06 なぜ人は自殺したくなるのか?
人間が自殺してしまう要因には何らかの錯覚があると思います。
自殺に向かう3つの錯覚
その1 理性が解体されてしまう
死にたいという強い気持ちは、自殺志願者の理性をバラバラに解体してしまい、道徳や倫理観、法律など生きる上での重要なものを無意味なものだと錯覚してしまいます。
そのため自殺志願者にはどのようなまともな意見や議論も全く響かなくなってしまいます。
その2 言葉にできない苦しさ
赤ちゃんが言葉をしゃべりだす最初の頃は「あー」「うー」「だー」のように、はっきりと意味がわからない言葉を口にします。
赤ちゃんにとっては何らかの意味があって口にしているものの、赤ちゃん自身にもそれが何なのかはっきりとはわかっていない状態です。
同様に、自殺志願者が口にする「死にたい」や「消えたい」という言葉も、それが何なのかはっきりと把握できていません。
「死にたい」や「消えたい」という言葉、そう思ってしまう感情に注意深く目を向けると、何らかの苦しみや痛みをうまく言葉にできずに嘆いている状態だと言えます。
つらい苦しみや生きることへの不快感を正確に言葉にするのは大変で、大きな負担がかかります。
そのためそれらから解放されたいという思いがざっくりと「死にたい」や「消えたい」という言葉で表現されるのです。
03 すべての人に自殺する危険性がある でも述べたように「死にたい気持ちに理由がない」というのもきっとこれと同じ状況です。
苦しみの原因が複雑にいろいろ絡まりあいすぎて整理できないので、自分では死にたい理由がはっきりと特定できません。
「ただただ死にたい」と感じてしまうのです。
そして追い詰められた状態では、ありとあらゆる苦しみを「死にたい」に結び付ける錯覚が起きてしまうのです。
その3 苦しみから解放されたいから死にたい
自殺志願者の「死にたい」は苦しみから解放されたいという思いの現れです。
生きていく人生の内側で起こる様々な苦しみから、人生の外部である死に向かうことで解放されようとするのです。
そしてそれが苦しみから逃れるための合理的な方法だという錯覚に飲み込まれてしまいます。
3つの錯覚をまとめると
理性が解体されてしまう
→理性が無いと、どのようなまともな意見や議論も全く響かなくなってしまう。
言葉にできない苦しさ
→ありとあらゆる苦しみが「死にたい」という思いへと結び付けられてしまう。
苦しみから解放されたいから死にたい
→「死」苦しみから逃れるための合理的な方法だという考えに飲み込まれてしまう。
自殺という行為は一部の特別な人間だけがするものではなく、これらの錯覚に追い詰められたせいで選ばれてしまう哀しい選択肢のひとつなのだと思います。
自殺志願者は、苦しみから逃れるため、生き残る術を求めるように自殺という救済地を目指してしまいます。
そしてそこには「苦しみ」か「死」の選択肢だけしか残されていないと考えてしまうのです。
どんなまともで正しい助言も批判も届くことは決してありません。
そして誰にも気づかれることもなく、理解されることもなく、場合によっては安易な相談をしたせいで「死にたいと思うこと」そのものを全否定され、とどめを刺されるように命を落としてしまうのです。