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割引はよくない

また今日も何もせずに日が暮れる。

スーパーに夕ご飯を買いに行く。7時くらいになると、刺身が半額で買えるのでだいぶ重宝している。しかし今は米を切らしているから、刺身だけでは物足りない。というわけで、何かお腹に溜まりそうなもの、まあ要するにうどんだとか弁当だとか、主食もセットになっているものをだらだらと物色する。


2割引では満足できない、しかし帆立がたっぷり乗った炊き込みご飯が美味しそうに見える。ケチくさい僕は、すでに半額になった弁当をカゴの中にキープしておきながら、買うつもりのない鹿肉だとか、鰹節だとか、油揚げだとかを適当に眺めながら時間を潰す。


どうしてたかだが100円、200円にこだわるのだろうか。目と鼻の先にスーパーがあっても自動販売機でコーラを買うくせに、スーパーのお惣菜や弁当は半額で買わないと損をした気分になる。これは不思議なことだ。節約したいなら、一貫性を持つことが何よりも大切なのだから。そしてやはり今日もスーパーで明日のコーラを買うことはしない。眠気まなこを擦りながら、面倒くさいなあと顔も洗わずに近くの自動販売機までとぼとぼと歩く自分の姿が頭に浮かぶ。


再び弁当が並んだ一角に足を向けてみると、まだお目当ての弁当は2割引のままだ。隣に並んだ健康志向の弁当はとっくに半額になっていて、老若男女の手がするりと伸びていく。僕は面倒くさくなって、半額のやつでいいやとその弁当を手に取る。しかしよくよく思い返せば、この弁当はすでにカゴに入れてキープしていた。


僕はビールを1缶カゴに入れ、時間を無駄にしてしまったと後悔しながらレジの列に並ぶ。ビールは最後にカゴに入れなければならない。ぬるくなってしまったビールもうまいけれど、よく冷えたビールの方がやっぱりうまい。しかしともかくビールはうまい。そもそも倹約するならばビールなど買わずにスパゲッティを茹でて、適当にペペロンチーノでも作ればいいのだ。


まだ5時だと高を括っていたら、気がつくと6時になり、7時が待ち遠しくて何も手につかなくなる。なぜ7時が待ち遠しいかというと、それはスーパーで安売りが始まるからだ。でも結局余計なものを買い込んでしまうから、むしろ安売りしているときのほうがお金がかかる。そのくせ何かお酒を飲んでしまって、やりたいと思っていたこともろくにできないまま一日が終わる。それならば7時を特権視などせずに、やりたいことをやりたいままにやってしまえばいい。


時間に余裕がないと、くだらない娯楽に時間を費やすようになる。要するにTwitterを見て、YouTubeを見て、ちょっとInstagramを見て、またTwitterに戻る、その繰り返しだ。2時間空いているからといって、じゃあ映画を見ようという気分にはならない。きちんと見終わった後に自由な時間がたくさん残っていて、余韻にひたれる時間が残されていなければならない。だからバイトの前に映画を見たり、読みかけの小説を開いたりはできない。隙間時間をドブに捨てながら生きている。


だからこそ、7時にならないとスーパーに行けないという、奇妙な強迫観念は捨て去るべきなのに、それがなかなかできない。お腹が鳴り始めた5時半くらいから無性にそわそわして、何をしようにもタイムリミットが僕を急かす。しかし何度も書いたことだが、倹約が目的の7時は、散財の7時でもあるのだ。こんなことで厳しい社会を泳ぎ切ることなどできようか(いや、できない。なぜなら僕はカナズチだから)。


そんなことを考えていたら、気がつけば10時をとうに越している。今から風呂に入って映画を見たら、すぐさま1時になり、2時になり、そして日が昇ってくるのだろう。そんなことなら5時から映画を見ればよかったのだ。そうすれば早くに床につけるし、明日も朝早くから活動できるはずなのに。


こうしてまた今日も何もせずに1日が終わる。明日も早くは起きれないだろう。だから明日も何もせずに終わってしまうかもしれない。それが嫌で目覚ましを早い時間に設定するも、むしろそのせいで二度寝が伸びて昼ごろ布団から重い腰をあげることになるのだが、僕は学ばない人間だし、明日の自分を期待している人間だから、性懲りもなく7時に目覚ましをセットする。

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