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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(43)

第九章 位牌の前で(その3)

 今回使者たちを攻めあぐねたのは、単に彼らの才覚が優れていたというような話ではない。明らかに彼らは、自分や他の軍師・尚書たちの行動や質問をあらかじめ予想した上で、それに対する手立てを講じてきていた。彼らだけの力ではないだろう。おそらく彼らの陰に、こちらの行動を読み、対策を立て、使者たちに指示を行った人物がいるはずである。
 『とすれば、それは誰だ?』ゾーファンは自問する。『チノーか? 本当にチノーなのか? だとすれば、かやつの才を見誤っていたことになる。あるいはチノーを凌ぐ――、我らの行動を逐一見抜いてそれに対処できるような者がティルドラス伯爵のもとにおるのか? それほどの人物がハッシバル家なりバグハート家なりにおるなど、これまで聞いたこともなかった。いったい誰が――。』
 その時、ほとんど聞こえぬほどの小さい音で、部屋の扉を叩く音がした。
 「ハボバンか?」顔を上げるゾーファン。「構わぬ。入れ。」声とともに、町人のような質素な服に身を包んだ四十過ぎの男が音もなく部屋の中に入り、ゾーファンの前に膝を突く。
 ジョン=ハボバン。トッツガー家お抱え忍群「牙の衆」の頭領である。本来トッツガー家では忍群の指揮権は公爵であるイエーツ一人に属することとなっているが、ゾーファンだけは特例として、自身で忍群に命令を下す権限を与えられていた。
 「ご命令の通り、ミレニア公女の縁談に関わる市中の噂を手の者に調べさせて参りました。」ハボバンは言う。「噂は想像以上に広がっており、しかもそれがハッシバル家との縁組みを祝うような声ばかり。明日にもミレニア公女とティルドラス伯爵の婚儀が行われるような騒ぎとなっております。」
 「町民どもを焚きつけ、縁談を断ってミレニア公女のご評判に傷がつくことを恐れて我らが同意するともくろんでおるのか。小癪な。」ゾーファンは忌々しげにつぶやくと、ハボバンの方に向き直って言った。「噂を流すため、ハッシバル家の忍びが我が国に入り込んでおるはず。探し出して捕らえることができたか?」
 「それが、どうやら忍びの者を使わずに行ったもののようでございます。」とハボバン。「噂の出所をたどらせたところ、どうやら使者の一人がかつて恩を受けたアシュアッカの者に、ティルドラス伯爵自筆の礼状と礼物を贈り、それが評判となって話が広がったものらしいとのこと。むろんハッシバル家としては、こうなることをあらかじめ見越しておったのでございましょうが。」
 彼の言葉にゾーファンは押し黙ったまましばらく考え込んでいたが、やがて「ティルドラス伯爵の傍らにあって策を立てておる者がハッシバル家におるはず。それが何者なのかを探れ!」と厳しい口調で命じる。「ただし、こちらが探っていることを決して気取(けど)られるな。あるいは我らにとって大きな憂いとなる者かも知れぬ。場合によっては、その者を消すよう命じることもあり得る。」
 「はっ!」大きく頷き、そのままゾーファンの前を退出するハボバン。彼を見送ったあと、ゾーファンはもう一度、先ほどと同じ言葉を独り繰り返す。
 「気に食わぬ……。実に気に食わぬ……。」
 重臣たちによる使者の引見はその後も二回ほど行われたものの、最初の引見で主導権を握り損ねたトッツガー家は、説得力のある拒絶の理由を示せぬままハッシバル家に引きずられるような形勢となっていく。「これ以上結論を引き延ばしては我が国がハッシバル家に翻弄されておるという印象を他国に与えましょう。」三回目の引見の後、ヤヤン=イクセンがイエーツに進言した。「認めるにせよ拒むにせよ、ここは公爵御自(おんみずか)ら使者を引見され、ご自身で判断を下されるほかございますまい。」
