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愛なんていらねえよ、30歳夏。

趣味に全てを注いで生きてきた。バンドの動員の為なら西へ東へ遠征、推し俳優の為なら同じ舞台に何度も足を運び、推しキャラの為なら部屋をグッズで埋めつくしたりもした。とことんやっておけば飽きても後悔しないのだ。『あの頃はこんなことしてたんだ、懐かしいなー』なんて笑える性格だと知っていたから。

もちろんそんな時期だって仕事も、いくつかの恋もした。その頃働いていた趣味の延長のようなエンタメ系雑貨屋での恋は、いつかエッセイマンガにしたいくらいおかしかった。恋だと思ってたけど、愛もあったなって最近になって気付いたくらいだ。

諸々あって26の頃に仕事を変えた。そこは主婦パートさんが多く、例によってお話好きな方々で、有難いことに打ち解けてくれようとたくさん話しかけてくれる。

『結婚はしてるの?まだ?あらそうよね、彼氏はいないの?ああ大丈夫よぉ、まだまだこれからじゃない、ねえ』

自己紹介をし、ある程度会話が弾むとパートさんはみな口々にこう言ってきた。私は今まで同世代、そして他人の噂より自分の趣味に夢中な変わり者ばかりの職場だったから知らなかったのだ。田舎のヤンキーが『オメーどこ中だよ?』が挨拶がわりにするように、アラサー女性への田舎のベテラン主婦の挨拶は『いくつ?そう、結婚は?』だということを。当時はまだ結婚に興味なんてなく、趣味に夢中だったので『めんどくさいな』くらいだったが、今思うと洗礼を受けていたんだろう。主婦コミュニティの。

数年もすれば色々任され始めて忙しくも楽しく動き回り、すっかり仕事が趣味のようになってしまった。そして例の疑問にぶち当たる。自分の人生はこんなスッカスカでいいのだろうかと。

仕事は順調にステップアップし、手応えとやり甲斐を感じそれなりに充実していた。スカスカ人生もようやく密度マシマシになってきたなという30の春に転機が訪れる。自分の母くらいの人達との仕事を担当することになったのだ。業務自体はさすがはベテラン揃い、早く無駄も少ない。休憩時間にはよく話しかけてくれて、ここで頑張ればまた道が開けるかも…と落ち着いて周りを見渡し始めた矢先、彼女達の本性を知った。専らの話題といえば旦那や子供の愚痴、近所や市内のご家庭の噂と田舎ゴシップのオンパレードなのだ。毎日のことに、またこの話かぁと辟易しつつも『ソウナンデスネー』なんてうまく笑えるようにもなってしまった頃、ふとあることが気になり始める。

仕事をがむしゃらにこなそうが、会社で認めてもらおうが、この田舎では『家庭を築いてこそ社会的に一人前』という現実。例外は億万長者くらい。もちろんそんな人は田舎にいるはずもない。30になって結婚はおろか彼氏さえいなかった私は、自分で稼いだお金で誰に迷惑をかけるでもなく、好き勝手楽しく生きていても、いつまでも遊んでると見なされる。それだけならまだいい。彼女たちには全く関係ない親までもが、孫も見られず可哀想と勝手に同情されるのだ。それだけがどうしても耐えられなかった。一番の親孝行が本当は何であるかは知っていたし、SNSで友人が母になるのを知るたびに、それで悩み始めていたからだ。仕事に打ち込んでるのを知っている両親は何も言ってこないが、やっぱり心の中では私が家庭をもつことを望んでいるんだろうな、と。

結婚したい。でもそんなことより、


愛がそこになくても、結婚したという事実が欲しい。


そうしてスカスカの人生への焦りをおぼえ、周囲から理不尽に向けられる同情への怒りに背中を押されるようにして、婚活ステージに上がる決意をした。







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