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1-6:【三つのパーツ】『アタマ』のはたらき(人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話)

1-6【【三つのパーツ】『アタマ』のはたらき】

『三つのパーツ』の役割分担

 では、先に挙げた『三つのパーツ』である

・アタマ
・ココロ
・カラダ

のそれぞれについて、ここで詳しく見ていきましょう。


■『アタマ』の役割り

 アタマは、考えて行動をするためのパーツです。

 「考える」とは、難しい言葉で論理的思考のことを指します。要するに、僕たちの周囲で起こっていることを理屈で理解し、処理することです。

 例えば、僕たちは「明日起こること」を知りませんよね? でも「明日起こりそうなこと」を予測することはできます。明日は体育の授業があるだろう、とか、明日は午前中に通勤路が渋滞するだろう、などなど。

 そして、それに合わせた行動をとることができます。体操服をカバンに入れてから寝よう、とか、少し早めに車に乗ろう、とか。

 こういうことがどうしてできるのかというと、それは事前に「知識」を得て、明日のことを「予測」しているからです。体育の授業の例だと、時間割表に「体育」と書いている、という知識。そして、渋滞の例だと、午前中に工事があるというニュースを見た、といった知識。これらの知識をもとに「考えて」、明日起こりそうなことを予測しているんですね。

 実際にその時が来たら、実は体育の先生が休みで自習になるとか、工事が延期で渋滞がなかったとか、そういうことはあるわけです。だから僕たちは、未来のことなんて「知らない」んですけど、でも「起こりそうなこと」を「考えて」、事前に準備をしておくことはできるわけです。

 これがアタマの働きです。「考えて」行動をする時に、僕たちはアタマを働かせています

 日常生活において、僕たちはこの「考える」能力をフルに活用しながら暮らしています。

 朝起きて、身近な人に「おはよう」と挨拶をする。出かける前に服を着て、身支度をする。食欲があまりなくても、何か食べないと昼前にお腹がすいちゃうかな、と軽く食事をとっておく。出かける前に靴を履く。玄関を出たら鍵をかける・・・

 朝の支度だけでも、これだけのことを「考えて」行っていますよね。中には「いや、習慣でやっているから、特に考えてなんかいないよ」という方もおられるでしょうけど、その習慣も「考えて行動していた」から身についたものですので、実際はアタマの働きであると言えます。

 人間関係でもそうです。相手が今どんな気持ちなのか・・・例えば、この人は今は笑っているけど、ちょっと前に家族に不幸があったから、少し無理しているんじゃないかな・・・とか、お母さんがいつもより疲れた顔をしているな、とか・・・こういうことを「察して」いるのもアタマです。
 様子や状態、過去の出来事などから、相手の気持ちや体調を「推測して」いるのですね。こういうふうに「考える」のも、アタマの働きです。

 実際の社会生活では、僕たちはこうして「アタマで考えて」行動していることがほとんどです。それこそ『おはようからおやすみまで』のほとんどを、アタマの機能に依存して生活しています。

 だから、です。僕たちはともすると

「アタマこそ私である」

と思い込んで生活してしまいます。ですが、これは大きな勘違いです。


「アタマ」は「私」の一部分

 さっき書いた通り、今は僕たちを構成する「三つのパーツ」について書いているのですが、この

「アタマこそ私である」という思い込み

が、人生を大いに辛くします。なぜなら、僕たちはあくまで「三つのパーツ」が一つにまとまってできている存在なので、その一つである「アタマ」だけを優遇すると、残りのパーツとケンカをしてしまうからです。

 繰り返しますが、僕たちは三つのパーツであるアタマ・ココロ・カラダが一つに固まってできている存在です。ですので、あくまで「そのうちの一つ」であるアタマだけに重きを置いてしまうと、ココロとカラダに必要なものが足りなくなり、バランスを崩してしまうんです。

 人間を構成する三つのパーツには、それぞれに目的のようなものがあります。どのパーツも最終的には「生存し、子孫を残すこと」が最優先なのですが、そのために必要なものが、パーツによって異なるのです。


『アタマ』と『カラダ』はケンカする

 分かりやすいのは『カラダ』。カラダには栄養が必要です。
 人間には必須栄養素というものがあるそうです。考えてみれば、人間の肉体というものは主に「水」「たんぱく質」「ビタミン・ミネラル類」「ホルモン」「脂質」でできているので、それらを食べ物から摂らないといけないということになります。摂らない状態が続くと、いずれ体調を崩し、そのうち死んでしまいます。

