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デンデンハウスとむらづくり

むらじおパーソナリティのぼうまいさんじゃない方です。
ぼうまいさんには内緒で最近ふと思ったことを書いてみようと思います。理由は秋だからです。

私はこれまで、数えきれないほど沢山の創作物に励まされてきました。なにか嫌なことや辛いことがあったら、
あるときはウルトラの星へ宇宙旅行に出かけ、

あるときは中島らもと本を通じ一献傾け、

ほうほうのていで今日まで生きてきました。


つい先日もちょっと想定通りいかない出来事がありまして、本腰を入れて取り組んでいたのでちょっと凹んでいたのですが、その時無意識に手に取っていたのは中島らもの「ガダラの豚」という小説でした。

この小説は、アフリカの呪術師と日本のアル中民俗学者がテレビ局でスマッシュブラザーズするみたいなハチャメチャな小説なのですが、高校生の時に読んで以来、何回読み返したかわかりません。
もちろん、毎回最初から最後まで読むわけではなくて、好きなシーンだったり、適当に開いたページから結局最後まで読むみたいな感じです。
kindleだとページを適当に開けないので、これと「今夜、すべてのバーで」だけはkindle版と紙と両方持ってたりします。

そんなガダラの豚の、何周目かわからないラストシーンを読み終えた後、改めて「ありがたいなあ」と思ったのです。自分でもその時は、何が「ありがたいなあ」なのかよく分からなかったのですが、今振り返ると、たぶん、「また励まされた」ことへの感謝だったんだと思います。


ちょっと個人的な話になりますが、私は一人っ子なので、未だに適切な自己開示があまり得意ではなく、メンタルフルオープンかデンデンハウスの二択になりがちなところがあります。

ちょっと挫けると精神のデンデンハウスに引きこもりがちになるのですが、それは全く苦ではなくて、むしろ一人で好きな創作物に没頭できる時間というのは大好きです。

これまでは単にそういう時間が好きだなあと感じていただけでしたが、創作物に没頭する時間が如何に自分を立ち直らせてきたのか、改めて言語化して実感できたのが先日の出来事だったのだと思います。セルフデンデンでホイミしてたわけです。ドラクエやったことないけど。

そして、そういった数多の創作物は、信じられないほど多くの人々とその人たちが生み出したもの、ひいてはその人の人生から影響を受けているんだよな、とふと思ったのです。たとえば、私が大好きな初代ウルトラマンのマスクは弥勒菩薩がモチーフです。怪獣をカオス(混沌)と定義したうえでウルトラマンをコスモス(秩序)と位置付けています。

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写真の広隆寺弥勒菩薩半跏像は今から1400年ほど前に作られたものです。仏陀の入滅後56億7千万年後にこの世界に現われ、人々を救うとされる弥勒菩薩をモチーフにしたウルトラマンがまた新たに多くの人の影響を与えている、こういう歴史の紡がれ方は本当にロマンチックだなあと感じてしまいます。そしてこのような例は世界中に無数にあふれています。

つまり、人類の歴史そのものが私たちを励ましてくれていると言っても過言ではないのです。いや、ちょっと過言かな…。


前々回、宮沢賢治ガチ勢なごましおさんをゲストにお迎えしました。ごましおさんは、あたかも宮沢賢治がいまも生きているかのような口ぶりで楽しそうに話されていました。

その中で、宮沢賢治の作品は今なお様々な作品に影響を与えていて、その作品たちと受け手の中で賢治は生きているんです、と仰るごましおさんを見て、自分以外にも似た考えの方がいるのだと知れて嬉しくなりました。その人、ひいてはその人の遺した有形無形のものを覚えている人がいる限り、その人は生きているのだ、と。

そういうわけで、これまで様々なものを創り出し、数えきれないほどの人たちの背中を押してきたであろう創作物を生み出してくれた全ての人たちに対し、無性に感謝がこみ上げてきたのです。その中には、とにかくめちゃくちゃに笑わせてくれたダウンタウンや、人生初のスタンディングライブに行ったDragonAshもいました。笑いや音楽って、目に見えなくてその場限りで無くなってしまうからこそ永続性が内在していて、尊いなあと思います。

▲ワールドダウンタウン。初見時、息ができなくなるほど笑いました。


私は、これまで創り手の方々から受け取ってきた(と勝手に思ってるだけですが)ものへの恩返しとして、今現在+これからの世代がモノ作りに没頭できる場所としてあわじのむらを創りたい、と改めて感じました。受けた恩は自分なりに昇華して、自分だからこそできることを通じて次の世代に渡していきたい。

そう思えるまでに回復させてくれた中島らもパイセンその他すべてに改めて感謝です。

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