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ウクライナと桜の花

黙読会で「ウクライナの話をしよう」ということになった。

いつもはclubhouseに朝6時30分に集まって、
まず50分は読みたい本を黙読して、
そのあと10分おしゃべりして7時30分に終了する。

だけど、月に一回、プレミアムフライデーだけはその比率を逆にしてみよう、
たっぷりとおしゃべりしよう、
なんの話題にしようか、
ウクライナにしよう!

ということで、今日はウクライナの話をした。

といっても、専門家でもずっと国際政治をウオッチしているわけでもないので、
知ってる範囲のことだったり、ちょっと調べてみてわかったことでもいいので、
ただリラックスしておしゃべりしましょう、そんなに準備する必要はないですよ〜、
ということで、ずっとウクライナには関係のない話題ばかりが続いていた。

そうしていると、
福岡の話になって、桧原桜(ひばるざくら)が話題になった。
桧原桜には、福岡市民みんなが知ってるストーリーがある。

こんなストーリー。
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福岡市には桜の名所「桧原桜」があって、市民から愛されていた場所だった。
1984年、道路拡張にともない、樹齢50年のその桜たちは切り倒されることになった。
1本目が切り倒されたあと、市民から、
「花あはれ せめてあと二旬 ついの開花をゆるし給え」
(あと20日間、最後の花を咲かせてください)
という歌が、まだ残されている桜の一本にかかった。

それを九州電力の社長が見て、広報担当に知らせ、
広報担当がメディアに知らせ、メディアが報じることになった。

そうすると、桜の助命嘆願のためにたくさんの歌が残った桜の木々にくくりつけ、
その中に、
「桜花(はな)惜しむ 大和心の うるわしや とわに匂わん 花の心は 香瑞麻」
とあり、のちに進藤一馬福岡市長の返歌であることがわかった。

道路拡張計画は変更され、
桜の木は残り、いまでは公園として市民の癒やしの場となっている。
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というのが桧原桜のストーリーで、
お能や講談と演目としてもつくられている。

桜の木を残せ! ではなく、
すごい力を働かせたわけではなく、
一人の市民がつぶやいて、
大きな計画を変更させた、という実話。

黙読会のプレミアムフライデートークでは、
桧原桜のエピドートはほんの数分だけ、
ほかはえんえんと60分、いろんな話をしたが、
みんなうっすらと、外国人や外国に関する話題を意識していたし、
それはそれほどうっすらとではなく、ウクライナを意識していたからだった。

こういうことでもいいんだな、と思った。

自分一人でもいいから、ウクライナのことを思う、ウクライナの人たちに寄り添う。
青色と黄色の何かを身につける。

意識していれば、自分のアンテナ感度が上がって、
ほかの「たった一人」の行為行動が目に入って耳に入って、
その「たった一人」とつながって、
その「たった一人」のつながりが広がっていく。

桧原桜のように。

ウクライナのためにできることは、ほんの小さいことでもいいのであれば、
ウクライナのためにできることは、無限にある。