うのスタでラグビーやっちゃいました(タックルなしだけど)
「であうアート展」のプログラムで、ラグビーをしてきた。
場所は、うのスタ(釜石鵜住居復興スタジアム)。
タックルなしの「タッチラグビー(タッチフットボール)」で、
流通経済大学のラグビー部、女子ラグビー部と、
ラグビー好きの釜石市民とのミックスチームをつくって、
1チーム8人の4チーム、5分ハーフで総あたりのリーグ戦。
ゲーム開始前にそれぞれのチームで軽く身体を動かす。
最初はみんな気恥ずかしさもあって、
黙ってキャッチボールしてるだけだったが、
そういうときはちゃんとムードメーカーが出てきて、
「スマイル!」だの「ゴーゴー!」だの大声を出し始め、
じゃあ名前を呼ぼうよということで、
自己紹介してニックネームを確認し、
覚えるためにもボールを投げるとき、受け取るとき、
それぞれ相手のニックネームを呼んで投げたり受け取ったりして、
身体も気持ちもあっためていった。
いざゲームになると、57歳がハタチぐらいの大学生のように身体が動くはずもなく、
それでも女子ラグビーの選手たちが「むらさん!!!」とか叫んでボールを渡してくれるから、
ボール持って走ったり投げたり転んだりしながら、
それなりにむかしやってたことを身体が思い出して、
だんだん動けるようになっていった。
(自分ではそう自覚しているけど……)
ちなみに女子ラグビー部は「グレース」というチーム名で、
「ラグビーを通し希望ある元気な未来を創る」
という、釜石にぴったりな理念を掲げている。
高校のとき、ラグビー部だった。
そんなに強いチームではなかったが、
少しずつ力をつけて上り調子でいたチームで、
高校3年生のときは、県予選の準決勝、
下の代は決勝までいった。
長崎県の代表チームにも選手として選ばれ、
九州各地の強豪校や代表チームと試合したり、
国体でのトーナメント選に出場ことができた。
早稲田大学のセレクションに参加して、
もうちょっとで早稲田のジャージを着れそうになったが、
そのセレクションには落ち、本番の入試でも合格できず、
浪人することになった。
浪人したあと政治経済学部に入学したけど、
わたしにとってラグビーはやるスポーツじゃなく観るスポーツになって、
サークルにも入らず、プレイヤーとしては終わっていた。
けれども、ラグビーが好きなことは変わっていない。
それでいまの自分がある。
もし高校3年生のとき、早稲田のセレクションに受かるような実力と実績があったら、
まったく別の人生になっていた。
大学ラグビー部でどんなステージにいたか、
どこに就職してどんな仕事をしてどんな人と結婚してどんな家庭を築いたか。
ほどほどの実力で、ホントによかった。
リクルートの創業者の江副浩正さんが、
「ほどほどのレピュテーションでいい」
といっていた。
ほどほどの評判、ほどほどの認知度、ほどほどの実力であれば、
リクルート事件なんて起こらなかった。
リクルートが急成長して、老舗の企業を脅かそうとしたから、
日本のエスタブリッシュメントたちはこぞって牙を剥いた。
ほどほどがいいんだ。
だけど楽しかった〜。
もう少し、ほどほど時代に戻るぐらいは上手くなりたい。
ラグビーはやっぱりいいなあ。