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病院・仏間・夏祭りの恐怖体験談/あなたのミステリー体験

読者から投稿されてきた、不思議で神秘的な出来事をご紹介します。

イラストレーション=不二本蒼生

病院のエレベーター

◆鈴木国行/福島県いわき市(55歳)
 昨年、私は地元の総合病院で胃の手術を受けて、3週間ほど入院していました。
 最初1週間ほどは術後の痛みや熱があったため安静にしていたのですが、徐々に回復し、歩行リハビリを受け、ようやく自由に院内を歩けるようになりました。
 入院生活が2月だったため、外は寒かったものの院内は暖かく、私はいつもパジャマの上にカーディガンを着て歩いていました。
 担当の医師や看護師さんの話では、できるだけ歩いたほうが血の巡りがよくなり、術後の傷も治りやすいとのことでしたので、一日1500歩を目標に歩きました。
 朝は1階にあるコンビニまでエレベーターを使って新聞を買いにいきましたが、昼間は階段をゆっくりと降りて、外来患者のいない階を選んで歩いていました。
 ある日のことです。その日は朝から雨が降っていました。いつもどおり朝食後に検温と血圧測定をすませた私は、コンビニに行くために病室を出て、ロビーを通って、エレベーターで下へ降りていきました。
 まだ時刻が6時半過ぎと早いせいか、外来患者さんたちの姿はなく、どの受付窓口も閉まっています。
 コンビニでいつもの新聞を買った私は、自分の部屋に戻るために再びエレベーターの前に立ち、「開」のボタンを押しました。
 すると――1階に停まったままになっていたそのエレベーターの中に、なぜか背の低いおばあさんがひとりで乗っていたのです。薄い水色のパジャマ姿で、灰色のカーディガンを着ていました。
 私がちょっと驚きながらも、
「おはようございます」
 と、挨拶をすると、おばあさんは私と目を合わせようとせず、無言で頭を少し下げました。
 私にはその状況がすぐには理解できませんでした。とにかくそのエレベーターに乗り、自分が降りる階のボタンを押しておばあさんに背中を向けました。
 その直後、自分の背後に何やら妙に寂しく嫌な気配を感じて、ゾッとしました。思わず背後を振りむきかけたものの、そのときになって初めて、私は自分が押した階のボタン以外、押されていないことに気がついたのです。
 私は後ろを振りむくことができなくなりました。かたくなにおばあさんに背を向けたまま、ドアの脇にある階数が表示されているボタンの箇所だけを見つめつづけます。
 やがて自分の背筋が冷たくなっていくのが感じられました。エレベーターは、ゆっくり静かに上がっていきます。
 ようやくエレベーターが自分の降りる階に着きました。ドアが開くと同時に素早くエレベーターを降りた私は、無意識のままエレベーターの中を振り返っていました。
 ――おばあさんの姿は、どこにもありません。
 エレベーターの奥の大きな鏡には青ざめた表情をした私の姿だけが映っています。
 私はいつになく早足にロビーを通りぬけ、自分の病室へと戻りました。
 その後、この話はだれにもしていません。どうせ信じてもらえないでしょうから。
 ただ、そのとき以来、私は二度とエレベーターは使いませんでした。

