過激になると良い内容も伝わらない

コロナ騒動が起きてから、これまでより一層、他人の人生にどこまで介入できるんだろう?と考えてきた数年間。noteにも日々考えたことを綴ってきましたが、いつまでもぐるぐる考えてしまっています。特にワクチン接種の是非については意見が真っ二つと言っていいほど分かれており、推奨派も否定派もどちらも身体のことを思っているのですが(一部の推奨派は確信犯かも)、前提となる世界観が違いすぎて常に議論は平行線となり、分断、対立、険悪につながっていきます。この騒動で多くの人間関係に亀裂が入ったものと思われます。

私も当初は家族に接種しないように説得しようと試みたこともありましたが、話を聞こうともせず頭ごなしに感情的に制圧されるだけなので、もう勝手にしてくれと思い、何も言わないことにしました。ただ、私の言い方にも問題があったのかなと振り返ることもあり、どうすればもう少し話を聞いてもらえたんだろうか、と考えたりもします。そこで気づいたのが、感情的に、過激になると、どんなに良い内容でも説得できないんだなぁということでした。そもそも家族の中で私は変人扱いですし、「まーた変なこと言ってる」みたいな反応をされるので最初から信用がないということもあります。子どもの立場なので弱いということもあります。なので対家族に対しては言い方の如何に関わらず、説得は難しいだろうと思っています。

友人など家族以外の人に対して何か言う場合は、「相手と同じ立場だけれども少し疑問に感じたという体(てい)」で話すのが良いのではないか、と考えたりもしました。「私も打とうかなと思ってたんだけど、少し調べたらこんな問題もあるらしくて、迷ってるんだよねー」のような。最初から「すごく危ないんだよ!変なものも入ってて、人口削減兵器なんだよこれは!」とか言うとさすがに変人扱いされますし、この「!」の感情的な感じに引いてしまうのではないかと思います。この発言の内容は正しいと思いますが、こういう言い方だと伝わらないし、説得できないように思います。それでもSNSなどを見ると、やはりこういう言い方をよく見ます。

こういう「!」が入るような過激な感じって、ちょっと引いちゃいますよね。私は割といつもテンション低めであまり熱くなることもないから余計温度差を感じるのかもしれませんが、その熱量の差が分離感を生んでいるようにも思います。例えば、ヴィーガンや動物愛護の人が嫌われることがあるのは、一部の過激派のイメージのせいかもしれません。今回のワクチン騒動でも「反ワク」と呼ばれる人が嫌われることがありますが(まぁ私もそうですが)、それも彼らに過激な言い方や人を責めるようなニュアンスを感じるからなのではないかと思います。また、知識が多かったり意識が高いというようなマウント意識が垣間見られるのも、嫌われ&説得できないポイントかもしれません。この辺りはオーガニックや食べ物に気を遣う人々にも同じ傾向がありそうです。

他人の考えを変える、意識を変えるというのは本当に難しくて、「北風と太陽」じゃないですけど、無理やり過激に訴えたところでどうにかなるものでもないように思っています。強めに言うと相手も身構えてしまうし、警戒して「変な人ー」と思ってしまいます。上の方で「世界観の違い」と書きましたが、これはもうほぼ宗教とイコールで、他人の考えや意識を変えるというのは、強く洗脳されている信者を脱会させるのと同じくらい難しいと思います。単純に知識や情報を提供したりしてどうにかなるものではないと悟りました。そういうことをぐるぐる考えていた結果、「同じ立場だと思っていた人が少し疑問に始めた」くらいの方が一番リアルに説得力があるのではないか、と思い至った次第です。人は説得させられるよりも、自分から変わりたいし気づきたいという本能みたいなものがあるんじゃないかなと思ったりもします。今は自分の考えに従ってたんたんと生きることに集中しています。

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