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Permanent Collection『未成年への主張』

未成年への主張

人身事故で本線が運休
月曜日なのにやるせない
スクール鞄が残されたホームで
いきなり見えた 怖い世界
「10代を捧げ、
電車止めたのが30分じゃ割合わない!」
明後日くらいに 僕が忘れてても
忙しいだけ ごめんなさい

道徳無視 束になっていこう
下方修正 さあ輪になっていこう
気楽にいこうね

「やるせないことが人生」なんて
言い聞かしたのはもう何回目?
100年以上の生涯を
諦めて ついに手を切って
『自分らしく生きてたい』なんて
今更 何を言ってんの?
だって歩く歩幅すらまちまちで
同じヒトを僕は見たことない

クラスメイトから仲間はずれても
卒業したら 他人じゃない?
乱れた心はホルモンバランス
思春期のせいと 伝えたい
確かに理想は愛し愛されて
嫌いなヤツとも Hold Me Tight
でも
差し伸べた手を払った皆様は
「全員、バカ。」と思いなさい

道徳無視 束になっていこう
下方修正 さあ輪になっていこう
気楽にいこうね

「やるせないことが人生」なんて
言い聞かしたのはもう何回目?
100年以上の生涯を
諦めて ついに手を切って
トンネルで1人 体操座りに
『明けない夜はないよ』じゃないって
正論がいつも正解で
正しいなんて思ったことがない

今じゃないんだ

「やるせないことが人生」なんて
言い聞かせたのはもう何回目?
100年以上の生涯は
諦めずちゃんと手を握れ
ありきたりだけど生きていこうね
額縁に入れた日々を拝んで
生きてて良かったと思う
いつかは必ず君にだって来る



【解説】
前に何かの曲でも書いた通り、
僕がバンドを始めるにあたって、
「自殺」「いじめ」「幼児虐待」については
いつか曲にしたいと思っていた
その「いじめ」についての曲。
この前身の曲である
『ペーパームーン』という曲があって、
これは実際に
僕が小学生の頃、
愛知県西尾市で起きた
いじめの事件を元にした曲だった。
僕は尾西市という街の生まれで、
事件が起きたのは西尾市だったので、
小学生ながらに妙に記憶に残るものがあった。
この曲を作るにあたり、
実際に現地まで行き、
そのいじめの現場になった
スーパーやゲームセンター、
図書館に寄って当時の資料を読み、
自分で書いたメモを元に曲を作ったが
あまりにも中身が重過ぎて、
弾き語りで一回やって、
バンドに持っていく前に自ら没にした。
「これでは悲劇を伝えるだけで、
本当に俺が伝えたいことではない。
本当に伝えたいのであれば、
誰でも聴けるような明るい曲じゃないといけない。」
と考え改めた結果が
この『未成年への主張』に繋がっていく。
もちろんタイトルは
バラエティー番組『学校へ行こう』の人気企画だった
『未成年の主張』のパロディ。
これで世代もよく分かる。
わざわざボーナストラックにしたのは、
明らかにこの曲だけ浮いていて、
でもどうしても入れたくて、
ボーナストラックとして入れたら、
別に浮いてても
まあいいかという勝手な気持ちから。

ある日、
名古屋駅から実家に帰る時に
ホームで電車を待っていると
人身事故で電車が30分運休することになった。
「人1人が亡くなっても電車は30分しかとまらないんだな」
と思ったことがこの曲の出だしに来てる。
そしてそれが日常化し過ぎて、
次の日にも忘れていそうな気がして、
自分が怖くなった。
実際の出来事にスクール鞄もなかったし、
普通の人身事故ではあったが、
この経験から色々と歌詞を考え出した。
この曲を作る上で参考にしたのは、
しりあがり寿『オヤジ国憲法でいこう!』、
中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』の2冊。
『オヤジ国憲法でいこう!』は
『ヨリミチパン!せ』という
中高生向けの啓発本みたいなシリーズがあって、
トップウェーブ大須店が潰れた後、
暇になり、
鶴舞の図書館でたまにそのシリーズを読んでいた。
この本は中高生向けであるが、
かなり中高生が
大人になるための真意が書いてあるというか、
大人になる為の心得が書いてあり、
詳しい描写は正直忘れてるけど、
学校の友達なんか別に気にしなくていい、
どうせ大人になったら会わなくなる、
見た目もそのうち気にならなくなる、
恋愛だってまたいつでもする、
はっきり言って、
今気にしてることなんて
そのうち全部どうでも良くなる
みたいなことが平気で書いてあり、
すごく共感したし、
「これ、中高生に言ってもいいんだ」
という驚きもあった本だった。
この曲の中でも
そういう道徳の教科書をバカにしてるような
部分が出てくるのは、
この本の影響からで、
自分らしくなんて
悩まなくても生きてるだけで自分らしいし、
明けない夜がないよとか言われても
夜じゃなくてそこがトンネルだったら、
そもそも明けないよね?
そんな擦り倒された形だけの正論が
俺は正解だとは思わない
という嫌味で皮肉な表現が度々登場している。
そんな思想を持つ
僕たちが
世の中を下方修正して束になっていこうぜ。
というメッセージ。

この曲の最後のまとめは
中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』より自殺した友人へ書かれた
エッセイの最後の文から作っている。
下記本文。

⬜︎⬜︎⬜︎


ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。

一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。

だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。

生きていて、バカをって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。

あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。


⬜︎⬜︎⬜︎

この言葉が
「額縁に入れた日々を拝んで」
というフレーズになり、
「生きてて良かったと思う
いつかが必ず君にだってくる」
へと繋がっていく。


人生100年という言葉があるように、
これから本当に100年生きるのが
当たり前の世の中が来るかもしれない。
君はまだ10代。
まだ半分はおろか、5分の1も使ってない。
100円もらって、
君はまだ20円も使ってないんだ。
そして今電車に飛び込んでも
30分しか電車も止められない。
そんなの本当にもったいない。
そう思わないか?

もちろんいじめはひどい。
それを認めることはできない。
この際だから言うが、
俺もいじめられたこともあるし、
恥ずかしい話、
人をいじめたこともある。
いじめた経験がある以上、
ここで君のように被害者にもなれない。
ただ周りに流されてしてしまったことを
本当に今でも後悔しているし、
あの子に謝りたいと今でもずっと思っている。
その後悔がまもなく40才の今でも
いじめというものに
ここまで固執している理由だと自分でも分かってる。

この曲を通して、
君に一番伝えたいのは、
もしいじめが原因で今、
命を断とうと思うのであれば、
本当にもったいないということだけ。
それは今じゃないんだ。
そして今(が良い)じゃないだけで、
きっとまた良い日が巡ってくる。
俺は生きてて良かったと思ってる。
だから君にも
「生きていて良かった」
といつか思ってもらえる自信もある。
それだけは俺の主張として
君には信じてほしい。
諦めるのはまだ早い。

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