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創造性を奪いながら創造性を求める矛盾

 仕事が効率的に進むように、あるいは仕事にミスが生じないように、私たちは事細かいマニュアルや手順を作りがちです。そして、一旦非効率な事象やミスが生じると、それらを回避するためにより事細かい内容を更にマニュアルや手順に書き加えていきます。そして、気付いた時はとても短時間では読解できないマニュアルや手順となり、ついには誰も見ないマニュアルや手順となってしまいます。つまり、形骸化してしまうのです。

 裏付けの確認はしていませんが、ある時こんな話を聞きました。「日本のマニュアル(または法律)は、行うべき手順が記載されている。しかし欧米のそれには、行なってはいけないものだけが記載されている。」とのことです。つまり、日本の仕組みでは、「マニュアルに沿って行うべき手順を実直に進めることによって、それ以外に思考を巡らせる必要性はなくなる」一方、アメリカの仕組みでは、「マニュアルに記載されている行なってはいけないものに留意しながら、いかに効率的に実行するかを各々が常に考える必要がある」のです。

 医療の現場では、タスク・シフティングやタスク・シェアリングが浸透しつつあります。これは、特定の職種の人手不足を解消するためには一見聞こえがいい方法論です。しかし、幼い頃に砂場で遊んだ山崩しのように、気付いた時には職種の専門性を他職種に奪われてしまうかもしれません。現に看護師に求められてきた療養の世話や施設での吸引は、すでに介護福祉士の専門性として侵食しつつあります。透析回路への薬剤の注入は、すでに臨床工学技士が行なっているということも先日耳にしました。看護師が本当に守るべき専門性、これを明確化した上で全看護師が共通の認識として理解しない限り、花形の看護師であっても永続的に存続する資格とは言えなくなってしまうのではないでしょうか。

 私たちは、それぞれの職種の専門性と価値を守り高めていくための創造性が求められています。その一方で、より効率的かつ安全に仕事を行うためのマニュアルによって創造性を奪っています。この矛盾に気づかない限り、結局は何も変わらないかもしれません。

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