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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(39)

第八章 結婚外交(その4)

 だが、彼の言葉にオーエンはかぶりを振る。「おそらくチノーではありますまい。」
 「ほう、違うと?」少し意外そうな表情になるコダーイ。
 「明らかにチノーのやり方ではございませぬ。」オーエンは続ける。チノーのやり方は、常に敵味方を明瞭に分け、時に杓子定規なまでに序列・原則にこだわる。今回のように、本来ハッシバル家に好意的ではない相手を巻き込んで自分たちのために働かせるような手段を取るとは考えにくい。「何者か分かりませぬが、おそらくチノーのほかに、と言うよりチノーに替わって策を巡らしている者が、ティルドラス伯爵の身近にいると拝察いたしました。」
 「とすれば、それが何者なのか調べねばなりませぬな。」彼の言葉に考え込むコダーイ。
 そのあと自宅に戻り、居間で一息入れるオーエンに、セルキーナが尋ねる。「ハッシバル家の使者の方にお会いしたと聞きました。兄は元気にしておるでしょうか。」
 「それが、チノーについての話はほとんど出なかったのだ。」とオーエン。「使者は三人とも、顔も名前も知らぬ者たちだった。聞いたところでは旧バグハート領の出身らしい。副使のオルフェ=オールディンという男は、かつてハッシバル家に仕えていたジュゼッペ=ナックガウル将軍の娘婿だというが。」会話の中で断片的に得た情報でも、現在のティルドラスの周囲を固める人物は、旧バグハート領の出身者や、ハッシバル家本国の出身者でも低い身分からティルドラスが個人的に見いだして登用した者がほとんどだという。おそらく、今ティルドラスの傍らにあって策を巡らせている謎の人物も、そうした人間の一人ではないだろうか。「どうやらハッシバル家で何かが大きく変わってきているようだ。」
 翌日、使者たちはアッドゥーラを後にし、これといった事件もないまま数日のうちにトッツガー家との国境に到着する。使者の護衛と案内はフォージャー家からの連絡を受けて迎えに来たトッツガー家の者たちに引き継がれ、併せて、フォージャー家からの申し送り事項とティルドラスから公爵・イエーツに宛てた書状がトッツガー家の責任者に手渡された。書状は使者たちに先行する形で、ただちに早馬により国都・アシュアッカへと送られる。
 書状を受け取ったイエーツは、尚書令で筆頭軍師も兼ねるアルフォンゾ=ゾーファンと共に対応を話し合う。当時の「天下三傑」の一人として既に何度も名前が出ているゾーファンはこの年六十一歳。身の丈は六尺(ほぼ180センチ)に近く、髪も髭も真っ白であるが体はまだまだ頑健で、時には自ら前線に赴いて兵の指揮を取ることさえある。
 ――伯爵・ティルドラス=ハッシバルより、我が未来の舅にしてトッツガー家の主たるイエーツ=トッツガー公爵に謹んで書簡を送り御起居の如何(いかん)を伺う。両家の間で十五年来の約束であった自分と公女ミレニアとの結婚であるが、部屋住みの身では自分から言い出すことができず、また、伯爵となってからも父の喪中ゆえ申し入れを控えていた。しかしこのたび父の裳も明け、バグハート家を相手にいささかの武威を奮ってその領土を併せることもできた。貴国の婿としても恥ずかしからぬことを示せたと存ずるので、これを機にミレニアを正室として迎え入れることとしたい。かのパドローガルの銀器を使者に持参させた。婚儀にあたっての進物としてお納めいただければ幸いである。――
 それが書状の内容だった。
 「あくまで、ミレニアとの婚約は解消されていないものとして押し通すつもりか。」一読してイエーツは言う。
 「確かに、ミレニア公女が捕虜交換でトッツガー家に戻られた際、併せて婚約を正式に破棄しておくべきでございました。天下の諸侯にすれば、ハッシバル家の言い分に理があると考えましょう。」とゾーファン。
 「パドローガルの銀器を進物として持参するという。」
 「思い切った手を使って参りましたな。天下の耳目を集めるは必定(ひつじょう)。当然、各国にもその評判が広まるよう手を打っておるに違いありませぬ。」
 使者を国境まで送り届けたフォージャー家からの申し送りには「このたびの両家の縁談が順調に進むよう願っている。今後の使者の往来についても可能な限り便宜を図る所存であるので、必要とあれば気兼ねなく申し入れていただきたい。」とあった。
 「フォージャー家のことも、うまく丸め込んだとみえる。」だとすると、交渉に応じず使者を門前払いするような態度を取れば、フォージャー家の顔を潰すことになりかねない。「あの手この手を使ってくるな。ゾーファン、お前はこの縁談についてどのように考える?」
 「受けるも良し、受けぬも良し。ハッシバル家との通婚そのものは、公爵のお心のままにお決め下さればよろしいかと。私(わたくし)の心配は他にございます。」ゾーファンは言う。「公爵は、いずれ諸侯を服属させ、天下に覇を唱えるお志をお持ちでございましょうか。」
 「男子たる者、その志を持たぬ者がおろうか。」とイエーツ。
 「そのために必要な年月はどの程度とお考えでしょう。」
 「十五年だ。七十まで生きることができれば、デクター・ウェスガー両家の力を大きく削(そ)ぎ、他の国々も、あるいは亡ぼしあるいは服属させて、アシュガル家に代わって執政官の地位を手に入れることもできるはず。そうなれば、かつてのハッシバル家の権勢などものの数ではない。まこと天下に覇を唱えたと言えよう。」
 「私も同じ考えでございます。」とゾーファン。「すでに我が属国となっておりますホクソー家・サンノーチス家に加え、マッシムー家に対しても属国としての支配を固め、後顧の憂いを断ってのち、十年のうちにフォージャー家を討ち平らげ、デクター家を退け、アシュガル家とその盟邦を相手に戦ってこれを撃ち破る。私がお役に立てるのはそこまででございましょう。あとは五年をかけて、ティンガル王家から執政官の官位を授けられ、我が国が天下の諸侯に号令する立場を確立する。これは、公爵が他の者たちの力を借りながらご自身で行われねばなりますまい。」
 「うむ。」頷くイエーツ。
 「諸侯を服従させるにあたって懸案の一つとなっておりましたのがエル=ムルグ山地でございました。」周囲を山脈で囲まれたエル=ムルグ山地は攻め入ること自体が難しく、平定したあとに支配を確立することも容易ではない。その半ばを領するハッシバル家を婚姻によって味方に引き込むことは、単純に考えれば悪い話ではない。「ただ、ハッシバル家と結ぶにあたってはティルドラス伯爵の器量を慎重に見極める必要があるかと存じます。もとより全くの暗愚・蒙昧の人物では話になりませぬが、逆に、並々ならぬ器量の持ち主であった場合、この婚姻によってティルドラス伯爵が力を蓄え、いずれ我が国を脅かす存在になるのではないか、私が危惧するのはその点でございます。」

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