後悔で溢れる世界〈a:後回し編〉ep科学者1 「朽ちない罪、果てない罰」②

2.

「ええ、私のハピネスウォッチも、97%で『榊枝七科は進級させる』と表示されていますし。まったく問題はありませんよ、お父さん」

 保護者懇談会。かつては同じ子供を違う視点から育てる親と教師の対話の場として、教育現場においてなくてはならない重要な役割を担っていたその行事も、いまや形骸化してしまっている。後悔の消滅とともに。

「お父さん──榊枝ロードさん。あなたの娘、榊枝七科さんは、来年の春から三年生です」

 田中湖陽や鈴木夏向、それに芦分三科と榊枝七科が通う高校、その二年二組の教室で、二人の男が並べられた机を挟んで向かい合う。四十代後半と思しき恰幅の良い男──榊枝七科の担任教師が、左手首に嵌めた時計を撫でながら、生徒の進級の確約を、その父親に対してにこやかに告げる。

「そうですか。それはよかった」

 そう返す榊枝七科の父親(ともいえるのかもしれないが、正確には『開発者』である)は、きっちりと着こなしたスーツの上から白衣を羽織っており、やや場違いでミスマッチな感はありつつも、彼から発せられる落ち着きに満ちた雰囲気が、その違和感を帳消しにしている。外見年齢は三十代半ばといったところで、見た目だけで考えるならば真向う教師よりも一回り程下の齢ではあるものの、そのような印象はまったく感じられない。

 それはそうだ。
 
「何度経験しても、娘の成長というのは、喜ばしいものです」
「何度も? おや、榊枝さんには上のお子さんが?」
「……まあ、そんなところです」

 彼の本来の年齢は優に百五十を超えており──目の前の教師どころか、この時代に生活するだれよりも、永い時を生きているのだから。彼の精神は、科学者特有の元来備えていた奇抜さを差し引いても、およそ人間とはかけ離れたところまで卓越してしまっている。

 不老不死の薬を飲んだ化け物は、死ぬことができない。
 嫁が亡くなろうと、実の娘が老いようと。
 造った機械が、いくつ壊れようと。
 若いまま、生き続ける。

「それはそれは、家族が多いのは良いことです。その分、幸せも増えますから」
「…………」
「時代がどうなろうと、娘というのはいつまでもかわいいものですからねえ。それだけは、なにがあっても変わらないんでしょうな」
「……それはどうでしょうね。わたしにはわかりませんが」

 それは不幸を、失う苦しみを知らない人間だけが吐ける台詞だろう──科学者は喉まで出かけたそんな言葉を飲み込み、落ち着いた物腰のままで会話を続ける。

「一つ、聞いてもよろしいですか」
「……? はい、なんでしょう」
「『後悔』って、知ってますか?」

 不幸を知らない幸せそうな人間。そんな者達で溢れかえる世界を造ったのは、他ならぬ自分自身だ。そんな時代にまで存在し続けるのは、だれでもない自分の意思だ。恨むなら己の選択を恨め、呪うなら己の決断を呪え。罪を償い、罰を受け入れろ。
 わかっている。

 世界から後悔を消したのは自分だ。

「こうかい、ですか……すみません、存じ上げませんね。仮にも教師であるのに、お恥ずかしい」
「……そうですか。いえ、こちらこそ。ではついでに、もうひとつお尋ねしたいのですが」

 それは本質的には、先の質問と同じ意味を持つ問いであった。知らないのだから、感じるわけもない。答えは決まっている。だけどそれでも一応、確認しておきたかった。
 それは開発者としての責任か、科学者が故の好奇心か。

あるいは。

「あなたはこれまでの教師生活の中で、『失敗』したと感じたことはありますか?」

 真剣な科学者の瞳の奥で、教師は不思議そうな表情を浮かべた。

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