忘れちゃってたサッカーワールドカップの不都合な事実

ああそうだった、
と記事を読んでハッとした。

昨日の朝日新聞。
ジャーナリストの津山恵子さんのコラム、
「カタールW杯 洗い流せない不都合、欧米は伝えた」

カタールでワールドカップ開催のためにつくった高速道路、ホテル、競技会場、
その建設過程でおよそ6,500人が亡くなっている。

カタール政府は、同性愛者を犯罪としているし、
女性の権利を奪っている。たとえば、男性の保護者の許可なく自動車の運転をしてはいけない、とか。

厳しい報道規制。街なかで市民の住宅や商業施設、
政府機関の建物を撮影するのは禁止。
撮影していたら「カメラを壊す」と警備員に脅された記者もいた。

こうしたことは、大会前から日本のメディアでも問題とされ、
いろんな人がコメントしていた。

でも、いつの間にか、というか、
日本代表がドイツ代表に勝ったときから、
そうした批判はなくなっていった。

そして、いつものように、
ことが終われば批判もなくなった。
東京オリンピックのときのように。

いつの間にか、と、いつものように、を
いつまで繰り返すんだろう。

スポーツウォッシング、という言葉もある。
スポーツが巻き起こす感動と熱狂で、
その裏にある不都合な問題を洗い流す、という意味だ。

ウォッシングするのは権力の側で、
それにのっかってるメディアによって、
わたしたちはまんまとウォッシングされてしまったのか。
それとも、自分たちでさっさと忘れ去ったのか。

きっと両方なんだろう。

わたしもそうで、
じゃないと記事を読んで
「ああ、そうだった」
というハッとしたりはしない。