【10日目】僕たちを苦しめる『大いなる勘違い』(ニンゲンのトリセツ)

◆「アタマで考えたこと」をやろうとする僕たち

 「大いなる勘違い」? とお思いになったのではないでしょうか。これから普段僕たちが陥りがちな「勘違い」の話をするのですが、この「勘違い」に気づくためには、まず僕たちがさっき話したとおり

『三つのパーツの集合体』

である、ということを、きちんと押さえておく必要があります。すなわち「カラダ」「ココロ」「アタマ」の、三つでしたね。この三つのどれが欠けても、僕たちはこの世界で生きられなくなります。

 ですが……僕たちはどうしても

「アタマで考えたこと」を最優先してしまいがち

なんです。これは、普段僕たちが「自意識」と呼んでいるものがこの「アタマで考えたこと」を根拠にしているからです。

◆アタマと自意識が『大いなる勘違い』を生む

 あなたは誰ですか? とたずねられたら、何と答えますか? 大抵は、名前・職業・住んでいるところなどを答えますよね。これは「アタマ」の働きによって「自分とはこういう組織に所属する、こういう人物だ」という認識をしているからで、これが「自意識」に当たるものです。

 ですから普段僕たちは「アタマで考えている『私』」というものを、自分自身だと認識しています。これはこれで、生きていく上で大切なことです。

 ところが、です。僕たち人間は他の生き物よりこの「アタマ」が発達している生物ですので、こういう「自意識」というものこそが『自分自身』で、カラダはその道具、ココロは無駄な感情を出してくるコントロールできない何か、という

「大いなる勘違い」

をしてしまうことが、よくあるのです。

◆「~しなければならない」という『勘違い』

 例えば……僕たちは「こういうことを考えて生きなければならない」という人生訓のようなものを持っていることがあります。それは

・人生とはたくさん努力をして、地位やお金を高めるものだ
・努力をおこたる怠け者は、人間としての価値が低い
・何事にも一生懸命に取り組まなければならない

……こういった、社会人や職業人としての「振る舞い訓」のようなものです。こういうことを信じて、一生懸命何かに打ち込んでいる人も多いでしょう。

 それはそれで素晴らしいのですが、こういったことというのは、何か「目標」のようなものがあって、それを達成するための手段としての振る舞いだと思いませんか? ですから、これらはあくまで「アタマ」が考えて、行っていることなんですね。

 ましてや、こういったことは、誰しも社会に出たら一度は「先輩」や「上司」などから言われることですよね。だから自分で考えて出した結論ですらない、ただの「知識」なのかもしれません。

 こういった「アタマ」で考えたことを社会で実現していくことこそが、人生のあり方だ!! という方は多いと思うのですが、実はそれは、モトの観点からすると単なる

「勘違い」

なんです。

 そもそも、カラダというものは別に僕たちのアタマに従属しているパーツではありませんし、ココロもアタマがコントロールすべきものではないんです。これら三つはあくまで『同等』な立場で僕たちの生命を維持している「パーツ」にすぎないんです。

 だから、アタマでは「どうしても仕事や勉強をしないといけない」と分かっていても、どうしても気分が乗らないときや、カラダが疲れていて言うことを聞いてくれないときというのもありますよね。それらを「乗り越えてがんばる」ということは、本当は別に素晴らしいことでもなんでもなく、ただ単に「他のパーツを犠牲にしている」に過ぎないのです。

◆ストレスと「モトの量」の関係

 アタマというものは、人間が社会で生きていくために発達させたパーツでもありますので、社会で一人の人間として生きていくために必要な「考え」を生み出すパーツです。ひるがえって、ココロというものは、単純に「モトあつめ」をしようとするパーツです。どちらも僕たちが健康に生存するために必要なものですので、アタマがココロから起こる「感情」「気分」を押さえつけすぎてしまうと、ココロはアタマに反抗するようになります。これが「ストレス」という状態です。

 ストレス、というものが発見されてまだ100年ほどですが、現代ではこういう「ストレス」のケアも、幸せな生き方にとって重要なものだとされていますよね。

 ストレス状態になるのは、先ほどの話にあったように「アタマとココロのケンカ」が原因です。アタマで考えたことを実行することばかりに重きをおいてしまった結果、ココロのモトの量が減ってしまったからなんです。

 思い出してほしいのですが、モトというのは「何かに注目をする」と、そちらへ飛んでいくという性質がありましたよね? アタマで考えたことをやるときというのは、たいがいこうやって「何かにモトを飛ばしている」ときなんです。だから、ココロとしてはアタマが何か考えて実行している間、単純に「モトを減らしている」んです。

 その結果でモトが増えることもあります。達成感を味わったり、お客さんとのふれあいやおしゃべりで元気をもらったり、そういうときはモトが増えているときです(気分がいいとき=好き嫌いゲージが上がっているとき=モトが増えているとき)。二番目のモトあつめ、でしたね。

 ですが、仕事が立て込んでしまったり、忙しく過ごしているときというのは、こうやってモトが増えているばかりではありません。むしろいろいろなものに「注目」しすぎてしまい、トータルでは減ってしまっていることが多いものなのです。ですから、本当は一休みして、モトを減らさない、モトを増やせるような何かをする、そういう時間が「ココロ」にとって必要なんです。

◆『大いなる勘違い』に気づいて「自分」を大切にしよう

 こういったことにも、最初に書いた『三つのパーツ』という理解が必要になります。僕たちはあくまで対等な『三つのパーツ』の集合体であり、アタマだけが、あなた自身なのではないのです。そして、アタマとココロは全く別の動機で、別の結論を出すパーツなので、時にはココロのおもむくままにモトあつめをすることで、ココロをケアしてあげる必要もあるんですね。

 逆にいうと、こういう構造を「知識として」アタマで認識して、アタマを上手に使って残りの二つをケアしてあげられるようになると、自分との付き合い方・向き合い方というものは、ぐっと楽になります

 まずは自分自身が「アタマこそが私である」という

「大いなる勘違い」

をしていることに気づく、というところが出発点です。

 そして「アタマが考えていること」「ココロが要求している気持ち」それらを「別々のパーツが出した、別々の結論だ」というふうに「アタマ」でとらえて、バランス良く両方の言い分を叶えてあげる……こうすることで、ストレスケアはとてもスムーズに行えるようになるのではないかと僕は考えています。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)