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七つの前屈ep型固芽道利「理論順守の最適解?~揺らせ、脳~」⑧

8.



「だから、いつも言ってるじゃねえかよ。『見かけに惑わされるな』ってな」



 道利の目の前に、少女姿の人物が立っている。



 その人物はニヒルに口角を上げ、眼前の天才に臆することもなく、嘲笑しながら煽りの言葉を投げかける。



 見上げながらも、見下したように。



「ほんっと、成長しねえなあ……てめえってやつはよ」



 泥被笠音。どろかぶりかさね。変幻自在の万面相。泥を被って音を重ねる変装師。



 彼女──否、”彼”は道利に、呆れた風に蔑んだ視線を向けている。顎を突き上げ、口元を緩め、小ばかにしたような態度。



 それはいつも、型固芽道利が人に対して向ける態度だ。



「見かけに惑わされる? いつ、俺がそんなことを」



「いま、まさにだよ。まあ、お前はずっとそんなんだが」



 含みを持たせたようなことを言って──もとよりこの男はこれまで、道利に対して含みのある発言しかしてこなかったが(それを『水を吸った泥のように重く固まった』と比喩するのは、些か被せがすぎるだろうか)──呆れた視線を向けたまま、滔々と語り続ける。



「人なんてみんな、皮を被って生きてるやつらばっかりだぜ。よしんばその皮を剥げたとしても、浮き出てきた骨は硬い殻で覆われちまってる。本質なんて、どれだけ目を凝らしても、脳を揺らしても、見つかりっこない。なんせ、ハナから存在しねえんだからな。でっちあげて、作り上げるしかねえ」



 道利は、この男の本性を知らない。本性どころか、本当の顔すら知らない。幼くか弱げな、愛らしい顔をしたこの小さな少女が、本当に中身は男なのかということすら、怪しい。



 型固芽道利は泥被笠音のことについて、何も知らない。



「健康体? けっこうなこった、さぞかし幸せだろうよ。博愛主義? いいじゃねえか、勇猛な選択だ。でも、どいつもこいつもくだらねえことに変わりはねえ」



 ふだんは相手の言葉に対して一々否定的な文言を返すことの多い道利だが、この男──本当に男なのだろうか、という疑念は一旦置いておく──の言葉もはただ、黙って聞いている。



 すでにすべてを否定した彼を、それ以上どう否定しようというのだろう。



「正直言うと、俺は調和もそんなに好きじゃねえんだ──もとより好きなものなんてそうそうねえが、とくに嫌いなんだ。かたっくるしくて、めんどくさい」



 型固芽道利は、泥被笠音のことを、なにも知らない。



 顔も、声も、表情も、仕草も、年齢も、肩書も。いつ会ったかも、どれだけの付き合いかも、なにも知らない。



 この存在が唯一、型固芽道利が自覚している無知だ。



「ああ、でもまた俺を見つけたご褒美に、ひとつ良いことを教えてやろう──」



 この場所の名は、『オーセンビル』。たったひとりの受付嬢も退勤した夜のビルを舞台に、読者も作者も、主人公ですらも置いてけぼりにする小説のように曖昧な流暢さで、笠音は、捨て台詞を吐く。



 自分の出番もこの章も、切り捨てる為の台詞を。



「お前が追ってる駒遣い……その新しい玩具がひとり、お仲間と一緒に、倉庫街で伸びてんぜ。どっかのだれかに、ぶっ壊されちまったみてえだなあ?」



 道利は手帳を取り出すと、すぐに、思考を始める。



 わかりきった答えを見つける為に。

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