡のひとつずつ、白砂の砂礫のひとつずつが死の表象なのだ。

「ホーイ!」
乙吉が三人を迎えに来た。
「朝ご飯の時間でさア」

乙吉とヘルン先生、かずおと玉木が宿へと帰る道すがら、先生が首無地蔵を見つけた。
風磨風食によって両腕が無くなり、地蔵である事はかろうじて首周りに巻かれている襤褸らんるの赤布によって判別できる。
首が無い。

「乙吉サマ」とヘルン先生は言った。
「コノ、ホトケサマ、首、アリマセン」
「ああ、」と乙吉は言った。
「落ちてまさアね」
「コノ石、ホトケサマノ、アタマ、デスカ?」
「古いお地蔵様ですけ、頭も削れっちまったんでしょう」

近くに子どもの頭の大きさの丸石が落ちている。これが地蔵の首に違い無かった。

「……コノ、首、載セマス」ヘルン先生は言った。
「ええ?」

ヘルン先生は落ちていた丸石を憤々云いがら苦心して持ち上げた。乙吉が手伝おうと申し出たが其れを断り、地蔵の上に置いた。
玉木には粗末な石くれの上に、粗末な石くれが乗ったようにしか見えないが、ヘルン先生は信心深く両手を合わせた。

「何ノホトケ、デスカ?」
「波除け地蔵、とありまさアね」
「ナミヨケ?」
「ツナミ、でさア」
「オウ……、TSUNAMI、コワイ」

そう言ってヘルン先生はまた手を合わした。
「コワイ、コワイ……」
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朝食が並んだ卓袱台の、籠の中に鶏卵が五、六個積まれている。ヘルン氏の食べる生卵である。ヘルン氏はぼんやりしながら、卵を割って椀に落とした。
そうして、椀の中の卵黄を今度は食べもせで、じっと見詰めている。

「オウ……」
いつまでも進まぬ食事を見かねて、かずおが声を掛けた。
「パパさま、ごはんを、食べてください」

「オウ……」
今度はかずおの顔を見ながら心此処にあらず。譫言うわごとを呟く。

「クビ……、アタマ……、ナマクビ……」
朝餉の膳に似つかない物騒の言葉が続く。それから、
「カズオ……」
眼前の愛児の名前を呟いた。

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宿酔ふつかよひの田村氏が起きてきたのはその日の昼前であったが、煉獄に焼かれる餓鬼のような目付きをしたヘルン先生につとに捕まり何処かに連れて行かれて仕舞った。

小一時間、ヘルン先生は外出をした。帰ってくるなり猛烈果敢に書状をしたため、疾風怒濤に郵便局に差し出した。

「なんですか?」と玉木は聞いた。
「地蔵の首を作るンだ、と先生は興奮してらっしゃる」と、田村氏は言った。

「最初、かずお坊ちゃんの顔を石屋に彫らせて地蔵の首にするって言わしゃったが、何だかおかしな話だもんで坊ちゃんの顔は止しましょう、と石春の親方と俺で何とか説得してさ。長い時間かけて説得して結局、坊ちゃんの名義で地蔵の首を奉納する、という事で落ち着いたんだ」

ヘルン先生が先日取り寄せた亜米利加文学の御本に、阿蘭陀に暮らす「はんす」という少年が堤防に開いた孔に腕を突っ込み、堤防の決壊を防いだという話があった。この話は二十年程前に書かれた御伽噺である。御伽噺であるのだが面白いことに当地の阿蘭陀でこの話は流行し、「はんす」少年を称える銅像が作られたという。そうして、銅像が作られて十年も経つと、もはや現地の人々は「はんす」少年の実在を信じて疑わない。

TSUNAMIから町を守護する小さな英雄の像としてヘルン先生は「かずおちゃん」の顔を地蔵に置く事を考えたのだろう。古代羅馬国ローマの立像のように、神や英雄の彫像であれば、似姿をかたどる事もやぶさかでないが、波除地蔵の顔が「かずおちゃん」である事は田村氏が言う通り、どうにも良からぬものを感じる。
が、その薄気味悪さの正体を玉木も、田村氏も石春の親方も上手に説明できない。
結果として、説明できないまでも説得して、かずおの首を地蔵の首にする事は防げたのであるから、此度の田村氏の功績は大きい。女好きの酒好きで、不倫徳で宿酔の田村氏もいざとなれば、中学校校長を歴任した倫理道徳を発揮するのである。玉木は素直に田村氏を見直した。

「だがね、」と田村氏は気不味い顔をした。
「ヘルン先生はかずお坊ちゃんで無いなら、誰の首にするんだと仰るんだよ」
「ええ?」
地蔵の顔は地蔵の顔だ。誰の似姿である必要は無い。

