しばらく名前は非公開

2018年末から椎骨脳底動脈血管解離を未手術で自宅療養後、2020年末に職場復帰予定。…

しばらく名前は非公開

2018年末から椎骨脳底動脈血管解離を未手術で自宅療養後、2020年末に職場復帰予定。 療養日記が遺書にならない様に願いつつ2年経過。 初期の頃は夜中や朝方に起きる事が多く、虚ろな状態で書いては寝てを繰り返した。こっち側と向こう側にある境界線の狭間を切り取ったもの。

最近の記事

反省

ギリギリで終電に間に合わない日々。 連日の迎えに妻の怒りを感じ始める。 お迎えお願い連絡のレパートリーも底を尽き、打つ手無しの結果、ラブラブチュッチュスタイル。 甘えたてなんぼです。 仕事で謝る事と家族に謝る事は全く違う。 仕事モードをオフにした途端に全てから解放されたと感じる。全くのオフ。 その先で家族に起きた事に対して、仕事モードの解決方法をやるから怒りが生まれる。 仕事モードで解決してきた実績が家族の問題には通用しないことへの不満。心の切り替えが追いつかない

    • 5年目突入

      やはり年末年始は向き合う時期になった。 当たり前に当然に。 1年ぶりのログインでまた記す。 去年の内容はサッと読んだ。 今、もう一度戻ってしっかり読んできた。 去年の俺、なかなかやるやん。 そして一年が経ち変化した事は、未来を選択する事。 過去未来ではなく近未来っぽい方。最新機器。そういう新しいモノ、こと。 とても興奮し、ワクワク、未知数。楽し過ぎる。進化した先を見る。 今まで無かったもの、事。 偶然が外に出て、人から戻ってくる言葉に感化してるのかなー 全体的に面

      • 4年目突入

        椎骨脳底動脈解離&未破裂動脈瘤の発見というコラボで戦線離脱して早3年。 体重は96キロから73キロへ。やはりヤレバデキル野郎なのだな。 搬送当時はあまりの痛さに、もう人生を終わりにしたい気持ちと、鎮痛によって痛みから解放される事で自分に戻れたと思えば効き過ぎてアホになる感覚との境目に苦悩する。 鎮痛で人間(自分)じゃなくなるのではなく、痛みによって既に自分じゃなくなっている。 誰かと会う時は痛みを我慢して自分として会いたかった。 同じ病気の人をSNSでフォローしてか

        • ファスティング2日目

          誘惑と対話する。 ちょっとだけ食べようかな? いや、何も食べない事に意味かある また頭痛くなりそうだな いや、前の自分と再会したい そんなこんなで終了。 少し頭痛が現れてくる。 たまーに少し痛いくらいの。 ずっとは痛くない。 しばらくすると消える。 ほっぺたが少ししびれる感覚があった。 一瞬吐き気した。 思考はまだ変わらず。 ボーッとしやすくなって、仕事でちょつとしたミスが多発。 そこをいつも以上に気にかけてやってたらすぐに終業。あっちゅーま。 たぶん、このシビレ

          ファスティング 断食1日目

          初日。 よく1日何も食べすに過ごす事があるから特に何もなし。 いつも通り。 断食をやってる感じもない。 思考もフツー。通常営業です。

          ファスティング 断食1日目

          金の使い道

          いいんだ。 俺1人で使うお金だったのが、こうだっただけなんだから。 1人で自由に使えるお金を手放してみると、そこまで何も生じなかった。 流れを止めたくなかっただけで、変わってみると違うというかそんな大事な話でもなかった。 やはり、変わりたくない欲は妄想の部類だった。 ふと、野郎どもから手を繋いだりしてくれなくなってきたこの頃。 野郎どもの成長には喜びの中に寂しさ割合が日に日に増してきてる。 なんだこれは…と、受け入れがたい事だけども色んな感情で受け止めるしかないくさい。

          四季を増やす

          花見からの雪山は、春から冬にタイムスリップ感がすんげー 春夏秋冬の季節感をバグらせて春夏秋冬春冬にしたり、沖縄を入れれば夏春夏秋夏冬春冬みたいな1年を過ごす事も出来るのかと、今更ながら日本だけでも出来ると大きな理解をしてしまった。これは松原家の転換期となるやもしれぬぞ。 松原家の冬はしっぽりぬくぬくして過ごしましょうをテーマにしていたのに、野郎どものやりたい欲に影響されて今年の冬は雪山三昧。 家族全員でレンタルしてるのもバカらしくなる出費だったから、いまさら全購入。 来週が

