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オリンピックが始まるその日に改めて体験した

久しぶりに土曜日の朝を釜石で迎えた。
すっきり晴れてて、暑くなく、空と山と人工物の色の取り合わせ、
ジョギングしててもむちゃくちゃ気持ちいい。

昨日は大隈塾リーダーシップ・チャレンジのオンライン・スタディツアー。
釜石の「いのちをつなぐ未来館」のスタッフが、
館内の案内と「防災リュックワークショップ」を担当してくれた。
ナビゲーターはあきちゃん。

あきちゃんは地元の鵜住居小学校、釜石東中学校の出身。
2011年の被災当時、釜石東中学校の2年生だった。
小学生の手を引いて、坂道を駆け上がって生命を守りあった一人だ。

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そのあきちゃんが、伝承資料館でもある「未来館」の案内をする。
地震が発生したとき、部活で校庭にいた。
立っていられなかったほどの揺れ、
よつん這いから立ち上がって、逃げ始めた。
最初の避難場所から、しばらくしてもっと高い場所への移動。
そのとき、さっきの地震とはまた違った衝撃音がした。
振り向いたら、津波が街を飲み込んで迫ってきた。

もっと上へ、もっと上へ。

急な坂道を駆け上がっても、息が切れてなかった、
と、あきちゃんは記憶している。

釜石の中でも、鵜住居地区がもっとも被害が大きかった。
犠牲になったにはいろんな要素があるが、
多くの小中学生が犠牲にならなずにすんだ原因は、たったひとつ。
防災訓練を繰り返し、いざというときにそれを忠実に再現したことだ。

未来館のガイドは、きっちり30分。
何度も未来館の展示を見てきたし、エピソードも知っているわたしも、
あきちゃんのリアリティあるガイドには引き込まれた。

オリンピックが始まるその日に、
生きることの大切さを改めて学ぶことができた。

復興五輪とはいわれなくなったが、
復興五輪とはいわれなくなってよかったかもしれない。
生命の大切さを明確な言葉で伝えてく責務を感じて果たしている東北を、
生命の大切さを明確な言葉と行動で一度も示していない政府が、
「復興五輪」なんてちゃんちゃらおかしくてしょうがない。