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ティルドラス公は本日も多忙③ 冬終わる日に人来たる(42)

第九章 位牌の前で(その2)

 「気になるのは、誰がティルドラス伯爵の傍らにあって策を立てておるかでございます」ゾーファンは続ける。「パドローガルの銀器を進物とすることで天下の耳目を集め、わずかの間にフォージャー家まで味方につけて我が国に譲歩を迫ってきております。しかも、縁談が調った場合もハッシバル家が失うのはパドローガルの銀器のみ、一寸の土地さえ損ずることはありませぬ。ティルドラス伯爵の側近といえばチノーでございましょうが、果たしてかやつにこれほどの策が立てられるものなのか……。」
 『パドローガルの銀器か。』自室に戻り、床机に腰を下ろしながらイエーツは考える。
 パドローガルの銀器に執着がないと言えば嘘になる。まだトッツガー家がハッシバル家の属国だった時代、キッツ伯爵、そしてフィドル伯爵の主催する饗宴で目にして以来、あの妖しい美しさは常に心に残っている。いつの日かハッシバル家を凌いであの銀器を我が物に、という気持ちもあった。それが今、むこうからやって来たのである。銀器はさておき、娘のミレニア自身もティルドラスのもとに嫁ぐことを望んでいるのは間違いない。
 『迷うところではあるな。』
 評定(ひょうじょう)は翌日、翌々日と続けて開かれたものの、意見は最後までまとまらず、結局、トッツガー家全体としての方針は統一されぬまま使者の引見に臨むことになる。「来たか。」明日、宮廷の来客の間で使者の方々の話を伺いたい――、という連絡を受け取り、声をあげるイック。「ここからが正念場だ。気を引き締めてかかるとしよう。」
 翌日、イックとオールディンの二人はアシュアッカの宮廷の来客の間へと通され、軍師・尚書たちとの交渉を行うことになった。
 たとえ最終的に相手の申し入れを受けるつもりでも、まずは使者を威圧して話の主導権を握るのがトッツガー家の流儀である。真っ先に厳しい口調で切り出したのは、本来ハッシバル家との縁組に前向きなはずのヤヤン=イクセンだった。「今回の申し入れがティルドラス伯爵個人からという形になったのはどういうことか。本来であればハッシバル家が国を挙げ、礼を尽くして申し入れるべきではござらぬか。」
 「すでにお察しかと存じますが、今回の縁談に摂政が反対されたことで、国としての申し入れはできませなんだ。」イックは答える。「しかし、ティルドラス伯爵ご自身はミレニア公女を正室に迎えてトッツガー家との誼(よしみ)を深めることを切に望んでおる次第。さればこそ、誠意の証(あかし)として、国の至宝であるパドローガルの銀器を進物として持参しております。」
 「失礼ながら、これほどの重要な話としては、ご使者の身分が軽いように存じる。我が国を軽んじておるのではありますまいな?」これはキンダル=イクセンだった。
 「むろん、本来であれば、伯爵家で重い地位にある方を使者に立てるべきございました。ただしこれは貴国を軽んじてのことではなく、無事に縁談がまとまれば、その時こそ国を挙げて盛大にミレニア公女をお迎えすることとなりましょう。」
 「ティルドラス伯爵の生まれには不吉な兆しがあったと聞いておりますぞ。聞くところでは、実母であるメルリアン第二夫人は日食の太陽が胎内に入った夢を見てティルドラス伯爵を身籠もったとか。そのような人物を我が公女の背の君として迎えることには躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ませぬな。」フワナが言う。
 「失礼ながらそれは夢の意味を理解しておらぬお言葉かと。そもそも我がハッシバル家の開祖・キッツ伯爵の母君は太陽を呑む夢を見てキッツ伯爵を身籠もったと言われております。日食とはつまり、太陽と月が合して一つになり、陰と陽の全てを兼ね備えた状態となること。それが胎内に入ったとはティルドラス伯爵が開祖を超える偉業を為すべき人物であることの証(あかし)、この上なき吉兆ではございませぬか。」
 「ほう、キッツ伯爵を超える偉業と仰せられるか。それはつまり、諸侯を服従させて天下に覇を唱え、我がトッツガー家も再び属国とする野心をお持ちと、そう考えてよろしいか?」とティルウィック。
 「何やら誤解されておられるようでございますな。ティルドラス伯爵のお志は、天下の主となるような小さな事にあるのではございませぬ。伯爵の望みは、天下をその徳で覆(おお)い包み、民の苦しみを除いて世を安寧ならしめること。トッツガー家が天下に覇を唱えるのであればそれで宜(よろ)しい。そうなればトッツガー家を輔(たす)けて天下に徳を広め、その過ちを正し、民を安んじて共に泰平を楽しむ。それこそが伯爵の志(こころざ)されるところ。今回の婚儀がそれに繋がるのであれば何よりでございます。」
