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時事無斎雑話(15) キメラを遺伝させる方法についての生物学的考察

 明けましておめでとうございます。2022年新春第1回の投稿は生物学がらみの内容となります。
 以前、某同人誌(ネットではなく紙の)で科学質問箱のようなことをやっていたことがありました。その中で小説の設定に関係して「キメラって、遺伝するんですか?」という質問をもらって回答したことがあります。今回の記事は、その時の内容に大幅な加筆を行った上での再録です。
 最初に、「キメラchimera」とは何か、というところから話を始めます。ファンタジーに詳しい人ならキマイラchimairaという幻獣をご存じでしょう。大もとはギリシャ神話で、ライオンの前半身、雄山羊の後半身、蛇の尾、そしてライオンと雄山羊の2つの頭を持つという生き物です。この姿は話によってだいぶ異なってくるものの、要するに、複数の生き物の特徴を同時に備えた合成生物、というのが共通点です。
 生物学で言う「キメラ」はこのキマイラにちなんだ用語で、複数の異なる遺伝子(同種のことも別種のこともある)を持つ細胞が一緒になって一つの個体を形成している、という状態を言います。果樹などでは当たり前の「接ぎ木」も広い意味ではキメラの一種と言えるでしょう。創作では、別の生物が人間の頭部だけを乗っ取って生存する『寄生獣』の寄生生物などもこれに該当するかもしれません。ただし一般に「キメラ」といえば、体の特定の部位だけが別の個体のものに置き換わるのではなく、複数種の細胞が全身にモザイク状に混在している状態(接ぎ木でも接合部はこの状態なので、その組織を培養して完全なキメラを作ることができる)を指すことが多いようです。動物ではヒツジとヤギの胚を融合させてできた「ヒツジヤギ」などが有名です。
 ジャガイモとトマトの細胞を融合させて作られた「ポマト」のような生物と異なるのは、例えば「ヒツジヤギ」の場合、細胞の一つ一つは完全なヒツジまたはヤギの細胞であるということです。作られる卵子・精子もヒツジかヤギのいずれかのもので、たとえ「ヒツジヤギ」同士を交配しても、生まれてくるのはヒツジかヤギの一方の子となり、「ヒツジヤギ」の子が生まれてくることはありません。
 それと関連したニュースをしばらく前に目にしました。元記事が手元にないため記憶を頼りに書いていますが、おおよそ以下のような話です。
 海外のある女性が子供と二人で何かの遺伝子検査を受けたところ、突然、誘拐の疑いで逮捕されてしまったそうです。検査で「二人は遺伝的に親子関係にない」という判定が出たことが理由でした。
 女性にとっては全く身に覚えのない話で、事情聴取を受けた親戚や周囲の知人たちも、子供は間違いなく彼女が産んだ子だと証言します。検査結果を見直した結果「姉妹の子ではないか」という話になり、さらに詳しく調べるうちに真相が明らかになります。
 この女性は異なる遺伝子を持つ2種類の細胞が1人の体の中に混在しているキメラの状態だったのです。遺伝子検査で自分の子供と「親子関係にない」と判断されたのも、子供が受け継いだ卵子の遺伝子と検査のために採取した体細胞の遺伝子がたまたま別のものだったため、そういう結果が出たものです。
 おそらく二卵性の双子姉妹として生まれるはずだった2つの胚が何らかの理由で子宮の中で融合し、1人の人間として生まれてきたのでしょう。遺伝的には同一である一卵性の双子の逆のパターンです。記事によれば報告された例は非常に少ない(確か世界で数例程度とかのレベルだったように思います)とのことでしたが、それこそ詳細な遺伝子検査でも受けなければ通常は判明しないのでしょうから、当人も知らないまま普通に暮らしている人が潜在的にはけっこういそうです。
 脱線しますが、こういう場合、逮捕してしまった側の法的責任はどうなるのでしょう。記事では確かその点については何も触れていませんでした。逮捕された側にしてみればとんでもない濡れ衣での不当逮捕だったわけですし、かといって逮捕した側からすればあくまで検査結果に基づいて措置を行っただけで、まさかそんなレアケースがあるなど想定していなかったでしょう。このあたり、模擬裁判や、話を脚色して膨らませれば法廷ドラマのテーマにもなりそうです。
 この女性も、当人は2人分の遺伝子を持つキメラの状態でも子供はそのうち1人分の遺伝子しか受け継がなかったわけです。この例からも分かる通り、科学的には「キメラは遺伝しない」というのが結論になりますが、それで終わらせてしまっては少々物足りない気がします。何とか話の中だけでもキメラを遺伝させることはできないか、と思い、いくつかのパターンを考えてみました。以下、例にあげるのは、人間の細胞(遺伝子型2n)と人間以外の生物の細胞(遺伝子型2N)とのキメラの場合です。

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図1

①.両親が共にキメラの場合のみ成り立つ形(図1)
 卵子・精子とも普通の人間のもの(n)と人間以外のもの(N)が同時に作られ、子宮への排卵・受精も同時に行われる。こうしてできた2つの受精卵(2nと2N)が、独立に発生せず1つの胚を形成してそのまま発生。この場合、人間・人間以外の遺伝子はともに両親から半分ずつ受け継ぐ。
 両親がともにキメラでなければ成り立たない上に、人間と人間以外の卵・精子が都合良く同時に受精して、さらに(受精卵にとっては)広大な子宮の中で巡り会う必要があるなど、かなり無理のある設定です。自分で言うのも何ですが、実際の作品での使用はお勧めできません。

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図2

②.母親の体から人間以外の遺伝子が供給される形(図2)
 卵子は普通の人間のもの(n)だけが作られ、父親からの精子との受精で普通の人間の受精卵(2n)ができる。これに母親の体から供給された人間以外の細胞(2N)が加わり、1つの胚を形成してそのまま発生する。
 ①よりはだいぶ無理のない設定です。キメラの母親から生まれる子供は男女問わず全てキメラとなりますが、男性のキメラの子供は全て普通の人間となり、母系だけにキメラが出現することになります。

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図3

③.人間以外の遺伝子が人間の生殖細胞に相乗りする形(図3)
 まず、普通の人間の生殖細胞(n)に人間以外の細胞の核(2N)が丸まま入り込む。その後、受精によって2nと2Nという2つの核を持った受精卵ができ、これが分裂して2nと2Nの2つの細胞に分かれ、1つの胚を形成してそのまま発生する。
 話としてはこれが一番制約が少ないでしょう。②と③ではどちらも、人間の遺伝子は両親から半分ずつ受け取る一方、人間以外の遺伝子はキメラである親のものだけをそのままの形で受け継ぐことになります。
 ③で両親が共にキメラだった場合、受精卵は人間(2n)の核1つと2つのキメラの核という3つの核を持つことになり、これが3つの細胞に分かれて3種類の遺伝子を持った胚を形成することになります。そのあたりも、使い方によっては作品の内容に生かせそうです。

設定自体は作ったものの、今のところ自分の作品で使う予定はありません。ただ、埋もれさせておくのも何だか勿体ないのでこの場を借りて公表させていただきました。ファンタジーやSFの設定としてご自由にお使い下さい。その場合、コメント欄などで一言報告いただければ幸いです。

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