後悔で溢れる世界〈b:お悔やみ編〉ep.科学者2「機能的人権の尊重」⑧

8.

「いやいや。ちょっと昨日、変な夢、というか、嫌な夢を見ちゃいましてねえ。寝不足なんですよ。だから、無駄な手間は取らせないでくださいねえ」

 人間は忘れてしまう生き物だ。機械とは違って。

 そして忘れるということは、その経験が記憶とは違う精神のどこかにずっと存在し続けるということでもある。

 辛いから切り離したくて、苦しいから置いていきたいのだ。

 ただ蓄積していくだけの経験なら、そもそも忘れる必要などない。

 親友を失おうと、名前を捨てようと、時間は平等に流れる。

 物語の時系列は、いつかの少女が科学者として、レフトホイール社社長の部下として後悔誘発機の試験観察のために授業参観に参列した日の、放課後に戻る。

「夢見て寝不足って、超矛盾なんだけど。うける」

 世界を小ばかにするようなにやけ面から抑揚に富んだ軽薄な声を発する女性科学者と相対するのは、校則違反の茶髪を伸ばし、制服を着崩した女子生徒、芦分三科。

「……とでも言えばいいのでしょうか、お母様」

 もとい、後悔誘発機改め少女型補助機、ギャル仕様の三号機。

 同じ造形をした人間と機械が、顔を付き合わせて向かい合う。

 お母様、と呼んではいるが、もちろんこの両者に血縁関係はない。

 そもそも和名『芦分三科』はロボットだ。
 オイルで動いている──わけではないが、繋がるような血液がそもそも身体に流れていない。

 人物の呼称も、選択する行動も、ただのシステムだ。

 恋人も試験対象でしかない。

 はず、なのだ。

「なにか問題があったでしょうか」

「赤面です」

「……え?」

 最新型の七号機に比べると人間味設定が弱く、生みの親である科学者を相手にするときには外向けの設定が解除され(科学者2風に言えば、キャラ崩壊を起こして)行動と言動が機械的になる三号機の表情が──表情としての役割を持つ顔面部位のパーツが──わずかに歪む。   

 およそロボット的ではない反応。

 しかし科学者はそこには触れず、嘲るような微笑のまま実験の経過観察で浮かび上がった疑問点を、容赦なくぶつける。 

「ナンバースリー。なぜあなたは、ただの試験対象でしかない鈴木夏向を相手に顔を赤らめていたのですか?」

「なんでって、それは……一応、恋人として接してますし……」

「おかしいですねえ。赤面は、人間特有の欠陥です。『顔を赤らめるべき』であるという判断がなされる場合は別かもしれませんが、あそこは特段そういった場面ではなかったでしょう? 初期段階で制作されたあなたには、そこまでの生理的機能は搭載されていないはずなのですがねえ」

 芦分三科も榊枝七科も、左手首にハピネスウォッチは巻いている。

 しかしそれはあくまで世間に馴染むための一種のカモフラージュであって、実際は彼女達は脳部分に組み込まれた幸福度測定装置と同機能の回路によって取るべき選択を判断している。

 つまり、取るべきではない行動以外は取らないように造られているのだ。

「ナンバースリー。もしかして鈴木夏向との間に、なにかあったんじゃないですか?」

「それは……」

 言いかけて三号機は口ごもり目を逸らしてから、決意を滲ませた瞳でまっすぐ女性科学者の方を見る。

 その所作はまるで、人間のようで。

「鈴木夏向に、告白されました」

「告白……? 彼の方から、ですか?」

「はい。彼の方から、告白のし直しということで」

「はっ。なんですか、それ……いつの話です?」

「七号機が失敗した翌日、あの会見があった日です」

「それはそれは……これまた、随分なタイミングですねえ」

 さすがの女性科学者も、ここでは笑みを消して、深く溜息を吐く。

「じゃあ、あなたは鈴木夏向から時計の選択に依らない意志を引き出すことに──テストに、本来の意味で成功していたということですか? ターゲットとの関係製に異常なしというあの報告は、嘘だったのですか?」

「嘘、といいますか……どう報告したものかと」

「煮え切らない答えですねえ。機械らしくもない」

 表情こそいつものにやけ面に戻ってはいるものの、その面皮の下から滲み出る険しさは隠しきれるものではない。それはそうだ。

 あの日から──親友が死んだあの事故から、彼女はずっと恨んでいるのだから。

 愚かな自分を。
 人を弄ぶ機械を。
 それを造り出した、天才を。

「いいですか、あなたは機械なんです。人間を幸せにするための道具なんです。生みの親である我々は、あなたが自分の使命を全うできるよう、データを蓄積しないといけないんです。ナンバーセブンの調整で田中湖陽にかかりきりになってしまっていたこちら側の落ち度は否定できませんが、それでも、あなたに報告を偽られては困るんですよ」

