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【短編小説】服装に気を遣う

この時期、この服装は少し早かっただろうか。
そもそも変ではないだろうか。

ネットで2時間ほど検索して、自分のクローゼットにある中で一番マシな服を選んだつもりだ。
この際、似合っていなくてもいい。
年相応に見らえなくてもいい。
ただただ不審に思われないように。

数か月ぶりに乗る電車は、とても息苦しい。
周りの乗客の話し声は、丸く大きな塊となり嫌でも耳に集まってくる。
念のためイヤホンも持ってきたがダメなようだ。
雑音が自分への悪口へ変換されてしまう。
みんなスマホを見ているふりをして、本当は自分を見ているかもしれない。

ドアが開く。
車内は少し混んできて、吊革を握る人も現れ始めた。
しかし、自分の隣は空いたままだ。
もしや不快な臭いをさせていないだろうか。

家を出るときに数週間ぶりの風呂に入り、入念に体を洗った。
臭いも落としたはずだ。
髪の毛もベタベタしていないし、何よりキャップを被っている。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

ドアが開く。
自分の隣にサラリーマンが座った。
落ち着け。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

ドアが開く。
車内はいよいよ混雑し、自分の前にも2人立っている状態だ。
冷汗が噴き出る。
落ち着け。
自分は何もしていない。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

ドアが開く。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

ドアが開く。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

ドアが開く。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

何駅通過しただろう。
いつの間にか混雑は緩和し、座っている乗客もまばらになってきた。

車内アナウンスが目的の駅名を発する。
ドアが開く。

長い苦痛からやっと解放された。

半無人駅のような改札を通り、一息つく。

シャッター街を進む。
平日の午前中。
この地には、自分以外人はいないのではないかとすら感じる。

正面の遥か先から楽しそうな話し声が聞こえてくる。
自転車に乗った男子学生だ。
見るからにヤンチャな彼らは、二人乗りをしており、大笑いしながら駅の方へ進んでいった。

自分にもあんな時期があっただろうか。
いや、なかったな。
ずっと人目を避けて生きてきた。
もし仮にすれ違った彼らと同級生でも、決して関わることなく三年間を過ごしていただろう。

チェーン店のコーヒーショップが見えた。
少し悩んだが、食欲があるわけではないので通り過ぎる。

数年前に閉店した百貨店の前に来た。
活用はされていないようだ。

古びた交番が見えてきた。
自転車は無い。
お巡りさんは不在のようだ。

シャッター街の一本奥の道に進む。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

歩みを止まることなく、ひたすら住宅地を進む。
目的地に着いた。
立派な一戸建てだ。
門の横の駐車スペースには外車が止められている。

リュックの中を確認する。
タオルが見える。
大丈夫だ。忘れ物はない。

キキー
さび付いたブレーキ音が近くで聞こえた。
振り向くと自転車にまたがった男子学生と目が合う。
先ほどすれ違ったヤンチャな男子学生だ。
「どうしたんすか」
彼は自転車を降り、外車の前に停めた。

「お父さんと約束していて、少し早く着いてしまって。」
とっさに口から出た声に自分が驚いた。
「ああ、大丈夫だと思いますよ。どうぞ。」
見た目とは裏腹に、人当たりのいい青年だ。

青年は門を開け、敷地内に入るように促す。

ガチャ
ドアが開いた。

女性が廊下に顔を出す。
「あら、どうしたの?学校は?」
「体操着忘れた。あと父さんにお客さん。」

リュックからタオルで巻いていた物を取り出す。
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

グサッ
大丈夫だ。大丈夫。大丈夫。

グサッ
大丈夫だ。大丈夫。

グサッ
「ふふ」

不審に思われなかったのだろうか。
私は、普通に見えただろうか。

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