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七つの幸運ep.絡糸繰糸「絡繰仕掛けの舞台袖」⑧fin.

8.

「僕は、繰糸さんのことが好きです。繰糸さんのことだけが、大好きなんです」

「うん、わかってるわよ。あなたはわたしのことが、大好きだもんね──太刀洗くん」

 赤と黄色が混ざったような、オレンジ色の空の下。暮れていく夕日に照らされながら、絡糸繰糸は後輩──元後輩というべきか──男子の告白を、いなす様に受け流す。

 こういったシチュエーションには、幼い頃から慣れている。その対応には幾重もの経験が滲む手慣れたものだったが、それでも、恋心を持った相手と話せるというだけで、思春期の男子高校生としては飛び上がりたいほどに心躍るものだった。

 たぶん彼は、今夜も帰ってから、紫パーカーの女のことを考え続けるのだろう。寝るまで。夢の中までも。

「あの小柄なのも、お前の人形か?」

 恋する少年の後ろ姿が完全に消え去ったタイミングで、男が繰糸の前に現れる。近くの物陰に身を潜めていた彼は、折り目正しいスーツ姿がよく似合う、二十代後半と思しき男性。

「まさか。こっちは、趣味みたいなものよ──趣味といっても、悪趣味だけど。まあ、保険のようなものね」

「保険?」

「いまはどうでもいいあいつが、万が一厄介になったとき、心を壊すための──響くん風に言うなら、"ぶっ壊す"ための、ね」

 深く被ったフードの奥に不敵な微笑みを覗かせたまま、繰糸は言葉を続ける。照明を消して場面転換をするように、スルリと話をすり替える。

「ところで、あの臆病なおにーさんから、なにか聞けた?」

「ああ。親父が捕まったことを発端に、俺の目の届かないところで起こりかけてる組内の動きと……お前に、敵対意識を向けてる人物のリストは手に入れた」

「へえ。さすがは『輪廻会』若頭筆頭、白粉撒煙草ね」

「その言い方はよせ。親父から付けられた名前なんかなくとも、俺は俺だ」

 人間関係は、複雑だ。そして高度に発達したネットワークシステムは、その雑然さを更に高める。顔を突き合わせずとも声だけでやり取りすることのできる携帯電話の電波がだれと繋がっているのかなど、側からでは判別できない。

「わかってるわよ。だからあなたは、引き続き、組員周りの処理をお願いね──わたしとの将来を望むなら」

 人形遣いの糸は、もはや解けないほどに、絡まりきっている。

「……ああ。しかし、ほんとに良かったのか? 情報を聞き出すためとはいえ、わざわざ麻酔弾なんか用意せずとも、実弾でやっちまえば」

「死んじゃったらもう、それまででしょう? 生きていればもしかしたら、なにかには使えるかもしれない」

「……まだ、あいつを利用するつもりか?」

「なに、同情? もちろん、綻んでいようとほつれていようと──利用するために、利用させてもらうだけよ」

 笑う、嗤う。繰糸はワラウ。口元を緩めて、目尻を下げて、表情を綻ばせる。こういう顔を作れば、目の前の男はみんな嬉しそうにすることを、知っているから。わかっているから。

「いや、そういうわけじゃないが……俺の知らないとこでも、相当立ち回ってるみたいだな。域還市は想像以上に、お前の敵で溢れてるぜ」

「ふふっ。心配してくれてありがと。……でも、大丈夫よ」

 本当の幸せがなにかなんて、人によって様々で、答えなんてだれにもわからない。真理なんて、もしかしたらどこにもないのかもしれない。でも、ひとつ言えるのは。

「だって、わたし"たち"は『くろまく』で──」

 報われない人間は理想に向かって策を巡らすことそのものに、幸せを感じるものだ。

「──いつかふたりで、『かみさま』になるんだから」

 その幕引きが、どのような結末を迎えるものであったとしても。

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