「そうなんだ、地蔵の顔は地蔵の顔だろう?それが先生には伝わらない。終いには先生もかんかんになって危うく俺は絶交されかけた」
「結局どうなったんです?」
「其処の宅の善作坊やの顔にする事で手を打った」
「アナタ、勝手によそ様の子どもを……」
「だって仕様がないじゃない」

欧米芸術は石像を作るに実在の人間を見ながら石を彫る。これは先生と仲の良いフェノロサ博士から玉木が聞いた話だ。日本に於いても、そのような彫り方はあるのだろうが、そも日本では木像を彫るには木に聞けば良い。日本はどんな形に成りたいか木に聞けば、木の方で答えてくれるくらいの神国であるから、地蔵の顔だって、石に尋ねれば自ずと地蔵の顔が出来上がる。
だが、玉木に木の精、石の精という形の無い、もやもやした怪力乱神の類はヘルン氏に説明しきれるもので無い。

いづれにせよ。目下の問題はかずおであろうと、ぜんさくであろうとお子様の顔が波除祈願の地蔵の顔になる事である。
この町に洪水が起きて地蔵が暴浪に砕けたら、地蔵の似姿のぜんさく迄一緒に砕けて仕舞いそうだ。

先程、先生の書いた書文は東京の奥様に宛てたものだろう。自らの最高の発案に鼻高々のしたり顔、欣喜雀躍の文面が連なる事も想像に難くない。

「どうします?」
玉木は田村氏に言った。
田村氏は暫く思案顔をしていたが、何もかもが面倒になったとみえて、不図ふと、明るくなって放言した。
「仕様が無いんじゃないの?」
田村氏にとってみれば呪術的な観点からご子息を安全が守った事で自分の仕事は終わったと観念したのだ。一度観念すれば後は我関せず焉と安穏だ。
「俺のご飯残ってる?」
欠伸をしながら田村が言った。
「白米の上にシラスと大根おろしなんてあると良いねえ」
「白米もシラスも大根おろしもありますが、、、」と、玉木は田村氏に或る御願いをした。
「そんな事ならお易い御用だが、俺はもう本件には関わらないぜ?」

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石春の親方が、地蔵の顔を描いてきた。

「コノ、カオ、最モ、ワルイ!」
ヘルン先生は石春に真っ向から激昂した。その騒ぎで玉木も田村も子どもらも集まってきた。
石春の描いた地蔵の顔は、難なく地蔵の顔である。無難だ。誰がどう見ても地蔵菩薩である。
「先生、何が気に入らないんで?」
田村氏が言った。
「コノ顔、ゼンサク、ノ顔、アリマセン!」

一同は、「それはそうだろう」と心裡に思う。石春の親方が気を利かせて、問題をぼかしたのだ。
「この目の端はぜんさくちゃんに似ていますよ」
玉木は言った。
「ナイ!」
ヘルン先生は吠えた。
一同は困って仕舞った。

—-

「大体ね……」
波除地蔵と名前は付いていても、風雨に晒され続け、今や彫刻は摩耗して細長のゴツゴツした石塊、赤布を取って海岸に放れば、もうどれが地蔵か分からない。

「そんなものに……」
写実の顔だけ乗せたら、気味が悪い。
と、一同は思うのだが。

「ナイ!」
ヘルン先生は分かって頂けない。その日は石春が折れる形で、地蔵の顔の下絵は描き直し。改めて善作に似た地蔵の下絵を後日に持参する事となった。

—--

玉木はかずおや、ぜんさく、おさきを連れて海に来ていた。
かずおはぜんさくに連れられて磯に入って蟹を捕っている。

おさきは海岸で彼らを見ている。その隣に玉木もいて、彼らを見ている。
「あたし、東京に行ってヘルン先生とかずおちゃんのお女中さんになるの」
と、おさきは言った。
「それはいつ?」
玉木は言った。
「もう今年よ。ヘルン先生が東京に帰るのに付いていくのよ」
「乙吉さんも知ってるのかい?」
「そうよ、へるん先生とと父っつぁんで決めたの」
「へえ、そうかい」
そう言って玉木とおさきはまた、かずおとぜんさくを見ていた。

「大きい蟹だよ!」
かずおが言った。七月も間もなく終わりだ。日中でも乾いた風が吹く。
風に吹かれながら、ちりちりと太陽が玉木を焦がした。

魚乙に戻ると、ヘルン先生が紫色の顔をしている。
「どうしたんですか?」
玉木は田村氏に聞いた。
「奥様から手紙が届いてね」
「へえ、手紙は何と?」
「地蔵の首の事を奥様が道林寺の和尚に相談したらしくてね、奥様も地蔵の事には全く反対だ」

