心=身体でわかるのが「本物」の言葉(映画『タゴール・ソングス』を観て)

家にいることの多い日々。先日、以前から観ようと思っていた映画『タゴール・ソングス』(公式HP)を自宅で鑑賞したのですが、感じることがあったので記事にすることにします。コロナ騒動で停滞している映画産業を支援し盛り上げるため「仮設の映画館」というオンラインで映画を観られるサービスが立ち上がっており、そちらを利用しました。映画はノーベル文学賞を受賞したインドの大詩人ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)が残した歌、”タゴール・ソングス”と共に生きる、主にベンガル地方(インド西部・バングラデシュ)の人々に取材・密着したドキュメンタリーです。

タゴールという偉大な詩人のことは知っていて、図書館で「ギタンジャリ」という詩集を借りて読んだこともあります。一遍一遍がずしりと重くて、一日にたくさん読めるものではなく、その日にパッと適当に開いたページを読むようなこともしていました。長くはないけれども高尚で情報量が多いと言いますか、意味はわからないけれども何度も読み返したくなるような本でした。そんなタゴールが作曲家でもあり、2000曲以上の曲を書き、インド(作詞・作曲)やバングラデシュ(作詞)の国歌にもなっていて、タゴールの作った歌がベンガル地方の人に歌い継がれているというのは映画で初めて知り、とても興味深いと思いました。

映画を観て、老若男女、多くの人々の中にタゴールは生きていて、それぞれの人生に寄り添い、共に泣き、共に笑い、愛の歌を歌っているのだなと感じました。偉大な詩人が残した霊感に満ちた美しい言葉を乗せた歌(”タゴール・ソングス”)が人々の生活や日常に息づいている。その様子を観て、「日本では見られない光景だな」と思いました。映画に出てきたある若い女性は、成長するにつれて歌の意味がわかるようになり、親の考える意味と自分の考えがずれるのを感じるようになったと言います。日本で、ある詩の解釈を親と話し合うことはありますか。深遠な言葉が日常にあるからこその、ベンガル地方ならではの光景だなと思いました。

人生の苦しみ、痛みがあったからこそタゴールの歌が理解できたという人もいました。「”タゴール・ソングス”が自分のものになっていった、手に入れた」という表現をする人もいて、長い時間をかけてタゴールの言葉や自分の人生に向き合ってきたからこそ、そういった言葉が出てくるのだなと感じました。苦しみから目を背けて薬や酒に逃げるのか、タゴールを心の友とし人生から学び前向きに乗り越えようとするのかでは人生が大きく変わってきそうです。

印象的だったのが、おめめパッチリ、今どきインドの女子大生のタゴール・ソングスへの向き合い方でした。友達と遊ぶのは楽しいけれど、人生に何かが足りないような気がすると言い、インドの伝統的な価値観や風潮にも疑問を抱いて反発しています。彼女は親戚の影響で昔からタゴールに慣れ親しんでおり、この感覚を解決するためのヒントをタゴールの言葉に求めているようでした。タゴールの詩の解釈について、愛や哲学について、親戚たちと話している様子を観て、単純に「なんかいいな、こういうことが身近にあるの」と思いました。私もそういう話をしたいけれど、身近な人とはほとんどせずに、こうしてnoteに独り語りをするくらいなものですから(笑)。

インド・バングラデシュと言えば、路上生活をする子どもが万単位で存在するような貧困、悲惨な現実と向き合ってきた国。そこに生きる人々の暮らしには、当然厳しさがつきまといます。タゴールの詩の意味を完全に理解することはできないけれど、歌ったところで悲惨な現実が変わるわけではないけれど、それでも人々に歌い継がれるのは、タゴールの哲学を伝えていくことで、世の中は良い方向に向かっていくと信じている人がたくさんいるからなのだなと感じました。

最後に、去年読んだある本の内容を思い出したのでご紹介します。『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える 泉谷閑示(著)』という本です。これはすごくいい本だと思います。現代は労働に価値が置かれすぎるあまり、人間らしい「観照」(内省・瞑想)や「仕事」(熟練・専門)を見失ってしまい、「実存的な問い」や「質」への飢えが加速している…というようなことが書かれていました。映画に出てきた女子大生や現代の私たちが抱える「空虚さ」というのは、こういったところに端を発していそうです。そしてそんな心の穴というのは、「質」の高い「本物」でしか埋めようがないのだと思います。以下、一部引用します。

「真理」の一端が表現されている芸術に出会った時、私たちの中には「その通り!」と言うべき強い共鳴や共感が引き起こされます。

これこそが「感動」と呼ばれる経験の正体だそうです。「難解か/わかりやすいか」は頭で判断し、「本物か/偽物か」は心=身体で判断する、というようなことも書かれていました。私たちがタゴールの残した作品に感動するのは、頭で意味はわからなくとも、心=身体が「これは本物だ!」とわかるからなのでしょうね。

嘘偽りのない世界に生きようとして、愛を求め続けた偉大な詩人、タゴール。彼は、悲惨さや空虚さが加速度的に増していく現代社会をどのように見つめているのでしょうか。きっと、不意に訪れる人生の苦しみ、悲しみに、偉大な師かつ心の友として寄り添い、見守ってくれているに違いありません。

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