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標準語と共通語①~ややこしいがオモロいですがな^^

今は「共通語」というようになりましたが、
私にしてみると「標準語」に馴染みがありました。

「共通語」と「呼ぶように」したのは、国立国語研究所
1949年のことで、「そない前から言うてたんですか!」です。
実際、「標準語アクセント➔共通語アクセント」と
私も言うようになったのは、ここ10年くらいかなぁ。
なんとなくまだ違和感みたいなのはあります。

「『日本語学大辞典』(2018)では、共通語は「現実に全国で話されている言語」であり、標準語を「共通語をさらに洗練させた規範としての言語」とする見方が一般的である」とのこと。

NHK日本語アクセント辞典・金田一春彦氏の解説によると、
昭和前期、敗戦までの20年間、「標準語=理想的日本語」という考えが
学会(どういう学会かはわからず)では支持されていたそうですので、
「規範としての言語」とは「理想的な日本語」という意味もあるのか、
つまり「正しい日本語」としてNHKを始め、各放送局アナウンサーが
学び使う「日本語」は「理想的」ということなのか・・・うむ。

「日本語が乱れている」というのは、
こういう観点からの話でもあるのかなぁ。

東京語が標準語にふさわしい

《標準語の制定》
明治になっても「話し言葉」は「方言の違い」が激しく、
話が通じるものではなかったそうです。
独立国家、近代国家を押し進めていく中、
「話し言葉で通じないのはどんならんがな」
ということだったのでしょう。

そこで「標準語をどうするか」ということになり、
今や「都」たる東京の、それも「教育ある東京人の話す言葉」が
標準語候補となった・・・明治30年頃の話・・・と。そして、

「1902年(明治35年)、国語調査委員会で方言を調査して
標準語を選定する基本方針が決まった」けれども。

「1930年代半ばには標準語が次第に定着したが、
 列島内の言語の違いが簡単になくなったわけではなく、
 それが浸透したのはテレビが普及した高度成長期といわれている」

日本でラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)。
その年の新聞には、 次のような投書が載せられている。
「アナウンサーの国なまり 東京放送局のアナウンサー諸君の
 田舎ツペイ言 葉にも困つたものだ
 『こづらは東京放送局であるます』ぢや
 東京放送局の其の東京の名前にそむくと言ふもんだ。
 之は是非共すつきりした歯切れのよい東京弁で願ひたい」
「東京放送局へ 講話、童話放送者の多くが
 中央標準語が話せませんね。
 日本語を正しく話せる放送者を選んで下さい、子供の為に」
「アクセント辞典の誕生」)より

とまあ、今も昔も^0^;;ですが、当時の状況も伺い知れます。

標準語、理想的な日本語。
標準語から共通語へ。
正しい日本語、正しい共通語アクセント。
言葉は時代とともに変わる。
平板化が進むアクセント。
無声化もどんどん甘くなってるような。

大阪人としては「正しい日本語」よりも
大阪人として喋る言葉、アクセントを
大事にしていきたいと思っております。
その中での共通語ですが。
続きは②でお送りします。


ちなみに。
上皇上皇后陛下のご成婚パレードが
テレビ生中継されたのは1959年。
1964年には東京オリンピック。
この年に白黒テレビの世帯普及率が90%に達したそうですが、
ご成婚パレードとオリンピックが普及に大きな影響を
与えました。
そら「視たい!」もの。
それも「魔法の箱」テレビで視られるなんて!
だったのでしょうね。
いやほんま「魔法の箱」だったのは間違いありません。
今もなぜ映像が映るのか、ちゃんと解ってませんし^^;
しかも3つの色で全ての色を創るやなんて。



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