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親が死んだら、、と思うと発狂しそうになります。#お悩み相談No.45

1. 質問内容

■お悩み
仕事

■ご相談・ご質問内容
むねをさんのブログを拝読するようになり、自分の親への依存を自覚しました。
それは良かったことなのですが、依存をやめようと思うと、「じゃあ、わたしは誰を心の拠り所にしながらこの社会で仕事して生きていけばいいの、、??」とものすごいパニックに陥ります。自分が感じる感情の中で一番辛いものです。
親が全ての面において頼りないと子供時代に失望して傷ついてから、心を閉ざして生きてきました。そんな親でも、他に心の拠り所になってくれる人などおらず頼ってしまっています。自分の不安定さに絶望しますし、自分1人では生きていけないことに嫌気がさします。
無力感と社会という漠然としたものへの恐怖、仕事は怖いもの辛いものという感覚、これがわたしを恐怖のどん底に落とし入れています。とても生きることが怖いです。親が死んだら、、と思うと発狂しそうになるので気を逸らしています。
むねをさんだったら、どう乗り切りますか?

■性別
女性

■年代
25-29才

■ご感想
むねをさんの言葉選びや表現の仕方が好きです。


2. 回答

こんばんは。むねをです。

依存って言えば依存なんでしょうけど、多分それは気のせいですね。

ぼくが唱えている説に、

“「依存してます」って自分から言ってくる人、全然ほんとは依存してない説“

ってのがあります。

ガチで薬物依存症の人が、自分は“薬物依存症です“って言わないと思うんです。なぜならやめる気がないっていうのと、自分が依存してるっていう自覚が持てないくらい体に染み付いてるのが本当の依存症だと思います。

この人の場合は、自覚してる時点で依存はしてないと言えます。

きっと親に依存してるのではなく、親が心の拠り所なのでもなく、「自分が親をバカにしまくってる」から、「自分も社会の人からバカにされるんじゃないか?」って怖くって怖くって。そんなふうに社会の目が怖く感じる時に自分がバカにしてる親を見てると、“同種“だ、“仲間“だ、と思えてちょっとだけ気が休まるというだけの話ですよ、それは。


自分が親をバカにしてるのに「親が心の拠り所です」ってのは、清々しく滑稽で僕は好きですよ。人の滑稽さは、誰かの悩みをフッとばす力があります。自分の滑稽さに気づいた時も同様です。

ぜひあなたのその、人をバカにした態度を全面に出していけるようになると、あなたは笑えると思う。


あなたは一人で全然、生きていけます。

ただおそらくですが、生まれながらに知覚過敏体質なところがあるかも知れないのと、あと、親が子どもである自分からバカにされるような大人だったことで、

・何かに挑戦したり、
・楽しいと思えるような出来事に出会ったり、
・自分が好きなことは価値あることだと感じられるような体験だったり、

そういう“経験“が、圧倒的に少なく、なおかつ、その状況を良くも悪くも放置できてしまう環境があった、ということだろうと思いますね。

ただ安心して欲しいのは、経験が不足しているときは、どんな人だって怖いんです。少々知覚過敏なところがあるのであれば尚更のことであって、何ら気にすることはないんですよ。


最近、古くから仲良しであるアラフォー女性が、免許を取りました。きっと車を運転する時には初心者マークをつけると思います。何歳からは初心者マークつけたらダメ、なんてないんです。高齢処女だろうと高齢無職だろうと、同じです。

高齢ではじめて免許取って公道に出る時、自分は熟練ドライバーだって思って運転するやつの方がやばいやつです。むしろ、「私は高齢で最近免許取ったから危ないよ!みんな気をつけて!」と事前にアラームを鳴らすくらいが礼儀でありマナーじゃないでしょうか。

アラフォーの童貞が経験豊富ぶってたらマジでキモくないですか?自分の器を大きく見せようとしてる器の小さい人間ほど愚かに見えるものはないです。

息子の話をすると、息子も僕によく似ていて、すっごいビビリです。

4歳になりますが、つい最近自転車を買いました。今時の子どもはこの年代でも最初からガンガンに乗り回せるみたいですが、息子は補助輪付きでノロノロ運転、1m進んだらブレーキです。奥さんはそういう人の気持ちがわからないタイプなので、スパルタになってしまいます。

自分ができることを人ができないとイライラするタイプの人間は確かにいます。ただ、みんながみんなそうではないんです。

あなたが社会を必要以上に怖がってる理由は、あなたが社会はみんな奥さんのようなスパルタで冷酷非道な人間だと思っているからで、あなたがそう思う理由は、あなた自身が他人を蔑んだりバカにしているから、なんですよ。あなたが親を蔑んで、心の中で存在否定しているように、です。


あなたより能力が無くても、バカでも、そんな自分のことを存在否定せずに楽しく生きてる人はそこらじゅうにいますよ。あなたほど清々しく性格悪くはないので、きっと他人のこともバカにしたり存在否定しないでしょうから、きっと自分ができないことも代わりにやってくれる人が周りに集まるでしょう。

自分ができないことを隠したり、自分を大きく見せたりしないから、周りの人は丁寧に教えてくれて、実際生きてて困ることがなく、むしろ豊かに暮らしているでしょう。


ぼく自身、あなたと同じように怖くて怖くて仕方ないことばかりでしたし現在進行形で怖いことだらけです。

運賃が変動するタイプのバスの乗車の仕方がわからないので、Suicaで乗れるようになるまで、バスに乗れませんでした。

セミナーの最初のしゃべり出しでみんながどんな反応するだろう、って3日くらい寝れない時もありました。

新入社員の前で喋る時に膝と手が震えてて、先輩ヅラして偉そうにアドバイス垂れるために用意してきた文章とミスマッチすぎで、あれは恥ずかしすぎて今でも笑えます。

病院の受付の仕方が分からないので症状悪化するまで放っておきますし、はじめて精神科を受診したときは奥さんに同伴してもらいました。

最初にいぼ痔ができたときはまだあなたと同じくらいの歳で、人に見られるのが恥ずかしいのでわざわざ隣町の肛門科に行ったのに、受付の人の顔が怖くて帰りました。そのあと会社をズル休みしました。槇原敬之もこんな僕のために名曲作ったわけじゃない。

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