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トイレ掃除をするといいらしいって聞いた

 生来お腹が弱くて困っている。

 友人と連れ立って伏見稲荷にお参りするときも、数学の試験でどうしても数値がマークに収まらないときも、へその上あたりがきりきりと痛んで僕の小さな脳みそは文字通りパンクしてしまう。せっかく京都にまで遊びにきてくれたのに、お腹が痛いからといって友人にさよならを告げる羽目になるし、芳しくない試験の結果よろしく大学に落ちる。

 それはすべてお腹が弱いせいだ。すぐお腹が痛むから物事を筋道立てて話すのが苦手だし、新宿駅での待ち合わせにもうまくいかない。

 下宿にはお茶を常備していないから、ぴたりとはりついた眼を無理やり開いてなぜだか外よりも寒い部屋で喉の渇きを潤そうと思っても、カルキの匂いが鼻につく水道水をそのまま飲むか諦めて自動販売機にコーラを買いに行くほかない。それが嫌だから僕は毎朝珈琲を淹れる。しかしこれがなかなか困難な営みだ。まず掛け布団を体から引き剥がさなければならない。茶色い染みのついたブルーの布団は僕の痩せほとった身体にくっついているから、それを自分から遠ざけるのは自然の摂理に反している。人間は脱皮しないなどというのは嘘だ。毎朝人間は布団という殻を破って社会に出ていくのだから。
 身体の一部が引き剥がされる痛みを感じながらせんべいぶとんから巣立っても、まだまだ困難は続く。まず、昨日洗わなかったドリッパーとサーバーを洗わなければいけない。ごみ回収車が左折する音を聞きながら僕は寝ぼけ眼を擦って流し台へと足を進める。またごみを捨てそこなった。ニンニクのかすと腐らせてしまった鶏肉が、ゴミ箱の中で永遠に眠っている。君たちはまだ社会に旅立たなくてもいいんだ。せいぜい今だけはぐっすりと眠りたまえ。次の木曜日には僕が君たちを社会の荒波に放り込むのだから。
 流し台には昨日食べたコンビニ弁当がそのまま投げ捨てられている。僕はそれをゴミ箱に捨てることもせずにサーバーとドリッパーを洗う。昨日は丁寧に洗ったから、今日は適当でいいのだ。しかしあれは昨日の出来事だっけ?
 そうだ、いや、当たり前だけれど、洗う前に昨日淹れたコーヒー豆のカスをフィルターごと捨てなければいけない。水を含んで真っ黒になった豆はまるで甲子園の土だ。僕は甲子園に行けなかったけれど、あの特権的な土を毎朝捨てていると思うと自分はなんだかすごい人間な気がする。慣れっこになって価値すら感じない。涙を呑んだ高校生に珈琲を奢ってあげよう。あ、手が滑った。最悪だ。
 廊下の隅っこには薄口醤油とキャノーラ油とだし醤油とみりん、オリーブオイルとごま油が無造作に置かれている。キッチンに近くて便利だからだ。そんな汚れたプラスチックのボトルの上に、甲子園の土がばらまかれている。弁当箱のすみに当たって偶然出来た噴水がその土に水を振りかけている。甲子園にはスプリンクラーが導入されたらしい。しかし阪神園芸がグラウンドを整備する気配はない。全部僕が片付けなければならない。僕はアマチュアだから。
 まあ、そんなこんなで熱い珈琲にようやくありつける。冬の六畳に立ち上がる白い煙。寒ければ寒いほど熱い珈琲がうまい。まあシベリアの極寒の中で試したことはないんだけれど。
 お腹が痛い。僕は知っているのだ。全部珈琲が悪いってことを。ああ、家って素晴らしいなあ、だってトイレがすぐそばにある。やっぱり僕は狭くて汚い自分の家が好きだ。だからいつまで経っても外に出ていかないし、カーテンだって閉めてしまう。社会の荒波とやら、さようなら。お腹の調子が治ったら荒波をずんずんかき分けていくつもりだぜ。それまで待っててくれ。あ、そう言えば僕はカナヅチだった。波が静かになるまで僕はずっとこの部屋で寝転がろう。ああ、寒い寒い。ちょっと冬眠しよう。やっぱりさなぎのままでいいや。

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