慶応病院

なんともいえない虚脱感

けっきょく、慶応病院に行くことになった。

10年ぐらい前、左目の調子が悪くなって、
地元の眼医者に行った。
町医者にしては設備の整った眼医者だったけど、
何回か通って、
「これ以上の治療をお望みならば、慶応病院はどうですか?」
と、その医者から勧められた。

青天の霹靂である。

家の近くに昭和大学病院があるから、
行くんだったらそこに行くし、といって、
いったん治療を終えた。

しばらくして、また調子が悪くなったので
またその町医者にいったら、
やっぱり、
「これ以上の治療をお望みならば、慶応病院はどうですか?」
と。
聞けば、眼科は慶應義塾大学医学部がトップを走っている、
慶応出身のその眼医者はいう。

厚く御礼申し上げて辞退し、
昭和大学病院に紹介状を書いていただいた。

昭和大学病院で治療後、
調子が悪くなるたびに紹介紹介でいくつかの病院に行っては、
昭和大学病院に戻ってきたりしてた。

亡くなったが、最も信頼していた元国会議員の方から
ご自身が通った立派なクリニックが一番最近の眼医者。
診察室が3つもあり、手術室もある。
看護師というのか、視力を測ったり眼圧を図ったりできる人たちも
こんなに雇ってどうすんだ、ぐらいにいるし、
待合室には、さすが港区という感じの患者さんたちが
10組ぐらいいたりする。

あんまりお金もないし、
目は2つあるからひとつぐらい調子悪いままでいいかな、
ぐらいに思い始めた今日このごろ、

「本来なら注射による治療の前に、造影剤をつかって撮影した写真があって、
それで治療方法を考えるのがいいんですけど……」

じゃあそれやってください。

「でも、やらないらしいんですよ、この病院では」

この先生、通いの先生。
その「本来の治療法」をしつこく質問すると、
ちゃんと答えてくれる。
信頼できる、と思って、「それなら先生のホームグラウンドでやってください」
といってしまったのがいけなかった。

「わかりました。慶応病院で治療しましょう」

といって、自分宛ての紹介状を書いて渡され、
いろんな病院に行ったが、
けっきょく最初に拒んだ慶応病院に行くことになった。

10年、無駄にした自分を恥じるべきなのか、
それとも、10年志を貫いた自分を褒めるべきなのか。
なんともいえない虚脱感がわいてきた。