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大学生の「生徒化」と高校生の「学生化」

授業中の発言や感想文で、
自分たちのことを「生徒」という学生がいる。

それが1年生ならまだしも、
3年生だったり4年生だったりすると、
やる気のボリュームがぐーっと下がっていく。

3年4年にもなって、まだ「学生」と「生徒」の違いを知らないのか、
それとも自覚的に「生徒」といっているのか、
そんな自虐はないだろうから、知らないだけだと自分を慰めて、
「学生と生徒は違うんだよ」
と、やさしくわかりやすく教えることにしている……。

学校教育法では、大学、大学院、短期大学など
高等教育機関で学ぶものを「学生」といい、
中学校、高校で学ぶものを「生徒」という。
小学校は「児童」で、幼稚園は「園児」だ。

法律上違うだけではなく、質的にも「学生」「生徒」は別もの。
学生は、自律的で自立的に学ぶ者であり、
学ぶ行為を「学習」という。
これに対して生徒は、他律的で依存的に教えられる者であり、
教えられ覚える行為を「勉強」という。

どうだ!わかったか!
と、偉そうに教えをたれて、いつもわたしはドヤ顔して満足してた。
けど、調べてみると、「学生が生徒化している」という分析もある。
(伊藤茂樹「学生と生徒」2015)
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2015/04/pdf/062-063.pdf

ひとつは、大学生の社会的地位の変化で、
進学率が上がって、大学生が「選ばれし人たち」ではなくなったこと。
大学も、懇切丁寧なオリエンテーションやガイダンスをしたり、
担任制度をつくって細やかな対応をしたり、
友だちをつくろう新入生ツアーをしたり。

友だちをつくろうツアーは、わたしが大学生のときに
亜細亜大学が実施してて、どんなことやってんのか取材したこともある。
普通の温泉ホテルにバスでいって、宴会して、お風呂入って、寝る。
1年生だからお酒がでないだけで、ただの団体旅行でしかなかったけど、
「こうでもしないと、友だちつくれないんですよ、学生たちは」
と担当の職員がいってことを思い出した。

ということは、すでに1990年代から「生徒化」していたのか!

上記論文では、高校と大学との接続がスムーズになったからもあるのではないか、
と書いているが、そうであればなおさら、
「学生と生徒は違うんだよ」
と、大学に入ったときに念押しする必要はある。
違いを理解してもらって(この表現がすでに生徒扱いしてる気もする)、
自立的で自律的に学んでいかないといけないよ、と。
科目の選択は「ラク単」かどうかで決めるんじゃなく、
何を学びたいのかを自問し、
市販のガイドブックの評価基準を頼るのではなく、
何が学べそうなのか、シラバスを読み込んで決めましょう、と。

大隈塾では、正解がひとつじゃない社会にでていくために、
学問を修めるだけではなく、「たくましい知性を鍛える」としている。
大学入試のために、速く、正確に、正解にたどり着くことを目標していたが、
大学では、たくましい知性を鍛え、
しなやかな感性を育まなくてはいけない。

なので、自分たちのことを「生徒」と呼ぶのはやめましょう。

というか、新コロでわかったのは、
高校生の「学生化」だ。
zoomやYoutubeをつかって、
いろんなイベントをやったり、プロジェクトを立ち上げたりしている。
そうした高校学生たちも、
オンラインで大隈塾に参加している。

いよいよもって、大学生は「学生」であるべきだな。