 『手ごわい。』自身は沈黙したまま鋭い目でイックの受け答えを観察しながら、ゾーファンは考える。
 並み居る軍師・尚書たちの詰問に臆する様子もなく、こちらの揺さぶりに対しても決して敵対的な態度は取らぬ一方で、トッツガー家の機嫌を取るような様子も見せず、むしろ軽くあしらうような余裕さえ見せてくる。簡単には屈服させられそうにない。
 『矛先を変えるか。』内心そう呟いて、ゾーファンはカフトに目配せをする。
 カフトは小さく頷くと、オールディンの方に向き直って言った。「時に、副使の方にお伺いしたい。貴殿の岳父であるジュゼッペ=ナックガウルどのは、バグハート家からハッシバル家に戻るにあたってティルドラス伯爵に臣礼を取らず客将となることを選んだとか。これは伯爵を仕えるに足らぬ君と見てのことではありますまいか?」
 『来たか。』努めて平静を装いながら、イックは考える。『持ちこたえて下されよ、オールディンどの。』
 イックを攻めあぐねればトッツガー家の重臣たちはオールディンに矛先を向けてくるはず――。アンティルはそう予想していた。もともとオールディンは、国政を行う過程で生じる様々な雑務を地道にこなしていくのが本領で、次々に浴びせられる質問に虚勢も交えながら答えるようなきわどい駆け引きを得意とする器ではない。当然相手もそれを見抜いて、彼に集中的に質問を浴びせて答えに詰まるのを待つだろう。そう考え、アンティルはあらかじめオールディンを相手に徹底した想定問答を繰り返し、トッツガー家からの質問に備えさせていたのである。
 「我が岳父・ジュゼッペはもともと反骨で知られており、フィドル伯爵、メイル子爵にも臣礼を取ることはございませんでした。」緊張に青ざめながらも、オールディンは答える。「ティルドラス伯爵もそれをご存じで、寛大にも岳父を客将として扱うことをお許しになりました。その恩はまことに深いものがあると、岳父は常々申しております。たとえ臣礼は取らずとも、岳父の伯爵への忠心は揺るがぬものであることを、婿として明言させていただきます。」
 「果たして伯爵は家臣からの信望を得ておられるのでございましょうか。貴国の家臣の方々の中には摂政に阿(おもね)ってティルドラス伯爵を侮る者も少なくないと聞き及んでおりますぞ。左様な方に公女を嫁がせては、後々苦労をおかけすることにはならぬか懸念されます。」
 「哀しいかな、伯爵家の中に、伯爵の若年を軽んじる者がおらぬとは申しませぬ。しかし、いずれ伯爵がご自身で国権を統べ、その威、その徳を世に知らしめることになれば、左様な小人どもは自(おの)ずから伯爵の前にひれ伏すこととなりましょう。心配はご無用かと存じます。」
 およそ淀みない調子とは程遠かったものの、それでも何とか無難に答えを続けるオールディン。トッツガー家も正使のイックを差し置いて彼一人ばかりに質問を浴びせるわけにも行かず、結局、ミレニアを迎えるにあたっての条件や将来的な両国の関係のあり方に話を移さざるを得なかった。
 ――ミレニア公女は当然正室として迎えられることになる。将来、例えばティンガル王家の姫をハッシバル家に降嫁させるような話があったとしても、正室としての地位を廃されることはない旨の誓約書を出しても良い。――
 ――婚儀にあたってのハッシバル家からの進物はパドローガルの銀器。事前に通達した通り、今回あらかじめ持参している。――
 ――トッツガー家からハッシバル家への軍事的な支援などについては特に求めない。婚儀のみの申し入れである。――
 ――それと関連するが、今回の婚儀はハッシバル家のトッツガー家への服属を意味するものではない。むろん、この縁談を機に両国の友好が深まることは、大いに望むところである。――
 交渉が終わり、輦(れん。人力車)に乗せられて宿舎へと送り届けられるイックとオールディン。「では、ごゆるりとお休み下さい。」トッツガー家の役人が一礼して扉を閉じると同時に、オールディンは精根尽き果てた様子で、その場にふにゃふにゃと座り込んだ。
 「生きた心地がしませなんだ。事前にアンティルどのと備えをしておらねば、いったいどうなっていたことやら。」肩で息をしながら、放心したようにオールディンは漏らす。
 「いや、見事な受け答えでござった。」彼を労(いたわ)るように声をかけるイック。
 「もう一度同じことをせよと命じられても、おそらく無理でございます。」べそをかくような口調で言うオールディン。「そもそも、ただの小役人に過ぎぬ私が天下に名を知られるトッツガー家の重臣たちと渡り合うなど、何をどう間違ったものか……。」
 「ともあれ無事に終わって何より。これで、事は成就に向けて大きく進んだと申せましょう。」とイック。
 同じ頃、自宅に戻ったゾーファンは、自室で一人、眉根を寄せて考え込んでいた。「気に食わぬ。」彼はつぶやく。「実に気に食わぬな。」

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