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稲荷の祈禱師/読者のミステリー体験

「ムー」最初期から現在まで続く読者投稿ページ「ミステリー体験」。長い歴史の中から選ばれた作品をここに紹介する。

選=吉田悠軌

稲荷の祈禱師

神奈川県 63歳 七条藤周

 稲荷の社に住む祈禱師の老婆が首吊り自殺をしたと聞いたとき、私は「やっぱりなあ」と思いました。もう、30年も前のことです。

 私がその老婆と出会ったのはその1年前でした。当時、私はある高校の教員をしていました。
 ある日、友人が私に、
「海峡近くの稲荷の社の祈禱師に狐が乗り移って、願いを叶えてくれたり失せ物のあるところを教えてくれたりするそうだけど、本当かなあ」
 といってきました。

 私は「そんなことあるもんか」と答えながら、もしそれが本当なら……とも思いました。
 というのも、当時私は週に3日、T漁業の専務の子供の家庭教師をしていたのですが、学校からその専務の家までバスと電車を乗り継いで1時間半もかかるため、オートバイが欲しかったのです。もしそのお狐さんに頼んで、それが手に入るようであれば、まさに「もうけもの」です。

 そこで、私は日曜日の午後、ひとりでその社を訪ねたのです。

 まず社殿のお稲荷さんにしっかり願掛けをしてから、境内の隅にある掘っ建て小屋を覗いてみました。ちょうど70歳くらいと思われる白髪の老婆が正面の祭壇を拝んでいるところでした。その後ろに男性が正座して頭を下げています。私はそっと彼のうしろに座りました。
 すると突然、彼女が大声で、
「わが心清々しい。わが心清々しい。わが心清々しーい」
 と叫び、両手を頭の上に振りかざすと、そのままガクッと突っ伏してしまったのです。そして、先程とはまったく違う声が聞こえてきました。
「家出したカァちゃんは3日以内に帰らせてしんぜよう。けんど帰ってきたら責めるなよ。行き先や理由を聞いちゃいけん。わかったのう。天に帰るぞよ」
 それをいい終えると、老婆はふっと顔を上げて体を起こし、こちらを向き、「稲荷はなんちゅうたかのう」と真顔で聞いたのです。いま自分でいったことを覚えていないようです。男性が聞いたことを告げると、
「よかったのぉ。いわれたとおりになぁ」
 と男性に話しかけました。彼は何度も頭を下げて”お礼”と書かれた封筒を神前に置き、私にも頭を下げて出ていきました。

 それを見送った彼女が私に「よう、お参りなされたのぉ」と声をかけてきました。そこで私が願い事をいうと、
「ほじゃ、叶うかどうか聞いて帰られたらよかろう」
 老婆は気楽にそういって祭壇に向き直って祝詞をあげ、間もなく「わが心……」と叫びました。やがて同じように突っ伏したかと思うと、突然、
「このばかもん! わりゃ、一生酒をやめるとさっきいうたが、できもせんことをいうな。21日間だけ断て。21日間だけでええ。さすればわれの願いを叶えてとらせる」
 と、怒鳴るようにいったのです。確かに私は先程、社殿で願を掛けました。
「オートバイが入手できますように。そのために、今日から大好きなお酒を一生断ちます」と。
 けれどもそれは心のなかでいったのですから、だれにもわかるはずはありません。私は本当にお狐さんがいて聞いていたとしか思えませんでした。とはいえ、それでも私は本当にオートバイが手に入るかどうか半信半疑だったのですが。

 ところが、その日から、ちょうど15日目のことでした。例の専務が、持っていた外国製のオートバイを、私に無料で譲ってくれたのです。それはとてもかっこいい、すばらしいものでした。
 私はさっそく老婆のところへお礼をいいにいきました。すると、あの日先にみてもらっていた男性とでくわしました。
 彼の話を聞いてみると、いわれたとおり、奥さんが3日目に帰ってきたとのことでした。
 それから私は、暇さえあれば彼女のところへ通うようになりました。

 毎日、何人もの人が来て、彼女にさまざまな相談をしていきました。株、浮気、受験、結婚、方位……。彼女は大忙しで、見料もだいぶたまったらしく、プレハブを建て替えようかなどといっていました。

 不思議なもので、それから半年もたつと、私にも、彼女に降りてくるお狐さんの姿が感じられるようになりました。
 彼女に降りてくる狐は3匹いました。名前を聞くと、スピッツのように小さくて真っ白いのが「コウシンマル」、茶色の毛の混ざった大きいのが「コウノシン」、眉間に3本のシワがあるのが「三徳」というそうです。そのうち1匹が、拝んでいる彼女の頭上か背後に現れるのです。

 それが私にも見えていたのですが……。

 ある日の午後、私が訪ねたときにちょうど男の人が来ていて、いつものように彼女がお狐さんの言葉を伝えていました。ところが、狐の姿が見えません。あれ、変だなと思いましたが、私は黙っていました。

 以来、彼女の声や形はそれまでと同じなのですが、まったく狐たちが見えなくなりました。それでも彼女は、狐が降りてきているふりをして見料を稼いでいました。

「そんな噓をいっていると、狐たちが腹を立てて、そのうち罰が当たるよ」

 私は彼女にそういわねばと思いながら、なかなかいいだせないでいました。
 そんなある日、彼女が夜中に社殿の横の杉の木で首を吊って死んでいるのが発見されたのでした。

 30年が過ぎたいまでも稲荷の前を通ると、あの老婆のことが、昨日のことのように思いだされます。


(ムー実話怪談「恐」選集 選=吉田悠軌)

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