 「………。」考え込むイエーツ。この間(かん)、ミレニア自身も何度も彼の元を訪れ、ティルドラスとの結婚を認めてほしい、認められぬのであれば自分はむしろ世を捨てて尼寺に入りたいとまで懇願してきている。一方で話を聞きつけたマッシムー家からも、ミギルとミレニアの縁談を約束通り進めてほしいと申し入れがあった。確かに、これ以上話を長引かせては内外に混乱を招きかねないような状況になってきている。「よかろう。」ややあって、彼は頷く。
 こうしてイエーツ自身による使者の引見が行われることになった。当事者にもかかわらずミレニアは同席が許されず、代わってトッツガー家の軍師・尚書たちが左右に並ぶ中、正面の席にイエーツが着席し、イックを初めとするハッシバル家の使者たちが進物である銀器の箱を携えて彼の前に進み出る。
 「両家の間に婚姻を結ぶにあたり、進物として持参いたしましたパドローガルの銀器でございます。どうかご嘉納を。」イエーツの前に平伏したイックが恭(うやうや)しい口調で言う。
 「遠路、大儀である。」無愛想な口調で短く答えるイエーツ。トッツガー家の役人たちが銀器の箱を受け取り、この日のために集められた目利きの者たちによって箱書きと封印が改められ、どちらも本物に間違いないことが確認されたあと、封印が開かれ、銀器がイエーツの前に並べられる。
 あとはただイエーツが頷くだけで良い。トッツガー家が受領に同意すれば、事実上、結婚の申し入れを受諾したことになる。
 その時だった。
 「待たれよ!」一座の中から大声が響く。ゾーファンだった。続いて彼はイエーツの許しも得ぬまま家臣たちの列から飛び出し、並べられた銀器に走り寄ると、その場で手に取って子細に調べ始めた。
 「な――!」息を呑むイック。たとえトッツガー家筆頭の重臣であっても、この場面でのこの振る舞いは大変な非礼である。彼ばかりではない。居並ぶトッツガー家の家臣たちも、突然のことに唖然として立ちつくす。
 周囲の驚きなど意に介さぬ風で銀器を調べていたゾーファンだが、ややあって、イックたちを振り返りながら「これは偽物ですな。」と厳しい口調で言う。「偽物というよりは写し。本物を手本に似せて拵(こしら)えた品でございます。確かに、写しとしては見事な出来ばえと申して良いかと存じますが、所詮、本物の足元にも及ぶものではございませぬ。」
 愕然とするイック。「左様なはずは……!」
 「いや、間違いはござらぬ。」ゾーファンはきっぱりと言い切る。「私は本物を、この目で何度も見ております。失礼ながら、ご使者は、ご自身の目で以前に本物を見られたことがございますかな?」
 「それは……。」イックは言葉に詰まる。一介の木戸番であった彼に、天下の至宝とされるパドローガルの銀器の実物を目にする機会などあろうはずがない。
 「お疑いとあれば、本物をよく知る目利きの者たちを呼んでも良い。お返しするので得心の行くまで確かめられよ!」
 周囲が騒然となる中、イエーツは席を蹴立てて退出する。残されたイックたちは、呆然としながら銀器を再び箱に収め、そのまま宿舎へと戻って行った。
 この報せはただちに駿鷹(ヒポグリフ)によってネビルクトンのティルドラスのもとに届けられる。順調に話を進め、ついにイエーツ自身による引見にまでこぎ着けたものの、最後の最後で、進物であるパドローガルの銀器が偽物であるとされ、交渉が中断したこと。そのあと目利きの者たちに鑑定を頼んだこと。その結果、ゾーファンの言葉の通り、箱書きは本物だが中の銀器は全て偽物だったこと――。
 報せを受け、さすがに色を失いながら、ティルドラスとアンティルは事態への対応を話し合う。
 「銀器は伯爵がご自身で宝物庫から持ち出され、我ら一同の立ち会いのもとで封印をしております。」アンティルは言う。「つまり、宝物庫の中にあった時点で既にすり替えられていたということ。それができるのは――。」
 「叔母上か……!」息を呑むティルドラス。

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