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今では笑って暮らしているから大丈夫だと伝えてきた

大槌町のMOMIJI(ジビエ食肉加工会社)の支援活動報告を興味深く読んだ。

MOMOJIは1月5日にキッチンカーで大槌町を出発。
輪島市をベースに炊き出しを中心に支援活動をし、
16日に戻ってきた。

MOMIJIは発災直後から、町長を始め行政と連絡を取り始めた。
害獣でしかなかった鹿を食肉に変えたり、
ジビエツアーにして観光資源にしたり、
地域おこし協力隊の受け入れ団体として、
行政とのコミュニケーションを普段から密に取っていたことから、
表向きは正月休み、ウラでは情報収集と意見交換をしていたんだろう。
1月4日には役場が物資と支援金を集め、
キッチンカーに搭載して翌日5日に出発。

現地に到着するとまず、クルマに満載して持ってきた支援物資を届ける。
次に、カラになったクルマで金沢に戻り、支援金を使って必要なものを買い、
また現地に戻ってそれら購入物資を届け、炊き出しに入る。
炊き出しは、あたたかい野菜たっぷりのうどん。

このあたり、MOMIJIは芸が細かいというか、
東日本大震災の経験が生かされている。
それは、物資を届ける、炊き出しをするだけではなく、
お金を現地に落とすこと、
食事はおにぎりで炭水化物は十分とっているが、
あたたかいつゆモノ、野菜が不足しているだろうから、野菜うどん。
キッチンカーだから、その場ですぐに調理して提供できる。

MOMIJIの役割は、被災者への支援だけではない。
大槌町にいる行政に対する情報収集と、情報発信だ。
報告書によると、

金沢は盛岡のような状態でモノが購入できた。」
七尾市は比較的被害少ない。支援物資がとてもたくさん届いていた。遠野市のような状況。

このふたつの情報で、
現物を現地に送るのではなく、金沢市ではなんでも手に入るから、
そこで購入したものを被災地に届けることによって、
地域経済を支えることができること。

そして、被害がひどい地域に対する支援の前線基地を七尾市に設定し、
モノとヒトと情報をそこに集中させること。
この2点が明確にわかる。

そして移動するための道路状況。
ナビでは七尾から輪島までおよそ3時間とでてくるが、
実際には8時間から10時間かかっている。
その原因は、
①道路の状態が悪く、あちこちで亀裂が走り、パンクする危険がたくさんある
②交通規制が多くかけられている
③土砂災害によって道路が寸断されている
④クルマが非常に多い
である。

ほかには、テレビなどで報道されている場所には支援物資が十分にあるが、
その周りの集落には支援が届いてないことがよくあること。
この差は、道路の状況つまりクルマで乗り入れやすいかどうかにかかっている、
と報告している。

クルマで行きにくいところには、報道陣も支援団体も入っていない。

MOMIJIのメンバーは、16日に大槌町に戻り、20日に報告会を開いた。

「大槌から来たことを胸を張って伝えた。町を代表して伝えてきた。絶望しかない、希望のない状況から13年たって笑顔で暮らしているから大丈夫だと伝えてきた」

代表取締役の兼澤幸男さん

大槌町・MOMIJIによる能登半島地震支援活動 状況報告会
https://docs.google.com/document/d/1ZfQrGzrBTfcTcBzDcSuwRy9craQYtYSze9-9PnnOZGw/edit