地蔵菩薩なるものは、子どもが死ぬとその供養に作るものなのだ、だから生きた子どもを地蔵の顔にするのは順序が逆で縁起の良いものに非ず、と道林寺の丹羽雙明禅師が仰るのだと言う。奥様もその言説に従って、声を高らかに異議を唱えた。これが今朝に届いた手紙の内容である。
流石、お寺の和尚さんは言葉が違う。と玉木は感心した。
焼津の一向が、ヘルン先生に言いたい事は詰まる所、それだ。縁起が悪い、のだ。感覚的な薄気味悪さを言葉に出来なかったが、和尚が直截的な代弁をしてくれた。
ヘルン先生の紫色のお顔は、奥様の手紙に憤慨して反論の言説を喚き続け、疲弊しきった顔なのだと言う。

「反論の余地ありますか?」
玉木は尋ねた。
「波除地蔵は、波除祈願で作られたのであって、死んだ子供の為に作られたのではない。寧ろ、今後の子供らを活かすための地蔵であるからして、何ぞ縁起の悪い事やあらん、とこんな次第さ」
田村氏は言った。
「何でも、屁理屈ってあるものですねえ」
「そうだなあ」
「でも相手は手紙ですからねえ」
「そうだなあ」

相手が居ないことにはいくら手紙相手に反論しても伝わらない。手紙とそれを届けた田村氏を相手に半刻文句を言い立てて、それで疲れてしまったのだと云う。

「ナンボ、ワルキ!ナンボ、ワルキ!」
とヘルン先生が紫色の顔で悪態をついている。

—--
群衆が退くと、石くれの上に生首が乗っている。生首から滴る血液により、石くれが赤く染まる。
誰の生首であろうか。
小さい、頭。後頭部。小僧様の頭だ。だが顔は見えない。誰の生首であろう。確かめなくては不可ない。だが、確かめる事に忌避感を覚える。確かめては不可ない。何かが警告をしている。
「確かめ給え」と黒い紳士から促された。恐る恐る近付くと、ぐるんと生首が振り向いた。
ハレ、目が一つしかない!

玉木は午睡から目が覚めた。
寝醒めが悪い。
よく見ると胸の上でヒノコが寝ている。その重さで悪夢を見たらしい。
先生にも困ったものだ。解決しきれぬ煩悶に玉木は溜息をつく。

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焼津の魚乙の悪環境、つまり臓物臭と蚤と溽暑にひと月は耐え難し、とヘルン先生の奥方、せつ子夫人は八月の上旬になって漸く次男いわおを連れて焼津を訪れる。
地蔵生首事件の直後だけに、玉木はヘルン先生と奥方の邂逅を心配した。

奥方到着の当日、皆々は駅まで半刻歩いて奥方の一行を迎えに行った。日が傾き始めて夕刻、まばらに人影のある停車場で、一同は汽車の到着を待つ。
駅前には車夫たちが車座になって煙管をふかしていた。その煙の中を黒トンボが飛んでいる。
轟々と幾つか真っ黒い汽車が着いて、また出発をする。黒煙を吐く機関車にかずおが手を振る。

ヘルン先生と田村氏は舶来の葉巻煙草を吸っている。市内の練り物店で先般売りに出された新機軸の黒いナルトについて話をしている。

ヘルン先生は黒ナルトの否定派、田村氏は推進派のようである。
「ナルトガ、黒イ、不可マセン」
「いや、新名物ですよ。人気が出ている」
「新シキ物、要リマセン」
「先生は我々を化石の中に押し込めようとする」
「ノー、化石、違ウ。美シイノ心デス」
ナルトといえば、魚のすり身を平たくし、食紅で赤くしたものを重ねて巻簾で巻いた練り物で、明治の改元以降、近代化によって物流が広がった事から全国に普及し始めている。ヘルン先生の居た熊本や神戸ではよく見る練り物だったが、焼津では近頃になって流布した。それでさる魚の店舗がナルト作りの名人を標榜し、赤いナルトや黒いナルトといった変わりナルトを作って文明ナルト巻として村内で売っている。
竹炭を入れてナルトの色を黒くしたのだと云う。それに無着色の白い練り物生地を重ねて巻くことで、黒地に白い渦巻文のナルトとなる。明治御一新から三十年余り、未だ文明が通わずにいる焼津の村民に、文明と名前の付いた黒いナルト巻が少しく流行している。

東京行、上りの汽車が駅に到着して黒煙を吐いた。

「マダ、デスカ?」
ヘルン先生が言った。
何うも昨日怒り過ぎた反動で気弱くなっている。
「ママサン、怒ッテ、来ナイ、カモ」
不安に取り憑かれたようで狼狽を始めた。
「そんな事は無いでしょう」
田村氏が言った。
「女というものはね、こちらが強気でいた方が良いのですよ」
歳をとっても色男の田村が言うと何でもそれらしく聞こえる。玉木は田村の言葉からツルゲエネフに登場する人非人の悪漢を思い出した。田村もまた、女を泣かせる人間なのだ。玉木にしてみれば、田村のような女泣かせの色男よりも、奥方の到着が遅れただけで、自らの所作を猛省し、狼狽するヘルン先生の方が余程好きだ。
「今カラ、トーキョー、迎へ二参リマショウ」
「行き違いますから」
ヘルン先生は嘆息しては立ったり座ったりを繰り返し、終いにはさめざめと泣き出した。これには流石の田村氏も仰天し、必死にヘルン先生を慰めた。