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仏間の生首

◆田村順子/栃木県足利市(41歳
 私が高校1年生の夏休みに、家族3人で父方の祖父母の家に行きました。祖父母の家は江戸時代に建てられたという、いくつも部屋がある古い大きなお屋敷でした。
 8月15日の朝、祖父から仏間に来るようにといわれました。
 いいつけに従ったところ、祖父は仏壇の戸棚から長方形の木箱を取りだしました。中には古い掛け軸が入っています。祖父は慎重な手つきでそれを広げて床の間に掛けました。
 掛け軸には、何やら気難しい顔をしたお侍さんがひとり描かれていました。祖父がその人物を指さし、説明を始めました。
「この方は、おまえの6代前のご先祖様だ。多くの家臣を抱えた武士であった。しかし、あるとき家臣の不始末の責任を取って切腹し、斬首されたのだ。おまえも手を合わせて冥福を祈りなさい」
 厳粛な顔をした祖父の口から出た言葉にうなずきながら、私は掛け軸に向かって手を合わせました。
 そこに描かれたご先祖様の寂しげで悔しそうな、何とも印象的で複雑な表情から、どうしても私は目を離すことができません。
 しばらくした後、みんなでお墓参りに行きました。
 このお墓にあの掛け軸に描かれたご先祖様も眠っているのだなと思いながら手を合わせたせいか、何やら怖いような気持ちがしたのを今でも覚えています。
 その夜のことです。私たち家族3人は、仏間の隣にある部屋で寝ていました。
 どうしたことか私はなかなか眠れず、いつまでもひとりでボンヤリと暗い天井を眺めていました。
 深夜2時を過ぎたころだったでしょうか。
 突然、隣の仏間から、ズリッ、ズリッという何かを引きずるような音が聞こえてきました。
 不審に思った私は、静かに布団を抜けだすと、部屋の脇の柱に取りつけてあった懐中電灯を手に、思いきって仏間に続く襖ふすまをスッと素早く開けてみました。
 その瞬間、真っ暗な仏間の畳の上に何かがあり、それがモソモソと動いているのが見えました。すぐに私はその物体に懐中電灯の光を向けたのですが、次の瞬間、ハッと息を呑んでしまいました。
 最初、それはマネキン人形の首のように見えました。マネキン人形の首から上の部分だけが畳の上で動いていると思ったのです。
 でも、すぐにそれが間違いであることに気がつきました。マネキン人形の首などではありません。どう見ても人間の生首でした。
 髪を武士風のチョンマゲに結ったその生首は、声を失くし、その場に立ちつくしたまま動けずにいる私のほうへ、ズリッ、ズリッ、ズリッと音を立てて近づいてきます。私の全身の毛は逆立っていました。
 間違いありません。まぎれもなくその生首の顔は、あの掛け軸に描かれていたご先祖様のものでした。
 私は叫びたくなるのをこらえてピシャリと襖を閉めると、そのまま布団に潜りこんで、ガタガタと震えながら朝を待つしかありませんでした。
 明け方、祖父の元へ駆けつけ、自分が見たもののことを訴えました。
 祖父はそれほど驚いた様子もなく、黙って私の話を聞きおえると同時に仏間へと行き、掛け軸を入れた木箱を手に、菩提寺(ぼだいじ)へ向かいました。
 後で聞いたところによると、掛け軸は菩提寺で手厚く供養していただいたとのこと。その後、生首が現れることはなかったそうです。

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20年ぶりに見かけた同級生

◆石川茂/福岡県大野城市(48歳)
 10年ほど前の話です。 
 毎年、実家の近くで催されている地域の夏祭りに、当時、まだ幼稚園に通っていた娘を連れていきました。
 会場は小さな公園でしたが、櫓やぐらが組まれ、出店もあり、近所の人々が大勢押しよせていて、大変なにぎわいようです。
 音楽や櫓の上で叩かれる太鼓に合わせて盆踊りに興じる人の輪も熱を帯びて、夕方から始まった祭りはあっという間に夜を迎えました。
 そんな最中、可愛い浴衣に身を包んだ娘は、出店で買った鳩笛(はとぶえ)を盛んに吹いています。
 そのときでした。櫓をはさんだ向かいの人の群れの中に、中学・高校時代、同級生だったK君の顔が見えました。高校を卒業してからずっと会っていませんから、20年ぶりくらいの再会です。しかし、あまり昔と変わらない姿だったので、すぐに彼だとわかりました。
 そういえば彼の実家もこの公園の近所でしたので、にぎわいに誘われてちょっと遊びに出てきたのだろうと思いました。
 子供のころから心臓を患っていたせいで、まともに運動をすることができず、学校の体育の時間はいつも見学していたK君。しかし、性格がとても明るく、いつもにぎやかな子でした。
 そんな彼も今では結婚し、すでに子供もいるということは風の便りで聞いていました。
 しかし、そのとき彼のまわりに妻子らしき人の姿はなく、どうやら彼はひとりで来ているようでした。
 懐かしくなった私は、彼に近づき声をかけようと思いましたが、手をつないでいた娘がなぜか反対方向に強く私の手を引っぱるので近寄れません。
「向こうにパパの友だちがいるから一緒についてきて」
 と、娘にお願いしても、断固聞いてくれません。普段は親の頼みごとを素直に聞く娘なので、このときの態度はめずらしいことでした。
 当然、娘ひとりをそこに残したまま彼のほうに行くわけにもいかないので、大声で呼びかけてみようかとも考えたのですが、まわりのにぎやかさを思えばとても無理でした。また、彼のほうから私の存在に気づかないかと懸命に視線を送ったのですが、彼は無表情でボーッと立っているだけで、まったく私の存在に気づいてくれません。
 そうこうするうちに彼の姿を見失ってしまいました。その後も一、度、会場で彼の姿をチラッと見かけましたが、ついに声をかけることはできませんでした。
 それから数か月後の、ある日のことです。高校時代の同級生だったS君に、電車の中で偶然、再会しました。久しぶりだったのでお互いに近況などをひとしきり報告しあった後、不意に彼が、
「ところでおまえ、Kが死んだこと知っていたか?」
 と、いいだしました。夏祭りに見かけたK君のことです。
 高校卒業後もK君と交友を続けていたS君の言葉に、私は驚きを隠せません。心臓病を悪化させたK君は、奥さんとまだ小さな子供を残して亡くなったとのこと。S君はお葬式にも参列したそうです。
 思わず声を震わせながら、今年の夏祭りの夜にK君を見かけたことをS君に話しました。
「そんなはずはないよ。だってKが死んだのは今年の春だから」
 すると、夏祭りの夜、私が見たあのK君は……!?

