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釜石でサウナに入ってトトノエようと思ったら、
隣町の大槌町にある銭湯「ますと乃湯」にいく。
昨日も午前中に仕事を終えて、
釜石駅の駅そばで釜石ラーメンを食べて、
三陸鉄道に乗っていった。

「ますと乃湯」のサウナはわりと大きめで、
15人ぐらいはいけるかも。
だから、いけばほぼ確実にサウナに入れるし、
(東京の銭湯にあるサウナは小さくて行列するか、
運が良ければという運任せのところもある)
だから、こころに余裕が生まれるし、
90℃ぐらいのわりと高温、
ローリュで水たっぷりめにぶっかけてくれるので、
あつあつの水蒸気がぶわ〜〜。
水風呂は花巻の鉛温泉みたいに深くて立って入る式、
水風呂上がって身体を拭いて、
外に出れば気温4℃の外気浴。
雪景色ではないが、快晴の青々とした空のもと、
なんで素っ裸で4℃のお外にいて平気なの?
って不思議なくらい、あったまってて心地いい。

うまい具合にトトノッて、
お休み処で15分ぐらい横になって、
さて帰ろうと、バス停まで歩いていた。

なんか視線を感じる。
歩道を歩いていたら、クルマの中からの視線を感じる。
バス停でバスを待ってても、視線をはっきりと感じし、
なんなら運転している人と目が合う。
乗っけてくれようとしているのではない。

「なにこの人?」
って感じの視線を送ってくる。

ワークマンで買った真っ赤なダウンジャケットを着ている、
派手な格好をしているからというのもあるだろうけど、
そもそも歩いている人が少ないからでもある。
誰も歩いていない。
だから、歩いているとそれだけで目立ってしまう。

地方はクルマ社会で、目視できるコンビニにもクルマでいく。
と、オンラインで話をしていたら、
「ちだうんですよ」
と福岡に住む友だちがいう。

その友だちいわく、

都市(東京とか)ではバスがある地下鉄がある地上の鉄道がある、
モノレールまであったりする。
だからあらゆるところに駅があって、
そこにいけば遠くまで移動することができる。

そこ(駅、バス停)までは歩いていく(自転車のときもあり)。
だから、移動するには歩くという習慣がつき、
ときによってはひと駅ふた駅先まで歩くこともある。
つまり、歩くということが移動の手段のひとつになっている。

ところが地方では、
バス停いってもバスは来ない、
駅にいっても列車は来ない。
バスも列車も1時間に1本。
だから、やがて駅にもバス停にもいかなくなって、
歩く習慣がなくなるし、
そもそも最初から歩く習慣なんてつかない。


便利だから歩くという不便な習慣ができて、
不便だからクルマという便利な乗り物に乗る。

だけど、もうちょっと歩いたほうがいいな、釜石の人たちは、と思ったりする。
健康で幸せな状態でいられるように、
いざというときに自力で逃げられるように。