見出し画像

ヒトもまたメディアだとすれば……

「不確実性の時代」といわれてきたが、
そんなのはもっと先のことであって、
そもそも自分には関係がない、と思ってきた。

ところが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、
「不確実性の時代」が目に見えるようになった。
昨日まで当たり前にできていたことが、
当たり前ではなくなった。
手にしていたものが、なくなっていった。

政治理論家で『ジェネレーション・レフト』の著者キア・ミルバーンによれば、
そうした事態のことを現代哲学では「出来事」といい、

出来事とは、社会のコモン・センス(常識)を打ち破るような変化が突如として起こる瞬間だと定義することができる。

といっている。

その「出来事」が発生したとき、わたしたちは、
事態を把握するために、何で情報を得ただろうか。
どういうメディアで情報を得てきただろうか。

国内外でたくさんのメディアがあるにもかかわらず、
使っているメディアは、それほど多くはないだろう。

メディアについて、ちょこっと考え始めてる。

わたしたち昭和生まれは「メディアには何がある?」と聞くと、
新聞、テレビ……から並べ始める。
じゃあ、平成生まれはどうか。
平成の中でも、ミレニアル世代やZ世代はどうなんだろうか。
(ふだん元号使わないのに、「生まれ」を続けるととたんに元号になってしまうことに気がついてしまった)

新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、映画、小説が「オールドメディア」だと、
もはや終わっているといいたいんじゃなくて、
もちろんSNSもメディアだし、You Tubeもメディアだし、
SNSにもtwitterありfacebookありInstagramありTik Tokあり、
noteもあるしVoicyもあるし。

メッセージの交換という意味では、マッチングアプリもメディアになる。

広告もメディア。
カフェやミュージアムやコミュニティもメディアだとすれば、
ヒトそのものもメディアに入れてもいいんじゃないか。

ヒトもメディアだとすれば、
自分自身はメディアとして、どんな役割を果たしているのか。

わたしが学生時代、ライターとして何かモノを書き始めたときに、
「ジャーナリストに必要なことは三つ。
informationをintelligenceに昇華させること、
英語ともうひとつの外国語、それと歴史観」
と教わった。

メディアから発せられるほとんどが、informationだ。
そしてほとんどの人は、そのinformationを受け取ったままにしている。
または、受け取ったinformationを自分の意見として誰かに伝えている。
受け取ったinformationをそのままで、
「正しい」あるいは「間違っている」「フェイクだ」と判断している。
もしくは、「好き」なinformationだけを集めて、見て、読んで、得心している。

師匠であるジャーナリストの高野孟さんがよく使っていたたとえに、
「アメリカのCIAの『 I 』は何の略か?」
日本語では「中央情報局」と訳され、アメリカ合衆国の体外情報機関で、
Central Intelligence Agencyのこと。
informationではなくintelligenceだ。

インテリジェンスは、インフォメーションとインフォメーションをつなぎ合わせたもの。
あるいは、つなぎ合わせたものにさらにインフォメーションをくっつけたり、
部分的にはがしたり、変形させたりしたものがインテリジェンス。

つまり、インフォメーションをたくさん集めて、昇華させたものがインテリジェンスであって、
そうするためには、自分のアタマで考えないといけない。

自分自身もメディアであるとすると、
インフォメーションを正確に伝えることも役割だけれども、
もう少しましなメディアであるためには、
インテリジェンスを発することが、その役割を果たしたことになる。

メディアについて、考え始めたばかり。
(いままでまともに考えてこなかったので)


『ジェネレーション・レフト』 キア・ミルバーン著 斎藤幸平監訳・解説 堀之内出版 2021年