見出し画像

パーパスキャッチャーという役割がどうやらとても重要になってるらしい

パーパスキャッチャー基礎講座、というものを受け始めた。

ここんところ、組織開発の界隈では「パーパス」とか「デザイン」とか「対話」とか「アート」とかでにぎわっている。
パーパス(purpus)って何かというと、直訳すると「目的」。
そこから、
自分のパーパス:生きる意味
会社のパーパス:存在意義
となる。

自分のパーパスと会社のパーパス、重なってますか? という話。
自分のパーパスと会社のパーパス、重ねてませんか? という話でもある。

ばっちり重なっている、あるいはかなり重なっている会社で働いているなら、
それは転職活動なり就職活動なりが大成功している。

そうではなくて、
自分のパーパスを、ぐーーーっと、会社のパーパスに寄せていっている。
会社に一生を捧げているタイプ。
そうじゃない、と思って入社したけど、やがてはそうなってきた。
っていうのだと、少し問題かな。

でも、昭和平成は、それが当たり前の時代だった。

というか、そういう制度になっていた。
手厚い福利厚生、勤務年数に応じた給料体系、終身雇用。

そういう時代で働いてきた上司と、
そんな状況終わっていると知ってて働いている部下。

これはきつい。
どっちもきつい。

しかも、リモートでの仕事となると、さあ大変。
そこで、会社のパーパスをちゃんと決めましょう、
パーパスにそった仕事にしましょう、と。
そして、上司のパーパスと部下のパーパスの分断を
ぐりぐりぐりぐりと縮めていくのが、
パーパスキャッチャー。

これはおもしろい役割だな、と思った。
(もっとほかにもパーパスキャッチャーの役割はあるけど、ひとまず)(写真と記事の内容は別物です)