後悔で溢れる世界〈b:お悔やみ編〉ep.芦分三科「芽生えた心、ここに在らず」⑥

6.

『不気味の谷』という現象がある。

 ある程度人間に近づきすぎたロボットの動きに対して、人は嫌悪感を抱いてしまうらしい。

 その不気味に感じてしまうようになる境目のことを指して、谷と表現する。

 そしてその現象は、人は機械は機械であるからこそ価値を見出すのであって、本当の意味で機械に『人間らしさ』など求めてはいないということの証明でもあり、子供向けSFでありがちな、ロボットと人が心を通わせるハートフルな幻想を否定する。

 人と人ですら憎しみ合い、蔑み合い、決してうまく交流が保てているとはいえないのに、人類とその他、ましてや生物でさえない機械が、共存できるはずもない。

 人と機械は家族にはなれない。友達にも、恋人にも。

なれないし、慣れない。

「ごめんね、夏向……ごめんね」

 普段は気の強い少女──という仕様で製造された元機械は、掠れた声で、俯きながら同じ言葉を吐き続ける。

 優しく、謝り続ける。

 実験のために接触してごめんね。ずっと騙しててごめんね。不具合を誤魔化すために叩いてごめんね。選択に従っただけで告白してごめんね。親友を妹の試験に利用してごめんね。最初は好きじゃなくてごめんね。面倒くさい女でごめんね。あんまり素直になれなくてごめんね。きつい態度ばっかり取っちゃってごめんね。ごめんね、ごめんね、ごめんね。

 人間として生まれてこれなくて、ごめんね。

「三科……?」

 夏向が、不思議そうな顔で覗き込んでくる。その仕草が、表情が、三科をさらに激しい不安の渦に突き落とす。

 もしも彼が、わたしが機械だと知ったら、やっぱりこんな顔をするのだろうか──そう考えただけで、どうしようもなくもどかしくて、息が詰まりそうになる。それは離れてしまうことよりも、消えてしまうことよりも、死んでしまうことよりも、なによりも怖かった。

 嫌われたくない。

 芦分三科の不安は、突き詰めればその一点だった。

 人間ではないと知られれば、機械であったと分かったら、実験のために近づいたとばれたら、たぶん、嫌いになられてしまう。
 すくなくとも、好きではいてくれなくなる。なによりも、夏向本人がひどく傷つき、哀しんでしまう。そんな姿は見たくない。

 だったら……そうなるくらいなら。

『くれぐれも、後悔だけはしないようにしてくださいね』

 科学者の言葉が脳裏を過り、それで一瞬、躊躇ってしまう。

 でも結局、なにが正しい選択かなんて機能を失った彼女にはわからないし、そもそも自分の意志で選択した時点で、後悔は必ず抱いてしまう。

 だからこれが二人にとっての最善で、最適で、これこそが幸福なのだと、『納得』するしかない。

 受け入れたくなくても、受け入れるしかない。

「あのさ、夏向……」

 夕日が沈む。町は茜色に染まり、二人の男女を暖かな光が淡く照らす。

 少女は涙を流しながら、精いっぱいの笑顔で、少年に告げる。

「別れよっか……わたしたち」

 秋が始まる。
 また恋が、ひとつ終わる。

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