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【16日目】分子→原子→電子……その先にある「モト」(ニンゲンのトリセツ)

◆『素粒子』とは何か

 びっくりするようなことを書いていると思います。僕たちのココロが「素粒子の集まり」だと書いているんです。これまた、かつて誰も思いつかなかった発想なんじゃないかと思っています。

 さてそもそも……『素粒子』というのは、何でしょうか?

(今回はちょっとテクニカルな話です。サラッと読み飛ばしても大丈夫です)

◆モノを造る「分子」、分子を作る「原子」

 この世界にある物質を細かく割っていくと、いずれ「分子」という一番小さなツブツブ(粒子)になります。このツブツブを割ってしまうと、もうその物質は「その物質」ではなくなります。

 その物質ではなくなりますが、割ることはできるんですね。割ったあとにあるツブツブのことを「原子」と呼びます。

 カンタンな例を出しましょう。僕たちに身近な「水」という物質は、化学式で「H2O」と書きます。これが「水の分子」です。
 H2Oは「水」と呼ばれる物質ですが、その分子を作っている「原子」に当たるものが、HやOと書かれるものです。Hは「水素原子」、Oは「酸素原子」と呼ばれるツブツブです。
 つまり水の分子「H2O」は「H」というツブツブが2個、「O」というツブツブが1個、そのカタマリだよ、という意味です。

H2O = 水(H原子二個とO原子一個)

 この「H2O」を、「H」と「O」に砕いてしまったら、もうそこに水はなくなってしまいます。ちょっと難しいかもですが、水がなくなって、別の物質に変わってしまうんですね。具体的には、燃料になる「水素(H2)」と、呼吸をするときに吸う「酸素(O2)」になってしまいます。

2(H2O) → 2(H2) + O2
(二個の「水の分子」→二個の「水素分子」と一個の「酸素分子」)
「H2」が「水素分子」で、このなかの「H」が水素原子
(水素とは、水素原子二つが固まったもの(一つでは水素になれない))

 このように、とある物質の最小単位である「分子」も、さらにバラバラにすれば「原子」という材料でできているわけです。

◆原子を造る「電子・陽子」、陽子を造る「クオーク」

 では、原子を更に細かくすることはできるのでしょうか? 実は原子にも「材料」にあたるものがあります。そのツブツブ(粒子)が、「電子」と「陽子」と「中性子」です。この「材料」の個数によって、様々な原子ができることが分かっています。

 では、その電子や陽子の材料は……となるのですが、今の科学で分かっているのは、この次に細かい粒子までです。それは「クオーク」と呼ばれていて、性質によってさまざな「ボゾン」に分類されているそうです。それらは細長い「ひも」のような性質をもっているそうで、現代科学の最先端では「超ひも理論」という呼ばれ方をされるんだそうです。
 ここまで行くと、ちょっと難しいですよね……筆者もきちんと理解しているわけではありません……

◆いちばん細かい「粒子」が『素粒子モト』だ

 さて、僕が「モト」と呼んでいるツブツブ(粒子)は、これらよりもっと細かいものを想定しています。現在の科学が観測できる粒子より、もっと細かいものです。細かすぎて、機械で測ることが(今は)できないものだと考えています。

 そう、「細かすぎる」のです。細かすぎて「物質ですらない」んです。現在の科学というものは「物質」を調べていますので、物質ではない「モト」にたどり着けないのです。
 ですが、いずれ科学の力で「モト」を直接観測したり、コントロールしたりできる日が来るかもしれません……今はまだそれができないのですね。

 話を戻しましょう……モトというのは「細かすぎる」粒子だと書きました。「最も」細かい粒子だからです。モトより細かい粒子は、この世界に存在できません。ここがモトの考え方の「ミソ」です。
 どうしてそう言い切ってしまえるのか……という話は、今はまだ難しすぎると思うので、エキスパート編まで待ってください。モヤモヤさせてしまって申し訳ないのですが、その時が来たらきちんと説明します(きちんと理屈で説明できるものなのです……それだけはお伝えしておきますね)。

 このように、「最も細かい、これ以上分割できない粒子(ツブツブ)」のことを『素粒子』といいます。僕があつかうモトはこの『素粒子』を想定しています。

 実はこの『素粒子モト』が、僕たちのココロの材料である、という話を、これまでずっとしてきたわけです。

◆モトは「この世界のあらゆる全ての材料」である

 僕たちのココロというものは、たしかに存在しますよね? ですが、目には見えませんし、機械やコンピューターで測ることもできません。なぜできないのか、というと、それは「物質ではない」からです。
 物質、というのは「質量を持った存在」という意味で、質量というのは、この世界での「かさ(嵩)」、簡単に言うと「重さ」です。ココロにはこの「重さ」がないので、機械では測れません。
 ですが、やっぱり「実在」していますよね? ココロは確かに、僕たちひとりひとりが「実際に持っている」ものです。
 実際に持っているんだから、つまりそれらには何らかの「実態がある」ということです。それが「物質ではない」としてもです。

 その、一見矛盾していることを結びつけているのが、僕の言う「素粒子モト」なんですね。

 ココロというものが「実在する」ことを考えると、やっぱり何か「それを形作る存在」があると考えられます。これを、物質ではない「素粒子モト」だと「仮定」するわけです。この仮定に基づくと、

 素粒子モト(ココロの材料・クオークの材料?)
  ↓
 クオーク(陽子の材料)
  ↓
 電子・陽子(原子の材料)
  ↓
 原子(分子の材料)
  ↓
 分子(物質の材料)

という、マトリョーシカ人形のような構造が、芋づる式に仮定できます。

 要するに……僕たちのココロ(目に見えない)と、僕たちのカラダ(目に見える)は、もとをただせば「同じツブツブ(粒子)」を材料にしているのではないか? という話なわけです。
 だから、前回書いたとおり、モトは「カラダの材料」でもあるわけです。

 もちろん、この世界にあるあらゆる物質は「分子」からできていますので、この世界にあるあらゆる物質は、さらに細かく見ていけば「素粒子モト」を材料にしていることになります

◆モトの奥義の一つ「モトは目に見えないココロも、目に見えるカラダも形作っている材料である」

 ここらへんが「モトの話」のキモになります。目に見えない人間のココロと、目に見える物質、それらは同じ素粒子から構成されているのだ、というのが僕の思想の基礎になるものです。

 ……と、ちょっとむずかしい話をしてしまったのではないかと思います。このあたりの内容は、ずっとずっと先に予定している「エキスパート編」でより詳しくあつかう予定です。

 今は「ココロ」と「カラダ」が同じ材料である「モト」というツブツブ(粒子)からできているのだ、というところを押さえておいてくださいね。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)