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ラグビーつながりで修学旅行をプレゼント(釜石への道 2011年〜2020年⑩)

2020年に参議院議員の蓮舫さんと離婚して、
わたしは東京から釜石に移住した。

長崎出身のわたしがなぜ移住先が釜石なの?
とときどき聞かれる。
2011年に初めて釜石に来て、そのあといくつか仕事だったりボランティアでの活動だったり、
釜石をベースに活動してきたので、釜石に友人たちができたし、
いってみれば「関係人口」の一人だった。

釜石をベースにした活動のひとつが、
これまで「釜石への道」で書いてきた
中学生のラグビー大会だった。

鵜住居小学校の2012年の修学旅行も手伝った。

社員の義援金を役立てたい

きっかけは、ラグビー大会だった。
青山学院中等部ラグビー部の保護者に、
広告代理店を経営している人がいて、
その会社の社員からまとまった額の義援金が集まった。

大手の団体に託してもいつどこで何に使ってくれるのか、わからない。
そのときすでに震災から半年以上がたって、
「何でもいいから役に立ちたい」
ではなく、
「役に立ったことを実感できるような」
支援をしたい、という気持ちが大きかった。

そこで、わたしに相談があった。
わたしはその社長の思いを釜石の友人に伝えると、
「鵜住居小学校が修学旅行で行き詰まっている」
という情報が得られた。

鵜住居小学校といえば、隣接する釜石東中学校といっしょに「釜石の奇跡」といわれた学校。発災して大津波に襲われる前に、児童生徒たちが自主的に避難して、生存率が99%を超えた学校。(いまは「「釜石の出来事」と称するようになった)

「逃げろ!」

被災当日、鵜住居小学校では、地震発生直後は校舎の3階に中高学年を、低学年を1階に待機させた。
2日前の3月9日にも大きな地震があったが、このときと同じ避難方法だった。

しかし、消防団員が学校へ駆けつけ、
「3階では危ない!」
と怒鳴った。それを聞いた職員が、停電で校内放送が使えないので、
ハンドマイクで「ございしょの里へ逃げろ!」と、
校舎の中から1階の低学年生へ、
校庭へ出て3階に叫ぶ。
(「ございしょの里」は福祉施設。避難場所に指定されていた)

隣の東中学校の生徒たちは、すでにございしょの里へ向けて走り出している。
小学生たちはそれを見て、そしてハンドマイクで促されて、
自分たちで校舎の3階から駆け下り、校庭から校門を出て、
全力疾走でございしょの里を目指した。

そして最初の津波があり、
ございしょの里からさらに坂の上に避難し、
三度目もさらに上へと避難して、
全員が無事に逃げ切れた。

広告代理店の社長は、ラグビー部の釜石合宿にも保護者として参加していたので、
このエピソードはそのときに聞いていたし、
実際に鵜住居小学校、釜石東中学校の被災後跡地も見学していた。

「ぜひ鵜住居小学校の修学旅行に」
お金を使いたい、というので、
わたしは釜石の友人を通して、
鵜住居小学校の坂下俊彦校長に交渉した。

坂下校長は、意外なことを口にした。(つづく)