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親子ふたり、寝台列車での旅

高野孟さんの快気祝いに、
高野ゼミの卒業生たち20人ほどが集まった。

高野孟さんは2002年に大隈塾を立ち上げたときのメンバーのひとりで、
早稲田大学の客員教授、2003年から高野ゼミ「インテリジェンスの技法」を担当していらした。
わたしはそのTA(Teaching Assistant)をしていた。
(当時、そんな制度なかったけど)

昨日はそのゼミ卒生たちが早稲田の老舗喫茶店「ぷらんたん」にやってきて、高野さんご夫婦をお祝いした。

万年筆をプレゼント

なかなか役者揃いの人たちの集まりで、
それぞれ近況報告が秀逸だった。
なかでもふたつ、S水K子さんのエピソードを。
娘とふたりで旅行をしてきました、という話をここに。

K子は早くにお父さんを亡くした。
まだ小学校に上がる前、お父さんとふたり旅をした。
ブルートレインに乗って、東京から広島に行って、
原爆資料館を訪れた。
そのときに受けたショックが忘れられず、
その後の自分の思考や行動の基軸となった。

先日、そのときの自分と同じ歳になった娘を連れて、
もうブルートレインはないから、「サンライズ出雲」に乗って、
亡くなった父の役を自分がつとめた。

寝台列車の旅は娘にとってすばらしく楽しく、
ふたりでずっと幸せな気持ちが続いていた。
そして広島に降り立ち、平和公園に着いて、
原爆資料館の前に立ったら、
その内容を知らない、旅のワクワクがおさまらない娘に、
あのショックを与えていいものかどうか、迷った。

が、父がそうしてくれたように、思い切って自分も、
娘を平和を祈る館にいざなった。

案の定、娘は展示物を見るやショックを受け、
激しく恐怖感を抱いて、自分の身体にしがみつき、離れようとしなかった。

後悔半分で家に帰ってきて、
しかしそのあとの娘の行動が変わったのには驚いた。
テレビに向かうとアニメを見たりゲームをしたりしていた彼女が、
ニュース番組を見るようになった。
じーっとニュースを見て、
次の日もじーっとニュースを見て、
その次の日もじーっとニュースを見て、
その内容について、自分と夫に話しかけるようになった。

なぜ戦争をしているのか、と尋ねられても、
的確な答えを用意できなかった自分を恥じたが、
同時に成長した娘に対してとってもうれしかったし、愛らしかった。
であるならば父も、あのときのわたしをこんなふうに愛してくれたのかもしれないと、そう思って胸が熱くなった。


いい話を聞いたなあ、と思って、
ふと考えると、わたしも双子の子どもたちが小さかったころ、
ふたりを連れて寝台列車の旅をしたことがあった。

けど、どこへいったのか。
なにをしにいったのか。
ただ車中が楽しかったという思いだけが残っていて、
あとはすっかり忘れてしまった。

父親としてどうかしてるのかはわからないが、
K子のお父さんには敵わないことは確かだ。