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「努力は必ず報われる」のか考えてみた

はじめに

おはようございます。
むぎです。

「努力は必ず報われる」
あなたも一度は聞いたことのある言葉ではないでしょうか。
今日はこの言葉についてちょっと引っかかる部分があったので
掘り下げてみたいと思います。

「努力は必ず報われる」のか

はじめに、「努力は必ず報われる」のかについて

私はイエスともノーとも言えると考えています。

そもそも誰がこんな言葉を言い出したのか少し調べたところ、
あの王貞治さんが残した名言だそうです。

うん、これ、努力して成功した人が言っているんですよね。

そして「努力は必ず報われる」という言葉の後には、

「報われないということは、まだ努力とは呼べない域だったということだ」

王貞治

とおっしゃったそうです。

ここまで聞いた上で、私はイエスともノーとも取れると感じたのです。

確かに、努力と呼べる域に達していないと成功できないということは、
量が足りていないという点では合意です。
成功するには圧倒的な量をこなすことが不可欠ですからね。

しかし、本当にただ量をこなせばいいのでしょうか?

ここが私の引っかかったポイントです。

少し極端な例を出すと
野球選手になりたいという子供が
一生懸命サッカーの練習に励んでいたとします。

その子は野球選手になれそうですかね?
おそらくよっぽどのことがない限り難しいのではないのかと思います。

つまり、並々ならぬ量をこなしたとしても、
その努力の方向性が間違っていた場合、
これもまた成功しない理由になるのではないでしょうか。

ただがむしゃらに頑張っていれば成功するのではなく、
正しい方向に向かって並々ならぬ努力が報われる
というのが正確な気がします。
どうでしょうか?

では、間違った方向にしてしまった努力は
努力とは呼べないのか、無駄だったのか。

これに対しては私はノーであると考えています。

努力は無駄にはならない

正しい方向に向かって並々ならぬ努力をしたら報われる
と前の章でお話ししましたが、
間違った方向に対しての努力は無駄になってしまうのか
と言われればそうとも限らないというのが私の考えです。

というのも、ここでいう「間違った努力」というのは、
ある目標に対しては間違っていたと言えますが、
ある別の方向では正しい努力と言えるのではないでしょうか。

つまり、無駄になってしまったと思われる努力は、
しっかり自分の中に積み重なっていれば
また別の場所では報われる可能性を十分に秘めているんですよね。

だから無駄な努力というのは
そうそうないのではないのかと考えています。

あなたがもし今何かに挑戦していて、うまくいかないのであれば、
それは単に量が足りていない、
もしくはその努力の方向性を間違えているだけかもしれません。

方向性が間違っていたとして、
もしその努力の成果が出始めている、全く苦ではないという場合、
これは思い切って目標設定自体を
変えて
しまってもいいのではないでしょうか。

あくまでも個人レベルで課しているような目標の場合、
当初の目標に対しての意欲がそこまで高くない場合、
成果を出すということが目標の場合、

努力が報われるのは
正しい方向に向かって並々ならぬ努力をしたら報われる
とするのであれば、

自分がそれまで積み重ねてきた行動を
最大限活かせるフィールドで勝負するのが
正解ではないでしょうか。

既に選んできた道を正解にする。
そう思えばとりあえず何か頑張ろうという気になれそうですね。

おわりに

努力について書いてみましたがいかがでしたか?

今回、このような内容を思い浮かべるようになった背景というのが、
まさしく私自身が今自分の努力の方向性について
考えているところだからです。

先の目標に対して、自分の今やっていることは正しい方向性なのだろうか。
いっそのこと方向転換した方がいいのか。
なんてことを最近考えています。

それでも今自分が必死になってやっている数々のことは
決して無駄になることはないと信じて、
流れの赴くままに進んでいきましょうかね。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。

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