 ですが・・・僕たちはついつい食事をおろそかにしてしまいがちです。

 仕事が忙しくてなかなかゆっくりお昼ご飯が食べられない・・・
 疲れているから晩ごはんはカップ麺にしておこう・・・
 新しいゲームマシンを買うために節約して、今晩はもやしだけ食おう・・・
 太ったらいやだから、何も食べないでおこう・・・

 こういった行動は、実は「アタマ」の命令によるものです。アタマが何かを「考えた」結果として、カラダに無理をするように命令してしまうんですね。

 一度や二度なら、カラダもアタマのいうことに協力してくれるのですが、これが何度も何度も、一週間、一ヶ月と続いていくと・・・カラダがアタマのいうことを聞いてくれなくなります。
 具体的には、風邪をひいてしまったり、疲れがなかなか取れなくなったり、肩こりや腰痛が続いたり、ひどい時には、慢性的な内臓の病気になってしまったりします。

 これが、アタマとカラダのケンカです。アタマのいうことをカラダに無理やり聞かせ続けていると、カラダが反乱を起こすのです。

 先程の勘違い「アタマこそ私である」という思想が、自分のカラダをないがしろにしてしまったから、生存を維持するためにカラダがアタマに襲い掛かって来る・・・こうして、アタマとカラダはしょっちゅうケンカしてしまいます。心当たり、ありませんか?

 働き方改革が話題になっている昨今、自分自身でカラダをいたわることは、とても重要です。なぜなら、カラダだって「私」を構成する大事なパーツの一つなんですから。

 「アタマ」だけが「あなた」なのではありません。「カラダ」もアタマと等価値の「あなた」なのです。だから「アタマこそ私である」という勘違いが、人生をとても辛いものにしてしまうんです。


『アタマ』と『ココロ』もケンカする

 ココロだってそうです。カラダに栄養が必要なように、ココロにも燃料である「モト」がいるんです(詳しくは次章以降で)。モト不足のままココロを放置していたら、カラダ同様に反乱を起こします。

 少し例を挙げると・・・アタマではどうしてもやらないといけないと分かっていることができなくなる。悲しみを抑えきれなくなって、何でもないのに大泣きしてしまう。楽しかったことが全然楽しく感じられなくなる。こういうことも、ココロとアタマのケンカによって起こることです。

 先ほども書きましたが「アタマ」と「ココロ」は別のパーツです。だから、ココロはココロでアタマとは別の目的で動きます。
 具体的に言うと、ココロはいつも『モトを集めよう』として動きます。ですが、アタマの働きによって「モトを失うような選択」をしてしまうことも、よくあるんです(モトの量とココロの動きの関係については第三章で詳しく説明します)。
 カラダの時と同じく、こういうことが続くとやっぱりココロも上手に働かなくなります。カラダにとっての栄養が不足するのと同じく、ココロの燃料である「モト」が不足してしまい、ココロが思った通りに動かせなくなってしまうんです。


『三つのパーツ』のバランスを取ろう

 このように『アタマ・カラダ・ココロ』は「どれが本当の私か?」という性質ものではありません。それぞれがそれぞれの役割を担っていて、三つで一つの「私」を形作っています。ですから、それぞれをできるだけ満足させてやるような生活を心がけると、人生の辛さはずいぶん緩和されるはずです。
 逆に、先ほどから繰り返している「アタマこそ私である」という大いなる勘違いが、本来はアタマと等価値であるカラダやココロをないがしろにしてしまい、それらがバランスを崩してしまうことによって、人生を大きく辛いものにしてしまうのです。

 人生が辛い、と思っている時は、特によく振り返ってみてください。自分自身のアタマで考えたアイデア、ココロに浮かんだ気分や気持ち、カラダの疲れや不具合を、バランスよくケアしていますか? アタマで考えたことや日々の習慣で、カラダやココロに無理を言いすぎていませんか?

 この「バランス」に注目することが、辛い人生を軽くする第一歩だったりします。そのために重要なのが、目に見える「カラダのケア」だけではなく、目には見えない「モトを使ったココロのメンテナンス」だったりするのです。この新しい概念である「モト」とココロの関係は、次章以降でくわしく解説したいと思います。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)