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資本主義においてきみはどう生きたいのか、ということなのか

「春休み大隈塾」が始まった。

学びを止めない、というのはよくいわれるし、
それはそうだし目的のひとつだけど、
春休みでも自主講座をやるというのは、
生活習慣を乱さない、ということにある。

朝9時スタートで60分。
週に1〜3回。
ゲスト講師を招いてもいいし、
それをパワポや動画資料を使ってZOOMでもいいし、
参加型でCLUBHOUSEでやるのもいいし。
学生自らプレゼンテーションするゼミ型や、
絵本を使って対話型鑑賞をする回もある。

第1回目は、ベンチャーキャピタルに勤めるヒロさんがゲスト講師。
講義が始まるまでずっと「ヒロさん」としか明かされてなく、
正体不明のビジネスマンだった。
正体不明の人物をゲスト講師に招くのか?
もちろん正規の授業ではそんなことはしないけど、
自主ゼミみたいなものだし、
学生が「この人の話をみんなに聞かせたい」と思っていることだし、
どんな人からも学ぶことはあるだろう、ということで、
「ヒロさん」でもいいか、と思っていた。

「ヒロさん」は講義が始まってすぐ、
「ムラタさん、わたしを覚えてますか?」と。
初めて明かされた本名の名字に見覚えがあったので、
「覚えてますか?」で思い出した。
2011年度のゼミ生だった。

当時は高野孟さんのゼミで、
わたしはサポート役だった。
高野さんは「本物に触れろ」とよく諭してて、
本人も時間をつくって美術館や博物館に足を運ぶが、
ゼミ生たちにもそれを勧めていた。

文化構想学部にいて文学を学び、
サークルはガチの英語のディベートサークルにいた彼は、
高野さんの「本物に触れろ」を真正面から受け止めて、
ヨーロッパで美術館巡りをしてきた。

そのあと早稲田を辞めて東京大学に編入して、
大学院で教育学研究科に在籍し、
ICTをつかった教育を研究して、論文や記事を書いていた。

で、ベンチャーキャピタルに就職。
なんで? 文学から教育、なのにその次は金融?

ヒロさんがいうには。
本物を見ろ、といわれて本物を見まくった。
文学に没頭していたときは、文学の何が役に立つのか、
と嘲笑されたけど、「役に立つ」の定義はなにかと問い返した。
英語とロジカルシンキングも徹夜続きに耐えて突き抜けた。
文学とは、ヒューマニティである。
人間とさんざん向き合って、自分なりに答えを得たら、
つぎは社会と向き合いたくて、教育への道を進んだ。
文学から「人と人とは、そもそもわかりあえないものだ」を学び、
教育から「ともに頑張る」を学んだ。
ベンチャー企業はビジネスモデルというロジックとテクニックに、
創業者というヒューマニティが加わる。
マーケットからにしろサポートする金融機関からにしろ、
創業者に問われているのはとどのつまり
「きみはどう生きたいのか」
だ。

だから、文学から教育、次はベンチャーキャピタル、
の流れはごくごく自然だった、とヒロさんはいう。

なるほどと思った。
ベンチャーキャピタルって、ごりごりの金融資本主義かと思っていた。
寝ないで働く系を当たり前とする世界かと思っていた。
愛と哲学の世界であると知ることができて、
春休み大隈塾は、幸先の良いスタートをきることができた。