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すぐそこにある不思議

無気味なアンティークドールと何の因果か再会を……
◆兵庫県尼崎市 山川洋子(53歳)
 26歳のころ、骨董店である一体のアンティークドールが気に入り、購入しました。兄はその人形をひと目見るなり、
「何だかこの人形、怖いよ」
 と、いっていましたが、私はまったく気にしませんでした。
 その後、実家を出て、横浜で暮らしはじめました。当然、そのアンティークドールも持っていきました。
 それから半年ほどたったころから、深夜にしばしば金縛りに遭うようになりました。さんざん悩むうちに、ふと兄の言葉を思いだした私は、そのアンティークドールを東京のアンティークショップに引きとってもらうことにしました。
 その1週間後の夜のことです。眠っている私の体が、突然、宙に浮いたかと思うと、ものすごい力で引っぱられて、グルグルと部屋中を飛びまわりはじめたのです。あまりの恐怖に意識を失う寸前、無表情に私を見つめる、あのアンティークドールの元の持ち主らしき外国人の少女の姿が見えました。
 都心から遠い山間(やまあい)の人形館で、そのアンティークドールを再び見つけたのは、それから数年後のことです。
守護霊に守られて絶体絶命の大ピンチを回避!
◆岐阜県羽島市 今田千花(54歳)
 小学校3~4年のころのことです。その日、私は詩を作ってくるという国語の宿題を忘れていました。授業が始まり、先生が席順にひとりずつ宿題の詩を発表させていきます。私は、「ヤバイ、どうしよう、怒られる!」
 と、完全にパニック。頭の中が真っ白になっていました。
 そしてついに私の番になりました。私は怒られるのを覚悟で、宿題を忘れていたことを先生に正直に話そうと思いながら立ちあがりました。
 ところが―― 次の瞬間。なぜか、突然、私の口からスラスラと詩が飛びだしたのです。それは単にそのとき自分の頭の中に勝手に浮かんできた言葉を口にしているだけのことだったのですが。自分でもわけがわかりませんでした。
 結果的に、そんな私の詩が、何とクラスで2位の成績を修めたのです。
 大人になり、守護霊というものの存在を知りました。私は、もしかしたらあのとき自分を救ってくれたのは、守護霊だったのではと思っています……。


小林世征の心霊相談室

 お察しのとおり、鈴木さんがエレベーターの中で遭遇したおばあさんは、すでにこの世に存在しません。生前、病でこの病院に入院していたものの、寝たきりであるほどには重病でなく、
鈴木さん同様、リハビリを兼ねて院内を歩きまわっていました。不幸にも発作的にエレベーターの中で倒れ、そのまま旅立ってしまったのでしょう。
 ご高齢かつ病を患っていたものの、あまりにも、突然、死を迎えたため、おばあさんは自分が亡くなったことに気づいていません。そのため今もエレベーターの中に留まっているのです。
 石川さんも、すでにこの世に存在しない同級生の霊を目撃しました。ただし鈴木さんが遭遇した霊とは明らかに違う点があります。
 石川さんが見た霊は、亡くなったことを自分自身で理解し、とっくに成仏
しています。つまり、浮遊霊などではなく、幼少時から参加していた夏祭りを懐かしみ、一時的に現世に戻ってきただけにすぎません。
 不思議なもので幼稚園生から小学校低学年ぐらいの女の子は、鋭い感性を発揮します。石川さんのお嬢さんはその典型的存在。霊とまでは見抜けなくても、違和感や嫌な気配を鋭く察知し、お父さんのお願いを拒否しました。
 これまた不思議なもので、成長するにつれ、幼少期に備わっていた感性は自然消滅します。理性が上まわり現実を直視するようになるのでしょうね。

(ムー2020年4月号掲載)


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