見出し画像

超右脳派人間が考える日本語の魅力

むらじおメインパーソナリティのぼうまいです。今回のむらじおnoteのテーマは「好きな日本語」。
むらじおもうひとりパーソナリティの小菅さんは持ち前の素晴らしい日本語力でとてもおもしろい記事を書いてくれました。

わたしは小菅さんのことを”日本語マスター”だと思っていて、一緒に働いていた頃は小菅さんによく日本語を教えてもらってました。(そして教えてもらってるくせに、じじくせぇ、と敬意を込めて罵っていました。)

小菅さんが日本語マスターだとするとわたしはオノマトペマスターかな。日本語作り出すのがうまいと思う。そうやって感覚で作り出せちゃう日本語の自由さが好き。

曖昧な言語

わたしは今回のテーマを自分の好きな日本語(単語)について書くものだと思っていたので、小菅さんの記事をみてびっくり。小菅さんは日本語そのもものの魅力について語っていた。(めちゃくちゃおもしろかった)「好きな日本語について」というだけでは、それが日本語全体を指すことなのか、単語のことを指しているのか、これだけではわからないなと思った。この曖昧さもまた日本語の魅力だと思う。

不完全な言語

だいたい言葉というものは話し手が主人公(能動)になるのが普通だと考えるけど、日本語の場合、話し手も聞き手も主人公(受動)、そんな言語だと感じている。同じ単語であっても話し手が伝えたい意味と聞き手が受け取る意味が必ずイコールになるとは限らない、非常に不完全な言語だと思う。

逆にわたしが話せるもうひとつの言語であるスペイン語は、完全な言語だと思う。スペイン語を勉強していると数学みたいだなと感じることが多い。「この表現の時はこの単語」というようにいつも正解があるというか、すでに決まっている答えがあるというか、そんな風に思う。

感覚を表現する言語

日本語ほど感覚的で自由な言語はないと思っている。毎年流行語大賞があるのもみてわかるように、わたしたちは自分たちの感覚で自由自在に日本語を操る。日本語は日本人が持つ独特の感性や繊細な感覚を絶妙に表すことができる最強の言語だと思う。日本語という言語が、文化が、今まで誰にも奪われずに今日まで残っていることに感謝。

好きな日本語

凍れる

北海道の方言で寒いことを「凍(しば)れる」っていうけど、これだって本当に絶妙な表現だと思う。めっちゃ寒い日がただ寒いんじゃなくて、冷たいと感じる時、「寒い」じゃなくて「凍れる」を使う。そっちの方が今わたしが感じている感覚をより表せる気がして好き。

くたびれる

「疲れた」と同義であるこの言葉。めちゃくちゃ疲れた日、精神的にじゃなくて体がへとへとの日はただ「疲れた」じゃなくて「くたびれた」を使う。

1 長時間からだや頭を使ったため、疲れて元気がなくなる。「歩きつづけて―・れる」
2 年老いたり苦労が続いたりして気力や若さを失う。「人生に―・れる」「生活に―・れた顔」
3 衣服などが長く使われたため、古くみすぼらしくなる。「―・れた背広」
4 (他の動詞の連用形に付いて)その動作を続けるのが、疲れていやになる。「待ち―・れる」

「くたびれた」って聞くと、わたしは頭の中にくたくたに使い古されたぼろぼろの靴下のイメージが浮かんでくる。靴下がくたっとなっている感じがまさに肉体的な疲労を表せていると思うから好き。

画像1

つむぐ

「ことばをつむぐ」というときに使う「つむぐ」ということば。

【つむぐ】
1 綿や繭 (まゆ) を錘 (つむ) にかけて繊維を引き出し、縒 (よ) りをかけて糸にする。「糸を―・ぐ」
2 (比喩的に)言葉をつなげて文章を作る。多く、物語や詩歌などを作ることをいう。「思いを五・七・五の言葉に―・ぐ」

本来の意味は、①の意味で綿花や繭から繊維を引き出して、そのいくつかの糸をねじり合わせて1本にすることを表す言葉だが、それを②の使い方で使う日本人の感性が本当に好き。すごく日本語っぽくて好き。

実際、やさしい気持ちでことばを発する時とき、頭の中で、その発する音が、ひとつひとつの糸みたいになってて、それが絡まって、文字通り紡がれて、口からでているようなイメージが浮かぶ。「ああ、今ことばをつむいでいるな」って思う。同じ言葉を発するという意味での「言う」とか「発言する」とは明らかな使い分けをしている。


画像2


スペイン語で話すとき、この絶妙なニュアンスを伝えるのにいつも苦労する。なぜこの単語を使うのかと聞かれたときもうまく答えられない。もっと母国語レベルでスペイン語を操ることができれば、もっと日本語の魅力についてたくさんの人に知ってもらえるのに、といつも思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?