我が師、偉大なる文学者、尊崇の詩人であるラフカジオ・ヘルンが、奥方に逢えずに泣いている!何と愛らしい御姿である事か!
玉木はぞくぞくと震えた。

—----
駅前の広場に据えられた縁台に並んで腰掛け、ヘルン先生以下、男達は大人しく枇杷葉湯を飲む。
仄かな甘味が清涼に美味い。

日は暮れて、夕なずむ。駅舎の空をコウモリが飛んでいる。

—---

玉木は新美資良と一緒に夜の海に散歩に行った。
「泳ごう」
新美は言った。その言葉に玉木は反対しない。
波に入ると二人の行跡が仄かに光る。海中に漂う微細の夜光虫が光るのだ。
青白く光る海の中に二人はいて、やがて沖へと泳ぎ出した。二人の肉体は精悍であるが、大人とは言い難い。
身肉の柔らかさは子どものものだ。八月の海を漂うクラゲが皮膚の上を通り過ぎる。

数隻の船が出ている。
漁火が、海と夜の間に光っている。

新美の泳ぐ軌跡も青い光を放つ。
兄の死んだ海で、新美は何を思ぅのだろうか、玉木には分からない。遺体が上がらない死者達は未だに海のただ中を漂っているように玉木には思われる。新美の兄も海を漂っているのだ。クラゲ達のように。或いは、もっとバラバラになって夜光虫のように。
新美の兄が、新美を見つけて一緒に泳いでいるのかもしれない。あと十日でお盆になる。死者が現世に帰る季節。
新美の兄は帰って来るだろうか。帰ってくるかもしれない。この海で、新美の元に。

玉木は明日、一足早く東京に戻る。

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朝、玉木と新美、かずおといわお、ヘルン先生と田村氏は朝食前の水練のため、浜辺に来た。

かずおが、白くて大きな石のようなものを拾った。
「骨だね」
田村氏が言った。
「何の骨だろう?」

「ソレハ新美ノ骨、ナイデスカ?」
ヘルン先生が言った。
「先生、馬鹿を仰い」
田村氏が笑った。冗談だと思ったのだ。
だが、ヘルン先生は笑わない。新美も、玉木も笑わない。海で死んだ兄が、弟の元に遺骨となって漂着する。そのような因縁を、幽冥を、信じている。
「ワタシ、新美ノ夢、見マシタ。コレ、新美ノ骨、デス」
ヘルン先生は言った。
「マダ若クテ、幼イ、新美、嵐ノ中二居マシタ。嵐ノ中デ、キット、カエル、イイマシタ。嵐無ケレバ、新美、死ナナイ」
玉木と新美の弟はヘルン先生の言葉を凝っと聞いた。昨夜の、夜光虫の青い発光と、静かに繰り返される波音を思い出していた。

嵐が来なければ、多くの人間が死ななかった。ヘルン先生が、誰の反対にも耳を貸さず、依怙地に地蔵の頭を作る事に固執した理由の一端に触れたような気がする。死んだ者たちへの鎮魂である。これから生きる者への守護である。ヘルン先生の願いは尊い。

「大きな魚の骨でしょう、イルカかもしれないな」
田村氏は言った。
「坊ちゃん、バッチイから捨てっちまいましょう」

今朝も波は穏やかであった。
一同は海を見た。
水平線の彼方まで凪いだ海を見た。
海風が吹いている。それが、一堂を通り過ぐ。

朝食の準備が整った事を知らせに、今朝はせつ子夫人が浜辺までやってきた。日傘を差して、手提げの籠にはヘルン先生の帽子とヒノコが入っている。ヒノコがミイミイと鳴いている。

「パパさま!」
せつ子夫人が夫を呼んだ。
ヘルン先生は手を振った。



(了)

短編小説「ヘルン先生と骨、1901年」御首了一



本作品はフィクションです。実在の人物の氏名、団体の名称、地名が小説中に使用されますが、数々の描写は作者の創作であり、歴史的事実に基づくものではない事をお断り致します。

参考文献
萩原朔太郎「小泉八雲の家庭生活」
小泉節子「思い出の記」
大澤隆幸「焼津から見たラフカディオ・ハーンと小泉八雲」
小泉八雲「乙吉のだるま」
小泉八雲「夜光虫」
小泉八雲「夏の日の夢」
柳田国男「日本の伝説」
二葉亭四迷「あひびき」

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