          仕事なぞ語れず

          いつもいつも自分がしている仕事って予想外のことばかりしかなく、こうなってみると自ら進んでこういう仕事がしたい!と思ったことが無い人生を送っているんだなー。 人が仕事に向ける思いや情熱は自分にとっては仕事をしていない時に使う感情だし。 年々、人と仕事の話が合わなくなるし、意気込み?熱意?いいかげんそういう話するのもやめようかとも思ってはいる。 高校受験したくなかったから面接の学校に行ったし、 仕事したくなかったから上京し、 餓死の危険があって飲食店に駆け込んだし そこから

          親離れ

          親より友達を選ぶようになってきた11歳。 これからこいつと過ごす時間は少なくなる一方。 なんなんこのせつなさ。 特にウザめな俺が避けられていくのは避けて通れない。 案外、野郎どもにウザがられても気にならないのは免疫のせいなのか。 知ってたし。 こうなるの知ってた。 自分が親とどういう風に接してきたのか過去が蘇る。 だけどもだけど。 きっつーーーーーい。 しばらく掘っておいた時期もあるだけに、取り戻すかの様に接してきたけども。 その気持ちは子供じゃなく自分の親としての何

          いのち

          長男の同級生のママが来た。 その同級生は2年前に亡くなり、ママは両足を失う事故だった。 今は義足で生活している。仕事も。 自分の人生に絶望はなく、そのママの様に生きていく事が出来るのだろうか。という身勝手な自問自答をしている事に嫌気がする。 悲しみや辛さに寄り添おうとも、たかだか数分の時間が経てば自分には笑いに満ち溢れた時間がすぐにでもやってくる。 自分が生きている空間では絶対に共感出来ないであろう絶望に心を揺さぶられつつも、我にかえる。 お前には絶対に理解出来ない。

          レアケース

          釣りは好きじゃない。嫌いほどじゃない。ただ好きじゃない。 それは、前のめりで関わるつもりが無いだけだから。 妻から 「家族で海釣りした事ないのにしないの?」 と、言われてしまうと行くしかないのである。 これを否定してしまうと、俺が崩れてしまう気がする。 初めて家族で釣りに出かけた。 4人分の竿をレンタルするならとダイソーで1000円のリール付きの竿を買った。 何でもやりたい家族。でもすぐに飽きるから安くてそこそこ使えるものが良い。 糸の付け方も分からず、あーでもない、こ

          呑み

          今から呑みに行く。 こんな気持ちで電車に乗るのは久しぶり。 ワクワク?いや違うな。 この感じ、いつも呑みに向かう時と同じ気持ちだ。 こんな気持ちだったわ〜と、懐かしさを楽しんでる。

          久しぶりの電車に乗り

          うわー、めっちゃ人いるー やけにキョロキョロしてしまい、自分だけが知る挙動不審を楽しむ。そのつもりがダダ漏れだったりするのかもしれない。 中学の部活を辞めてから太り続けて100キロ目前で病気。 仕事を始めて痩せてきた。 久しぶりの73キロ。 ガラスに反射する自分が痩せまくってて新鮮だわ〜 じゅうぶん痩せてるわ。今。

          久しぶりの電車に乗り

          比較が必要な理由

          自分が育った場所で野朗ドモ(子供)が遊ぶ光景は、言葉に出来ない思いがあるわけで。 それは家族にしてみれば想いにふける話でもなく自分だけが味わえる気持ちなんだなー 比較、必要論。 誰かがこうしているという話を聞けば、そっか、俺はそういう事はしないな。と思えるので、そういう事をしてくれてありがとう!って気持ちになる。 ありがとうまでは言い過ぎてるかもね。 お前がそうしてくれた事で、自分がそれをしないと明確に思えるから。 そのやり方は間違っている!と断絶する気は全くない。

          3年経ち、そして4年目へ

          病院から帰宅。 次のMRIは1年後になった。 さすがに生きているのが当たり前になり、有り難みが薄れてきてしまっていた今日この頃。 頭の中では いやいや、そんなんじゃダメだろ?と思う時もありつつも そろそろ解放してくれよ。を行ったり来たりしてる。 20キロ痩せたからなのか、血圧も下がり降圧剤を飲まなくて良くなった。 これに関しては、さすが俺だなといったところ。ますます自分に自信を持つことになってしまった。 自分すらも敵じゃなくなってしまったので、許す限り自惚れていよう。敵ナ

          3年経ち、そして4年目へ

          現実感強め

          意識は遠く遠く果てしなく遠くにいってしまった。 というより、こっちから離れてしまったというか。 全てを遅くする為と考えれば、今の状態がベストだと思っていたはず。 家族と居たいという最後の願い。 それが叶っているということ。 今、とても良い状態。 仕事もプライベートも。 冬まっさかり。そろそろ終わるか?