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「チヨノの神隠し」/読者のミステリー体験

「ムー」最初期から現在まで続く読者投稿ページ「ミステリー体験」。長い歴史の中から選ばれた作品をここに紹介する。

選=吉田悠軌

チヨノの神隠し

東京都/宮井まゆみ

 神隠し、ということばは昔からよくいわれるが、本当はどんな現象なのか。私の身近に起こった事件など、不思議としかいいようがない。昭和25〜26年のこと、所は熊本県K郡にある村で起こった事件である。

 柳瀬チヨノは貧しい農家の子で、当時、小学3年生だった。村の人たちの間に、柳瀬の家は水神さんに見込まれているから、生まれた子は育たないといううわさがあった。そのうわさを絵に描いたような出来事があった。
 チヨノの家の裏には小川が流れているが、あるとき、チヨノの母が、自分のそばにチヨノの弟を寝かせて、小川で洗濯していたところ、まだ赤ん坊の弟が、水に吸い込まれるように小川へころがり落ち、水に流された。洗濯に気をとられていた母親は、赤ん坊がおぼれ死ぬまで気づかなかった。

「あン家は、やっぱ、水神さんに見込まれとるばい」

 と、村の人々はいった。
 そんなうわさのせいか、チヨノは学校でも、あまり友達ができなかったし、いつも少しぼうっとした、おとなしい少女だった。家が貧しくて、だれからもかまってもらえないせいか、ときどきチヨノは、自宅から何キロも離れたT村という山奥に住む伯父さんの家へひとりで遊びに行った。T村の伯父さんだけが、チヨノをかわいがってくれたからである。
 そのころはまだ、車が通る道もなく、けわしい山道を登り、標高1000メートルのC山という山の肩の、峠を越えて行かなければならなかった。それでも小学校3年のチヨノは、ひとりで歩いて行くのだった。

 ある日のこと、チヨノが行方不明になった。2日たっても帰らないので、家族は、T村の伯父さんの家に遊びに行っていないか問い合わせた。
 T村は電話もない山奥だったから、T村の山のほうへ働きに行く村の人がチヨノの伯父さんの家へ寄って直接聞いたのだが、チヨノは来ていないことがわかった。

 すると、T村の峠近くでチヨノらしい女の子に出会ったという情報が入った。女の子に出会ったのは、やはりチヨノの住んでいる村から山へ働きに行っている人だったが、「今ごろ、どけ(どこへ)行くとや」と聞くと、女の子はちょっと笑顔を見せただけで、返事をしなかった。そして峠のほうへ登って行ったという。チヨノはそんな性格だったし、服装や顔つきもチヨノらしい。それは行方不明になった日の昼すぎのことである。

 捜索隊が編成された。
 警官、消防署員、チヨノの学校の先生たち、村の青年たちなどが総出で、山狩りを開始した。林業の作業員、猟師など、山道、けもの道に慣れた人々が先に立った。もちろん、T村のチヨノの伯父さんや、近所の人々も山狩りに参加した。
 最近のように通り魔や誘拐事件などは考えられない時代だったし、変な人が山へ入ると、山の人たちの間で口コミの情報が、思いがけない速さで広がる。もし、チヨノが変質者などにさらわれたのだったら、どこかから、情報が入るに違いなかった。ことにチヨノの伯父さんが住むT村は、標高1000メートル級の山々に囲まれた秘境で、当時はK郡の人々でも「T村へ行く」といえば、大変な山奥へ行くように考えていたから、小学校3年のチヨノが、T村からそれほど遠くへ行くとは考えられなかった。

 だが、3日たっても、4日たっても、何の手がかりも得られなかった。

 1週間近くたったある日、チヨノはまったく思いがけない場所で発見された。T村の上にそびえる標高1000メートルの山の向こう側の、深い森林で働いていた人が、滝のある谷のほうへ下って行ったところ、滝の途中に自然に倒れた大木が、丸木橋のように横たわっていて、その上に女の子が引っかかっているのを見つけたのである。

 山狩りの隊員、それに他の村人も加わって皆で滝がある谷へ向かい、ようやく女の子を救助した。柳瀬チヨノだった。意識がなかったが、脈はあった。足に何か所か傷もあり、傷口にウジがわいていた。チヨノはすぐ村の病院へ運ばれて手当てを受け、ようやく意識をとり戻した。皆の質問に、ぽつりぽつり答えたチヨノの話はこうだった。

 最初の日、チヨノはT村の伯父さんの家へ遊びに行くつもりで、峠の道を歩いていると、山伏のような姿をした男に出会った。
 男はチヨノに「おれについて来い」というと、小柄なチヨノを横抱きにかかえて飛ぶように歩き出した。チヨノは、山伏ががけっぷちを走るように進んだのを、かすかに記憶していた。真っ暗な夜の尾根を、燈火もないのに、昼間と同じ速さで進んだことも、かすかに覚えていたが、どこをどう通ったのかわからなかった。
 気がついたら、病院のベッドに寝かされていた、というのである。

 チヨノの話に、おとなたちは驚いた。大のおとなでも、その峠から山を越えて、滝まで行けるのは、けもの道を知っている猟師ぐらいで、熟練した猟師でさえ、1日では行けない。チヨノの足の傷にウジがわいていた状態や、チヨノを診察した医師の意見では、チヨノは滝へ落ちて一週間くらいたっている様子である。とすると、チヨノは、峠の近くで姿を見られたその日のうちに、滝へ落ちたらしい。
 山伏に出会ったというのが、仮にチヨノの幻想だったとしても、では、どうして小学校3年の少女の足で、道もないけわしい山を越えて、そんなに早く滝の谷へ行くことができたのだろう。しかもチヨノは、今までに一度も、その滝へ行ったことはなかった。

 チヨノの事件は、山狩りに関係した人々はもちろん、関係しなかった村人の間にも、神隠しだ、とたちまち広がった。「神隠しンときにゃ、必ず山伏が連れて行くもんたい」と、K郡の人は信じているのだ。

 私が知っているほかのケースでも、やはり山伏に連れて行かれた若者がいた。若者はさいわい2、3日で無事に帰ってきたが、なぜか日常、山で働く人々で、本物の山伏に出会った人はいない。ただ「神隠し」に限って山伏が現れる。

 神隠しと同時に、皆、はっと気づいたことがあった。
 チヨノの家が、「水神さんに見込まれている」といううわさが、なぜかここでも姿を現していることだ。

 チヨノは、ただ山伏に連れ去られただけでなく滝へ落ちた。もし、そこに、チヨノのからだに引っかかる大木が倒れていなかったら、チヨノは滝つぼへ墜落して、水死していただろう。

 チヨノの神隠しの謎は、その後も学校の先生や、いろいろな人々の間で議論されたが、だれにも解けなかった。私も考えてみるが、やはりわからない。


(ムー実話怪談「恐」選集 選=吉田悠軌)


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