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「嫁の屁」で、飛ぶ。/黒史郎・妖怪補遺々々

普通の妖怪譚より奇妙かつ恐るべきは「嫁の屁」……? 今回より3回に渡り、「におう」話を補遺々々します。
ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!

文・絵=黒史郎 #妖怪補遺々々

おならの意味

「へへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」

 31個の「へ」。これは加保茶元成という狂歌師が、人が放屁したときに周りの人が笑った様を詠んだものだといいます。五・七・五・七・七の調子ですね。
 人前でおならをすることは、恥ずかしいことです。笑ってもらえればまだいいですが、場所によっては大変失礼な行為とされ、白い目で見られてしまいます。これは屁を放つ場所が肛門という器官であり、不快な音と臭いを伴って発されるからなのでしょう。これが、美しい音色を響かせ、甘い香りをさせるものだったら、放屁者の立場、また放屁そのものに対する価値観なども変わっていたのではないでしょうか。

『広辞苑』で「屁」を引きますと、次のように書かれています。
① 飲み込んだ空気や、腸の内容物の発酵によって発生したガスが肛門から排出されるもの。おなら。ガス。
② ねうちのないもの、つまらないものたとえ。
 
『和漢三才図会』で「屁」を引きますと、次のように書かれています。
児女はこれを於奈良(おなら)という。尾鳴という意味である。
思うに屁は人の気が下に泄するのである。実であれば音高く、虚であれば音は低い。食滞すれば甚だ餧臭(すえりくさ)い。人前で放つのは傍若無人である。

 どちらも身も蓋もない説明です。「餧」という字は食べ物を意味します。そのガスといわれてしまえば確かにそうなのでしょうが、決して「ねうちのないもの」ではありません。なんだかんだいっても、昔の人たちはこの生理現象を愛していた節があるのです。

 昔話・民話に放屁譚は欠かせません。
 おならが原因で巻き起こる悲喜劇があるのです。
 そういう話には、類い稀なる放屁術を会得した怪人物が登場します。おならで不思議な技を見せる者、愉快・奇怪な音を発する者、人並外れた威力で人々を圧倒させる者――そのような放屁のスペシャリストたちとも呼ぶべき人たちの話は全国的に分布しています。
 数ある「におう話」を今回含めて3回にわたってご紹介します。今回は放屁譚の中でも、とくに知られている「屁をする嫁」の話をご紹介します。

嫁は屁を我慢する

 気立ての良い娘が嫁に行き、嫁ぎ先の家でおならを我慢しすぎた結果、大変な事態になる――という話は、多くの地域の民話集に見られます。
 夫ならまだしも、夫のご両親の前でブウッとするのは、確かに気が引けます。我慢してしまう気持ちもよくわかりますが、我慢は体によくありません。
 ここで紹介する民話でも、嫁の食欲のなさと顔色の悪さで屁の蓄積を知る冒頭部分が描かれます。理解ある姑は「屁ぐらいなんですか、どうぞ自由にしてください」、嫁は喜んで「よろしいのですか、では遠慮なく」という展開になります。悪い予感しかいたしません。
《嫁が嫁ぎ先で長期間において蓄積したガスを一気に放つ》という物語のアウトラインは同じですが、放屁の描写、姑の対応など、地域によって微妙に違いがあります。ここに類話をあげていきましょう。

【類話1】
 ある村に、とてもきれいな女性がいた。どんなに男たちが嫁にしたいといい寄っても、首を縦には振らなかった。ある熱心な男が断る理由を女性に聞くと、自分は屁をするから嫁に行けないのだと答える。男は「屁がなんだ、そんなものいくらでもしていい」と、躊躇する女性と、なかば強引に結婚してしまう。
 しかし、日が経つにつれて、嫁は顔色が「青んぶくれて」くる。
夫が「屁は我慢するな」というので、嫁は「私の屁はとても太かですけん、柱につかまってもらわんと、あぶのうございます」と忠告する。女が屁を放つと、部屋にたちまち大風が起きて、あらゆるものを吹き飛ばす。
(「屁ひり女」――「肥後の民話」」『日本の民話』未來社)

【類話2】
 嫁は許しを得て、溜め込んでいた屁をする。その前に、義母と義父に「炉の縁につかまっていてくれ」という。まさか屁にそんな威力はないだろうと思いながらも両親が炉縁につかまると、「ぶーぶーっ」と大きな音が鳴り、義父も義母も梁まで吹っ飛ばされる。「屁の口を止めてくれ」と両親が必死に頼んで、ようやく屁が止まる。
(「屁ったれ嫁ご」『わたりの民話』亘理町教育委員会) 

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