「……ごめんなさい」

「謝罪を聞きたいわけじゃありませんよ。人間ぶらないでください」

 つい語調が強くなる。
 名前や家族や過去と一緒に捨てたはずの冷たい心が、再び己の中に沸き立ってくる。

 とても受け入れきれない後悔から目を逸らして、ただただ面白がる対象として世界を捉えようと出来上がった軽薄な自分が、崩壊してしまいそうになる。

 それは嫌だ。
 辛い想い出は、早く忘れてしまいたいのに。

「では、謝罪の代わりにひとつだけ、質問してもいいでしょうか」

「なんですか?」

「わたしの役目、試験運用の内容は『鈴木夏向に「納得のいく後悔」を植え付けること』でしたよね。鈴木夏向を、幸せにするために」

「ええ。まあナンバーセブンの失敗によって、後悔誘発機はハピネスウォッチの補助機として展開されていく運びになりましたが。当初の計画ではその通りでした」

「鈴木夏向に後悔を植え付けることが、彼にとって最善の選択、なのですよね?」

「厳密には、鈴木夏向個人の問題というよりは、人類にとっての最善です。このまま後悔を知らない人間のみで世界を埋め尽くしてしまえば、文明は停滞して、社会はいずれ崩壊してしまいかねませんので」

 鈴木夏向は、いわばただの生贄ですよ──ともすれば、そうという意味にも聞こえてしまいそうな『お母様』の発言を受けて、三号機の表情が変化する。

 鋭く睨みつけるような眼の奥にわずかに寂しさを灯した、優しくて、生暖かい微笑。

 科学者2は、その表情に見覚えがある。

「そうですか。でも、だったら」

 この時代の人間が、『後悔』と一緒に忘れてしまったもの。

 あの日の親友が、約束を交わしたときに見せた顔。
 
 その約束のせいで彼女を失ってからの自分が、毎日鏡の前で突き合わせていた顔。

「これが夏向にとっての幸福であるとは、わたしには思えません」

 それは大切な人を想う者の顔だった。

『これが……あの子にとっての幸福……?』

 血塗られたアスファルトに転がる機械を拾い上げてその表示を確認したとき、口をついて出た言葉。
 
 それと同じ意味を持つ言葉をいま、目の前の機械が自分に向かって発している。

 科学者の胸は、心は、脳は、初めて大声を張り上げたときの喉のように、張り裂けそうなほど痛かった。

どうして。

「思う必要はありませんよ。あなたは機械なんですから」

「では、考えられません。これが夏向にとっての幸せであるとは」

 どうして、さっきから試験対象を下の名前で呼ぶ?

「長期的な視点を持ちましょうよ。何のための計画ですか」

「そんなことをしている間に、取り返しのつかない事態になったらどうするのですか」

 どうして、仕組まれた恋人に対してそこまでの優しさを向ける?

「なりませんよ。鈴木夏向は、現状が最も幸福です」

「……それでも、わたしが納得いきません」

 どうして。どうして、どうして。

「お母様。機械には──幸せになる資格はありませんか?」

 どうして、幸せをも求めようとする? 
 ──わたしからあの子を奪っておいて。

「……質問はひとつだけじゃ、なかったんですかねえ」

 わからない。

 科学者になっても、天才の元で機械の開発に携わってみても、少女は結局わからないままだった。

 機械と人間の、本質的な違いなんて。

「……すみません。しかし──」 

「もう、うるさいですねえ」

 三号機の言葉を遮った科学者は、凄惨な笑みを張り付けて機械を見下す。

 先ほどまでのにやけ面とはまた違った、危険な笑顔。

「──っ」
「動かないでください」

 女性科学者は私服の上から羽織っていた、科学者にとっての戦闘服ともいえる白衣のポケットから、スタンガンに似た形状をしたなんらかの機械を取り出す。

 まるで武器。

「使い物にならなくなった機械は、こうするしかありませんからねえ──一号機と二号機のように」

「そんな……お母様……わたしには、わたしには夏向が」

「だからなんですか」

 冷たい眼で──機械のように冷え切った眼で三号機を見下しながら。

「さよならです──ナンバースリー」

 科学者2は手に持っていた機械を、彼女の脳部に振り下ろした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?